十四.帰還の時

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十四.帰還の時

   十四.帰還の時  クリーナーたちの侵攻を遅らせるだけの時間は稼げた。プラスチック爆薬を素人が設置したにしては、建造物は思った以上にうまく倒壊、あるいは崩壊してくれた。それだけ老朽化が進んでいたのだろう。レイジたちに建築のいろははなかったが、目算で手当たり次第に柱を破壊すれば、さもありなんというところだった。  爆発を聞きつけて、クリーナーの部隊はいずれレイジたちの装甲車両を発見し、攻撃を加えてくるはずだ。その前に、彼らは装甲車両を捨て、下水道へと身を隠した。熱源探知を避けるために、彼らは汚染のさほど進んでいない道を行く。  ソラの投影したマップをレイジの記憶素子にも刻んでおり、敵の進行方向の裏をかけるルートがあることが分かっていた。暗視装置を用いてレイジが先導する。 「ネズミがいるな。この土地に順応するだけの生命力があるのか」  レイジの呟きに、光量を抑えたフラッシュライト片手にナガレが応える。 「それだけこの下水路が有毒雨に侵されていないってことだね。餌がなんなのかは分からないけど」 「人肉とお互いの体だよ」カルミアが事もなげに言う。「下水道を拠点にしていた一派がいたんだが、二年前に壊滅してる。その後は皆、ここに死体を捨てにくるのさ。人肉が腐敗すると疫病を呼ぶからね」 「ゾッとしねェな」  地表から崩落した瓦礫の中に、人骨を見ながら、ニカイドウが言った。  フロートバイク特有の甲高い駆動音が頭上を通った。瞬間的に全員が足を止め、息を殺す。次いで、数秒後に装甲車両の走行音が後を追っていった。 「渋谷駅跡にはもう着いている頃だろうね」  カルミアが忌々しげに口を開く。ガーデンの人間の死体は未だそのままにされている。彼女たちの体がいかに処理されるか、想像がつかなかった。  レイジは当初の予定通り、西の門から新宿駅を繋ぐ道の半ばへと急いだ。 「レイヴンの本拠地の方が悲惨なことになっているだろう。あわよくば、ネームレスがクリーナーを減らしてくれるとありがたいんだがな」 「どうだろうね」ナガレが受けて言う。「もしかしたら彼らクリーナーの部隊も再生臓器抽出物を無効化する何かを用意しているかもしれない。そうしたら、ネームレスは簡単にやられるんじゃないかな」  ニカイドウが、それはねェんじゃねェか、と口を挟んだ。 「仮にアイザワがネームレスを軍事転用するとか、ホームの人間を転化させるつもりなら、それを防ぐ装備を渡すとは思えねェんだわ」 「一理あるね。だが、ないとも言い切れない」  会話はそこで一旦途切れた。  別のフロートバイクが地上を通ったからだ。 「あのう……」  少ししてから、スバルが控えめに声を上げた。  なんだい、とカルミアが応える。 「その、クリーナーがネームレスっていうのには、ならないんでしょうか? もしかしたら、ですよ? もしかしたらホームの人たちが転化していて、クリーナーも用済みになっていたとしたら、彼らもそんな風に何かしらを投与される可能性はゼロじゃないですよね?」  レイジが、確かに、と思案した。 「なら、敵の作戦が長引けば、東京は阿鼻叫喚の様相を呈するな」  ネームレス同士の戦闘はどうやっても原始的になる。すなわち、素手の殴り合いだ。道具を使えるほど彼らの手指は器用そうには見えなかった。爪と牙、拳の応酬。しかも、互いがある程度の修復能力を持つ。あまりにも凄惨な状況が目に見えていた。  しかし、ともレイジは考える。  そうなってくれたとしたら、フロートバイクや装甲車両は駆ることができなくなる。戦闘に集中してくれれば、その間に足は確保できるのではないだろうか。 「もうじき、目的地に到着するね」  カルミアが言った通り、地図上では新宿駅跡の西側から出られるマンホールが見えてくる位置に、彼らはいた。 