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13:解決
『la maison』から出た総一朗と朔音は、ファミレではなく、早朝まで開いている個室居酒屋へと行く事になった。と、いうのも。
「ふわぁぁ。あのね、総一朗坊ちゃん? 僕ね、旦那さんとぬくぬく寝てたの。それをたたき起こされた僕の心情、どう思う?」
「「……」」
腕と足を組み、憤然と睥睨するオメガの青年に、総一朗は苦笑いし、朔音は目を瞬かせる。
淡い栗色の髪は柔らかそうで、華奢な体は中性的で、彼がオメガの中でも上等の部類に入ると分かる。その態度から、彼が孤高の女王様に見え、一筋縄ではいかないと直感的に思った。
「ま、まあ、花楓さん。夜更けに呼んだこちらも悪いですけど、これもお仕事ですから」
「仕事? 一介の経営アドバイザーである僕が、深夜にできる仕事? それ、本当に仕事じゃなかったら、すぐに旦那さんと逃避行するけど?」
ふん、と鼻息荒くした高慢な態度の青年も気になるが、総一朗の態度にも朔音は首を傾げる。
『四神』の寒川家の当主が、経営アドバイザーと称している相手に下手に出ている。この人は一体……
「あの……」
「あ、済まない朔音さん。放置してしまって。えーと、彼はうちの経営アドバイザーをしている藤田花楓さん。昔、俺の教育係をやってくれたのもあって、どうしても萎縮してしまってね」
「ふぅん。総一朗坊ちゃんは、僕の事をそう思ってたんだぁ。へぇえ」
「だから、そうやって周囲に棘を出さないでくださいよ、花楓さん。それから、花楓さん。こちらの彼は『扇合』の香月家次期当主である、朔音さん」
「棘って、別に僕は……え? 香月家の次期当主?」
花楓と呼ばれた美しいと周りの誰もが言いそうな容姿をしている彼は、唇を尖らせてカシスオレンジを飲んでいる姿すらも、可愛らしい。
そんな彼は朔音の素性を聞いた途端、大きな目をパチリとさせ、朔音をじっと見つめてきたのだ。
「香月って、確か玲司の番だった……よね?」
首を傾げる姿さえもあどけなさを残しつつも妖艶で、こんな美しいオメガも居るものかと感心していると、二人の話はどんどんと進んでしまい、朔音は追いつくだけで精一杯となったのだった。
「へぇ、オールドミスのアルファねぇ。っていうか、ほぼソイツが犯人確定じゃない?」
「え。どうしてですか?」
思わずテーブル越しに身を乗り出した朔音に、花楓はニッと笑って口を開いた。
「単純に考えてみようか。基本的にアルファはオメガに惹かれる体質なんだよね。で、そのオールドミスのアルファよりも、玲司の番の方が家格が上で、更にアルファと番う事のできるオメガ。そのキモ男は当然デメリットしかない婚約者のアルファを捨てる。で、プライドの高いオールドミスのアルファは、玲司の番に嫉妬したんじゃないかな」
疑問を口にした朔音の言葉を、藤田はつらつらと見てきたかのように話す。
凄いなと感心していた朔音に。
「早々にオールドミスアルファを捕まえた方がいいかもね。アルファ女の嫉妬ってかなりタチが悪いみたいだし、それこそ犯罪さえも厭わない思考になってるかもしれないし」
藤田はカシスオレンジを飲みきるとテーブルに置き、
「そのオールドミスの家……紫村だっけ? あそこかなり経営危ういみたいだし、当主のすげ替えした方がいいと思うな。なんなら僕が直接動いてもいいけど」
「花楓さんが自らですか?」
と、花楓からの提案に目を見張ったのは総一朗。
「そうだよ。だから、深夜にも拘らず僕を呼んだんじゃないの?」
「いや……、そういった腹積もりはなかったんですけど」
「まあ、ぶっちゃけ僕も玲司の番が気になるのもあるんだけどね。うちの旦那さんが手放しで良い子だって言ってたから。それに、あの玲司の番だよ? 興味持たない方が可笑しいから」
艶然と微笑みを浮かべるその姿は、純真な天使と美しい悪魔のようで、朔音の背筋に冷たい何かが走るのを感じていた。
それ以上に、花楓が興味を持つ玲司も怖かった、と悪寒が走ったのは言うまでもない。
じゃあ早速動くね~、と軽く告げ、藤田が颯爽と去っていった後、残された総一朗と朔音は唖然としたままだ。
「何だか苛烈な方でしたね……」
「あの綺麗な顔で、結構どぎつい事言うんだ。あの人……」
たった二時間程話しただけなのに、重要案件を決裁する会議をしたように疲れ果てた二人だった──
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早い朝食を取った桔梗と玲司は、総一朗から電話が来るまでの間、ベッドに二人してうたた寝を繰り返しつつ、甘い時間を過ごしていた。
玲司が取り替えてくれたシーツはどこもかしこもサラサラで、益体もない会話にクスクス笑い合い、触れるだけのキスを繰り返す。
まだまだ謎の手紙等の解明はしていないものの、一番大きな不安が解消された為か、普通は発情による交わりは一週間程続くものの、ベッドに入る前に飲んだ避