「塞がれていないといいんだが」  「心配事の九割は実際には起きないもんだよ、レイジ」  その言葉に後ろを見やると、ナガレが硬い表情のままで歩いていた。不安なのだ。  それは誰もがそうだった。先の見えない下水道の中で、彼らの未来もまた、闇に包まれたままなのだから。  ついにマンホール下のはしごに到達すると、先にレイジが上がることを伝えた。 「俺が倒れたら、ナガレ。カルミアと一緒に逃げろ。ニカイドウが運転すれば、大抵の人間は着いてこられないだろう」 「不吉なことを言うなよ。それにネームレスが跋扈する東京に逃げ場なんてない」 「もしも、の話だ」 「わ、私は!?」  スバルが自らの身柄を案じる発言をするも、カルミアに頭を叩かれ、すぐに口を閉ざした。  マンホールの蓋はレイジの腕力を持ってすればさほど問題なく持ち上がった。瓦礫の下敷きになっていなかったことを幸運に思いながら、レイジはわずかに視野を確保し、周囲を探る。  敵影、なし。 「上がってきていいぞ」  地上から新宿駅跡周辺を見ると、爆炎が上がるところだった。 「やっているな」 「そうだね……。これで数が減ってくれるとありがたいんだけど……」 「人間同士の殺し合いに不謹慎な言い方だけどよ、全くその通りだな」  敵対したとはいえ、今まで彼らは同じ人間だった。garbage、クリーナー、共にだ。それがもはや名もなき怪物と化して互いを殺害せんと肉薄している。それが、恐ろしい事実であることに、レイジはもはや気付かないわけではなかった。  ニカイドウでさえ、マスクの下で真剣な眼差しで新宿駅跡を見つめている。 「さあ、コウタロウ、レイジ、ニカイドウ、あとあんたも」カルミアが声を張る。「ここが正念場だよ。まずは車両を奪い、検問を突破する。それで間違いないね」 「ああ、建造物から様子を窺い、状況を見てそうする」 「さ、作戦はそれだけですか?」  スバルが怯えたように言う。 「作戦名はこうだ」レイジは無表情に命名した。「後は野となれ山となれ」 「そんなあ……」  新宿駅跡を一望できる建造物の上階へとニカイドウとナガレ、ソラが移動した。地上にいるレイジたちへとソラの赤外線通信によるメッセージが届く。 『ネームレスとクリーナーは交戦中。拮抗状態だ。もしかしたらシリンジ弾の一件でネームレスも慎重になっているのかもしれない』  レイジもマスクから赤外線を発し、返事をする。 『車両周辺に敵影は』 『概ね二人ずついる。どうも離れる様子はなさそうだ』 「コウタロウはなんだって?」  カルミアが肉声で問う。 「最低二人無力化できれば、敵車両を奪えそうだ。ネームレスたちの善戦を祈ろう」 「全く皮肉な話だね。敵の敵も敵、東京の雨ですら敵、四面楚歌ぎりぎりだよ」  拡張現実の視野に、新たな入電。 『レイジ、動きがあった。クリーナーの一人が転化した』 『嫌な予感が的中したな』そうやってレイジは返信を送ると、言葉に出してカルミアとスバルに伝えた。「ネームレス大戦争が始まるぞ」  ナガレたちとは別の建造物へと上がると、レイジたちは散開して別々の窓から外の様子を窺った。  クリーナーの一人が自らの肉体の変化に戸惑い、両陣営の真っ只中で狼狽ているのが見えた。クリーナー側は新たな敵と見るか、味方として下がるよう指示を出すか、迷っているようだ。一方、ネームレス陣営にはその様子に呆気に取られる者もあったが、多くが遮蔽物から瓦礫片を投擲し続けている。  元クリーナーのネームレスは、明らかに出来損ないだった。重装備のボディアーマーが内側から膨れ上がった肉により埋もれ、見てくれは黒い外殻を所々に埋め込まれた肉塊だ。ヘルメットだけがその形状を保っている。そして、その動きから察するに、そのネームレスは自我がはっきりと残っていた。 「お、俺は一体どうしちまったんだ!? 頼む、助けてくれ! クスリをくれ! 早く治してくれ!」 「動くな! お前は一体“どっち”なんだ!?」  無反動銃の銃口が動き、新たな外殻付きのネームレスに向く。 「撃つな! 俺は味方だ! 連中とは違う!」  よろよろとクリーナー側に歩み寄ろうとするネームレスにより、戦場が一時的に静寂に包まれた。  「俺は、俺、お、俺、俺俺、おお、おおおお……」  ネームレスの挙動がおかしくなる。ヘルメットの内側から肉が盛り上がり、黒いバイザーの隙間から赤黒い液体が噴き出す。頭部を抑えるように両手で包むネームレス。  「オレ、ハ、ミカッタッ、ダッ……!?」  ヘルメットの耐久力が転化による膨張と相反して、ついにネームレスの頭が、ばじゅん、と小さく爆ぜた。急成長した骨格や筋肉が内圧を高め、脳を圧迫し、ついには弾け飛んだのだ。 「うわああああああ!?」  クリーナーの一人が絶叫した。そして、恐怖が伝播する。 「お前も敵か!? お前もああやって紛れ込んでいたのか!?」 「ふざけるな、お前こそ!」 「あんな化け物になるなんて聞いてないぞ!!」  こうなると、レイヴン所属のネームレスたちは強かった。 「連中、転化するなら俺たちの仲間じゃねえか! やったぜビビって損した!」 「でもクリーナーなんだろ? だったらやるこた一つしかねえよ!」  レイジは、地獄の底から現れた者のような笑みを見た。 「殺っちまえ!」  クリーナーは本来、三人組が最大の部隊編成だった。故に、国外からの民間軍事会社から買い取った集団戦闘訓練の知識は記憶素子に含まれている。だが、それは冷静な時にしか機能しない。感情が、刻まれた情報通りの動きを阻害すれば、瓦解する。  それ故に、感情をほとんど欠落させられたレイジは強かった。だが、そこにいるのは人をある程度殺し慣れた、ただの人間たちだ。素体が違う。  クリーナーたちの中から新たに三名が転化した。先の様子を見ていた者は、即座に装備を脱ぎ捨て、ヘルメットを外したが、変化に戸惑うあまり、レイヴンたちの攻撃から身を逃すことができない。防具を外さなければ体が弾ける。しかし、外せば格好の的だ。ぶつけられた瓦礫片が容赦なく肉体を破壊する。そして、体内の再生臓器抽出物が残っている限り、彼らの体は修復してしまう。どちらにしても待っているのは苦しみなのではないか、とジレンマに陥ったクリーナーの一人が、装甲車両の上部に備えられた大口径無反動機銃から戦場を撃ち荒らした。  誰を攻撃すれば作戦が遂行できるか、ではない。彼らにとっては、何をすれば自らが助かるか、だ。  何をしようといずれは自分も怪物になると考えているようだったが、倒せと命令されたのはgarbageで、自らの成れの果てであるかもしれない同系統の怪物だ。果たして何をすればいいのか? それがクリーナーたちの曖昧模糊たる命題となってしまった。  「悲惨だね」  カルミアが皮肉も捻り出せず、そう呟く。 「今近づくのが得策とは言えない。場が落ち着くまでは静観するしかない」  レイジはそう言って、カルミアの方を見た。 「ひゃっ!?」  スバルが小さく悲鳴を上げて身を縮める。 「どうした」 「目、目が……」  スバルは口籠ったが、何を伝えたかったのかが次の瞬間に、他の二人には分かってしまった。 「その建造物にも生体反応があったぞ! 目標は三階、右から四つ目の窓だ! 怪物以外も殲滅しろ!」 「目が、合っちゃい、ました」  カルミアが舌打ちをして、即座にレイジと同じ行動を取った。すなわち、窓から離れる回避行動だ。スバルは遅れて後に着いてくる。  機銃の掃射がこちらに向いた。腐蝕されたコンクリート壁は弱く、強烈な熱線により容易く焼かれてしまう。元より窓ガラスは割れ切っていたが、そんなことも関係なく、建造物内に熱線が飛び込んでくる。 「ナガレたちまで見つかるような動きをするなよ」 「分かってるよ!」 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」  三人が散り散りに別の方向へと走り出す。レイジは上階、カルミアは同階の奥、そして、スバルは下階の地上へ。前者二人が自らの行動を計算しつつ動くのに対し、スバルだけが遮二無二、頭を両手で庇いながら屈んで駆けて行った。 『レイジ! 大丈夫かい!』  ナガレたちのいる建造物方面にマスクを向けると、赤外線通信が入った。 『大丈夫に見えるなら眼鏡の度を見直した方がいい』 『僕らにできることは?』 『待って隠れていろ。連中に見つかればお前の格闘術では瞬時に殺される』  了解の返事を待たずに、レイジは無反動銃を抜き取り、エレベータのドア前へと走った。自動であったドアが半開きのまま放置されていたからだ。中にはケーブル類も見える。これを伝えば脱出への道が拓けるかもしれないと考えたのだ。  ネームレスたちへ全力を注いでいたクリーナーの一部が、レイジたちのいる建造物へと入ってきたらしい。雨音の中、がちゃついた音が下階から聞こえてくる。  レイジはエレベータを上下させる太いワイヤーを壁面近くに見つけると、すぐさま飛び移った。濡れたグローブの内側が滑り、摩擦により、すぐに熱を持つ。しかし、耐えられないほどではない。  エレベータの籠は地下二階まで降りている。これなら、逃走の目も出てくるはずだ。 「カルミア、やり合うなよ」  いかに高周波ナイフがボディアーマーを裂くと言っても、遠距離用の武器に射出式ダートナイフしか装備しないカルミアが、訓練されたクリーナー複数と渡り合えるとは思えない。加えて、もしも、ネームレスに転化したレイヴンの元人間たちまでがこちらに向かえば、三つ巴の騒乱が起こる。  エレベータの籠直上まで降下したレイジは耳を澄ませて、周囲を探る。何者かの気配は、果たして、複数あった。  しかし、どうにも様子がおかしい。声はすれども、意味のある音ではない。レイジは籠の天板をゆっくりと外すと、籠の内側へと降り立った。そして、開かれたドアから彼は見た。 「……ヤタガラス!」  地下二階、駐車場跡にいたのは、人間よりは大きいが、先日討ち倒したものの半分ほどのサイズの、崩れたヤタガラス“たち”だった。二十は下らないであろう数のそれらは、一様に呻き声を上げて互いをついばむか、壁に頭を打ち付けるか、あるいはひたすらに地面をゆっくりと叩いている。 「成り損ないのネームレスたちか」  このネームレスたちには、整った形の頭部がなかった。転化の最中に脳が変化し、知性を失ったのだろう。置き去られた車に磔にされた一体の崩れネームレスは、どうやら処分される予定だったようだが、無情にもそれは生きていた。修復機能が作用していたのだ。 「コロ、シテ、クレ」  レイジを認めた一体の成り損ないが、緩やかに這い寄りながらそう言ったのを聞く。 「コロ、シテ」  レイヴンたちは、再生臓器抽出物の作用機序を深く考えたことがないのだろう。成り損ないは落とされたのであろう四肢が再度生えようとして、赤子のような小さな手で這っている。 「……」  本来ならば、残されたシリンジ弾をここで使うわけにはいかない。カルミアが撃ち切った分で五本消費、また、ヤタガラスとの戦闘時にも一本、シリンジ弾は破損してしまっている。残るは四本。万一、ニカイドウが転化の兆候を見せた時のために一本を、また、ホームで何かあった時のためにも余剰分を持っておきたい。  だが、とレイジは思考する。糞尿を垂れ流しつつも、自らや他の成り損ないとともに汚物を喰らい、生き続ける他ない彼らに引導を渡してやるのもまた、人の情というものではないだろうか。いかなる状況でもレイジは冷酷に殺人を繰り返してきた。命乞いをしたgarbageを抹殺した数など、もはや数えていられない。  ならば、ここが転機なのではないだろうか。 「……いいだろう。だが、お前一人しか救うことはできない」 「ア、リガ、ト、ウ」  最も強く知性が残ってしまった個体を選び、レイジはシリンジ弾を直接心臓と思しき部位の上に突き立てた。そして、高周波ナイフで首を切断し、即座に頭部を水平に二度裂いた。その腫れた目蓋からは、涙が零れ落ちていた。その様子を見ていたらしき個体たちの一部が、我も、と這いずり近寄ってくる。この男なら自分たちを解放してくれるのではないか、と残されていた最低限の知性をもって感じ取ったのだろう。  レイジは、その一体一体を弔うことができないことがわかっていた。彼にできるのは、殺しだけだ。しかし、それも無慈悲な行為ではない。できることなら、とレイジの胸に憐憫が芽生えていた。だが、状況がそれを許さなかった。駐車場へと四人のクリーナーが駆け込んできたのだ。 「目標を発見。怪物も多数。これより、元クリーナー:レイジならびに化け物を殲滅する」  応、とクリーナーたちが声を上げるとアサルトライフル形状の無反動銃の銃口がレイジに向いた。油断したつもりはなかったが、敵の探索能力を甘く見ていたのは確かだった。 「なんだ、この不気味な化け物は……」  クリーナーの声に、レイジは答えてやる。 「人間だ。力を求め、命を求め、そして失敗した、ただのありふれた人間だ」 「何を言っている、元クリーナー……」 「ありふれた人間をこうしてしまったのは、ホームの人間、アイザワだ」 「アイザワ検疫官が? お前、何を」   短く笑ったクリーナーたちに対して、レイジが声を張る。 「低級品で修復を行なってきた者がいればすぐに離れることだ。お前たちが見たような、あるいはこのような化け物に成り下がる前にな」  クリーナーたちは一瞬目配せをして、無反動銃を構え直した。そして、トリガーが引き絞られる瞬間、思いもよらない事態が起きた。  成り損ないのネームレスたちが一斉にクリーナーたちに飛びかかったのだ。 「なっ!?」  物量差は歴然だった。クリーナーの一人が完全に肉塊に飲み込まれるまで、ものの数秒。他の三名も、少なくとも片足が包み込まれている。 「手榴弾を使え! 早く数を減らすんだ!」  レイジは破片手榴弾の効果範囲から逃れるべく、放置された車の影へと身を隠す。耳をつんざく破裂音と共に、肉片が壁面いっぱいに飛び散った。しかし、成り損ないたちは止まらない。むしろ、傷を受けた部位同士が別の個体と結びつき、巨大な一つの個体になり始めていた。再生臓器抽出物の修復作用が、自他問わず細胞同士を繋ぎ合わせている。 「応援を呼べ! 応援をっ──」  口元まで覆われてしまったクリーナーの一人が、肉塊から唯一突き出せていた手に持っている無反動銃を乱射する。熱線は四方八方に飛び、別のクリーナーの胴を焼き切った。そして、最後に残った一人のクリーナーが絶望によってか、冷静さを失い、その場から逃れようと這々の体で駐車場出口へと向かう。  だが、逃避行は三メートルと保たずに終わりを告げた。クリーナーのボディアーマーの、膝の繋ぎ目にダートナイフが突き立ち、たまらず転げ、肉塊に飲まれた。 「無事かいレイ、ジ……!?」  姿を現した満身創痍のカルミアが、絶句する。レイジは刃を収めるよう手を動かし、静かに言った。 「安心しろ、どうもこいつらは俺に危害を加えるつもりがないらしい」 「こいつら、ネームレス……?」 「その成り損ないだ。レイヴンの人間も確実に知性を保っていられたわけではないらしい」  蠢く肉塊から距離を取るカルミアに反して、レイジは手を差し伸べて肉塊に掌を乗せた。 「死に場所を求めている。圧倒的な火力で与える、彼らの修復能を超える致命傷が必要だ」 「ウ、オオオ、アアアアア……」 「お前たちを今殺してやることはできない。だが、ついてくれば報復の機会と死を与えてやることができる」 「本気なのかい、レイジ。もう言葉を理解しているかも怪しいよ」  肉塊には、もはや表面に発声器官を見つけることが困難だった。それでも、レイジは語りかける。 「話が理解できていれば、後を追ってこい。いいな」  とん、と拳を肉塊に当てると、彼は駐車場を出る通路へと走った。途中、物陰に隠れていたスバルを発見する。 「よかったあ……助かったあああ……」 「お前はどうやって乗り切ったんだ」 「とにかく隠れてやり過ごして……って、後ろのアレなんですか!?」  レイジは答えもしなければ、振り返りもしなかった。次にやるべきことがはっきりしていたからだ。  新宿駅跡前の道路は血肉と雨に濡れていた。今も戦っているネームレスがいたが、クリーナー側の人間だったのか、それともレイヴンの陣営だったのかはもはや分からなくなっている。もはやそのやりとりに文明は感じられなかった。殴り、蹴り、噛みつき、敵を食べ、傷付き、修復し、そして、また殴り……。  そんな原始の戦場を掠めるように、レイジたちは移動した。その背後で、肉塊は死体を吸収しつつ追ってくる。その様相はさながらハロウィーンのようだ。誰もが狂い猛り、得るものは何もないことを除けば、仮装のような非現実さがそこにはあった。 「あの連中も殺っちまえ!!」  レイヴン側であったのであろうネームレスがこちらに気付くと、手近な物を投擲し始めた。瓦礫、ひしゃげたガードレールの破片、破損した無反動銃のパーツ。あえて知性の低い言い方をすれば、尖っているか重たいか、いずれにせよ痛そうな物をなんでもだ。 「レイジ!」 「分かってる。やるぞ、カルミア」  二人は駆け出し、二手に分かれた。スバルはその後ろで悲鳴を上げながらしゃがみ込む。しかし、彼女の後ろにはさらにこの世のものとは思えないような成り損ないのネームレスが続いていた。その粘着質な這いずりの音が近付くと、彼女はさらに大きく悲鳴を上げて、カルミアについていく他なかった。 「その無反動銃は使えるか!?」  レイジが、身を屈めて礫を避けながら、カルミアの足元に転がるアサルトライフル形状の無反動銃について言及する。拳銃型よりもバッテリ容量と出力に優れるそちらが使えた方が、熱線の散乱しやすい雨天の只中では有利だ。 「どこを見ればそいつが分かる!」 「緑のインジケータが点灯していれば正常に稼働する!」  なら、とカルミアはそれを蹴って寄越した。濡れた路面を滑って、がしゃしゃ、と音を立てながら無反動銃が移動する。彼女はその蹴った足を上から下ろす時、自身を狙っていたネームレスの頸部にダートナイフを射出。 「魔女がまだ邪魔すんのかァ! オラァ!!」  ナイフは命中したが、相手の攻勢が止むことはない。迫るネームレス。レイジは迎えに行った無反動銃のストックを肩に当て、立て膝を突くと、カルミアに拳を当てようとする個体に三点射撃を行う。瞬間的に振り返り、自身に衝突する寸前だった鉄板をも撃ち抜いた。 「礼は言わないよ!」 「求めてないからな」  その返答に、マスクの下でカルミアがにやりと笑む気配がした。 「お前らはどっちなんだ!? garbageか!? それとも味方なのか!?」  転化したての元クリーナーが戸惑ったように鈍器めいた鉄柱を掴んでまくし立てる。レイジはその様子を見て、人間の尊厳を想った。物質的な文明の大半が失われた廃都東京にあって、文明のリセットは、今度は個体間でも起きた。彼らが求めるのは、他でもない、自身の安全だ。生命の維持だ。そこには人間の見た目を捨て去った、生物らしい本能に従う者しか見当たらなかった。  尊厳とは何だ? 生きる意味とは? 彼は射撃を繰り返す中で思考する。こんな姿になって彼らには何が残されている?  ここを生き延びたとして、あるいは逃げ延びたとして、この先があるのか。アイザワの目論見に従った、このような地獄の中には、何が。 「レイジ、ぼーっとしてんじゃないよ!」  レイジの背後に回ったネームレスが一体。彼は視界の端に黒いボディーアーマーの破片を見た。長物の無反動銃は取り回しがやや悪い。それ故に、彼は照準を合わせるのが遅れた。そして── 「ぎあああああッ!?」  何者かが無反動銃でネームレスの顔を焼いた。 「れ、礼は要りませんよ!」  スバルだ。上擦った声で、彼女が声高に宣言した。見れば、彼女はレイジの手にした物と同型の無反動銃を構えていた。 「馬鹿、カッコつけてんじゃないよ!」 「えっ、きゃっ!!」  射撃後に無防備だったスバルに、三体のネームレスが集結する。元クリーナーだ。三者がいずれも知性を失っていると見えたが、作戦目標である殲滅対象の顔を覚えていたらしい。よろめいた足取りだが、着実にスバルを取り囲んでいく。  レイジはそれを救うべく無反動銃の引き金を引き絞った。だが、きし、という音を立てるだけで、熱線は照射されない。バッテリ切れだった。 「応戦しろ!」  レイジが無反動銃を鈍器として逆さに持ち替えながら叫び、駆け出す。拳銃型無反動銃で照射。だが、焼けついたのは皮膚表面だけだ。駆けろ。間に合うか、いや、間に合わせろ。  何故? 自問する。そして、即座に自答する。そうしなければならないと思ったからだ。 「ふっ!」  スライディングの要領で飛来する瓦礫を避けると、レイジはスバルの下へと急ぐ。カルミアは眼前にいる、別のネームレスを相手取っていて動けない。援護するにも彼女の位置からでは遠すぎた。自分が行くしかない。 「助け、助け……て……」  スバルはすでにネームレスの包囲の中だ。あと十歩、いや、七歩で行け。  レイジは咆哮しながら無反動銃を振りかぶり、ネームレスの頭部へとストックを叩きつけた。ぐしゃり、と音がして対象の頭蓋骨が砕けた。 「あがら、ああ、おおあ?」  変形した頭を触り出すネームレス。他の二体もその異変に気付き、位置バランスの崩れた双眸で、スバルとレイジを交互に捉える。圧迫され切った脳が下した判断は、こうだった。  とにかく、脅威である、この男を、殺せ。  奇声を発しながら両腕を振り回すネームレスたち。それをレイジは無反動銃の銃身で受けた。一撃でそれはばらばらに崩壊してしまう。 「ちぃっ」  スバルは機を見て四つん這いに逃げ出すが、またも短く悲鳴を上げて進路を変えた。 「スバル、援護しろ!」 「レイジさん、逃げ、逃げて、あの人たちが来ました」  レイジが身を躱しながら、そちらを見れば、成り損ないたちがじわじわと近付いていた。 「レイジ! ここはあいつらに任せるよ! もうあたしらじゃ保たない!」  戦場の真っ只中で、レイジは加勢というもののありがたみと恐ろしさを噛みしめざるを得なかった。成り損ないは、手近な元クリーナーを捕食した。断末魔がこだまする。瞬間的に戦場中のネームレスがその様を見た。  ばきばき、と。めきめき、と。そして、じゃく、じゃく、とネームレスが咀嚼され、吸収されていく。  最悪が形を成したような様子に、意味を成さない悲鳴が混じる。  阿鼻叫喚だった。  自らの力を過信していたレイヴンのネームレスですら、慄いているのが分かった。その隙にレイジは大音声で呼びかける。 「近付けばお前らもこうなる! 何も考えられない肉塊にな!」  知性の大部分が残ったネームレスはそこで一時的に行動を停止し、成り損ないから身を隠した。そうでない個体は、無謀にも成り損ないの方へと雄叫びを上げながら迫っていく。結果は、言わずもがな、だった。  ついに彼らは、警戒しながら一台の装甲車両に近づくと、助手席の、外から見えにくい位置に一人のクリーナーが身を潜めているのを認める。レイジは車体を蹴りつけると、無反動銃を向けた。 「たっ、助け──」 「助かりたければ今から言う通りにしろ」   臆病なクリーナーは戦線から装甲車両を離脱させた。レイジたちは大きな道を選ばせ、肉塊が追ってこられる速度で走るように指示を出す。  ナガレたちのいた建造物付近で赤外線通信を探査すると、しばしのちに、合流可能だ、という返事がきた。装甲車両が停止すると、肉塊も一定の距離を保って待つ。 「レイジ、後ろのアレって、もしかしなくてもネームレスだよね?」  装甲車両の後部に身を滑り込ませたナガレが、ソラを懐から出しながら訊く。 「今は協力者、いや、協力者たちだ」  逃走するのに利用したクリーナーが、喉元に当てられたカルミアのナイフに怯えながら口を開く。 「どこに行けば?」 「西の東京大壁門だ。速度は、後ろの連中が着いてこられる程度でな」 「……検問で俺もあんたらも殺されるぞ」 「お前は今死ぬか、それとも一縷の望みに賭けるか、どちらがいい」  クリーナーが、わかったよ、と硬い表情で言った。  東京を囲う大壁の門へは二時間ほどかかった。途中、殿を務めさせた肉塊かに、渋谷駅跡周辺に放置してあった巨大ネームレスや、ヤタガラスの捕食をさせるために寄り道した後、一行の進行速度は上がった。  肉塊はヤタガラスの肉を捕食してから、明らかに移動速度が向上した。見た目は七本の腕やら脚やらが生えた、赤黒い、十メートルほどの肉の塊だったが、器用に体を用いて移動していた。 「あんな化け物が東京を出たらホームはお終いだぞ。いいのか」  クリーナーに、レイジが返した言葉はこうだった。 「ホームなんて集団は七年前から終わっているようなものだ」  東京大壁門が見えてきた。高さ五メートルの壁の上部には、暴雨シートの被せられたライトと機銃が見える。そこには防毒装備をした門番が左右に四人ずつ立っていた。一様に、何事か、という挙動をしている。  装甲車両が近づく時、レイジはアクセルを踏み込ませるよう指示した。さも、肉塊の化け物から逃れているかのように。 『接近する車両に告ぐ。脅威排除が認められるまで東京都内で待機せよ。繰り返す──』  男からの短波通信を車両内部の無線で受けると、カルミアが凄む。 「さ、あんた。緊急コードでこじ開けんだよ」  運転席のクリーナーの喉元に当てがわれたナイフが、皮膚を薄く斬り裂く。 「き、緊急コード119011。車両の通行許可を。後部の脅威から守ってくれ」 『──許可した。早急に通過せよ』  分厚い鉄扉の四連シリンダ錠が、轟音を立てて動き、車両がぎりぎり通れるだけの道を用意した。そして、壁上部の機銃が肉塊のネームレス集合体に発砲を開始する。 「よし、カルミア。一度身を伏せて通り抜けるまで頭を出すなよ」  門を通過する際のチェックなどを受ける、内部機関の作りは甘い。簡単な柵と下級の検疫官が置かれ、乗務員の状態をざっくりと確認するだけだ。そこを、装甲車両は誘導員を撥ね飛ばす勢いで直進した。誘導員が手にした赤いライトを掲げて叫ぶ。 「止まれ!」 「アクセルはベタ踏みでいい」  レイジがそう言うと、クリーナーも自棄になって全速力で車を駆った。装甲車両は車返しなどを避け、柵をひしゃげさせ、そして後方からの銃撃からも逃れた。  壁を、ついに越えたのだ。 「やっとあたしらも東京都民じゃなくなったってわけだ。じゃあね、廃都東京」 「あのでっかいネームレス、よく使えましたね」 「レイジの手柄だ。でも、本当にどうやってあんなものを従えたんだい?」  レイジは何も言わず、運転席のクリーナーをドアから蹴落とした。そして、ハンドルを持ったままニカイドウに運転席を譲る。今やあのクリーナーも逃亡者だ。誰に頼ることもできまい。  無言で高速道路跡を行く途中、ナガレが思い出したように言う。 「ニカイドウ、そう言えばアレをレイジに渡すタイミングなんじゃないか?」  「おー、そうだったな。実は隠してたもんがあってよ」 「なんだ」  ニカイドウが運転しながらパーカーのポケットから小箱を取り出した。 「東京から脱出したら渡そうって思ってたんだよ。見つけたのは昨日だし、めっちゃ思い付きなんだけどな」  小箱の正体を知ると、レイジはそれを開き、無反動銃の出力を下げた。そして、中身を咥えてから点火する。久方振りの紙巻煙草は、レイジの肺を重たく満たす。  廃都東京の雨天圏外へと出ると、面々は窓を全開にして外の空気を思い切り吸い込んだ。ナガレが防毒マスクを脱いで、晴れやかな顔で言う。 「このまま旅に出たい気分だね」  レイジは、ほんの少しだけ口の端を歪めて笑みを作ろうとしたが、上手くいかず、煙草を深く吸い込み、吐いた。 「愛する我が家を破壊しに行くのが済んだらな」
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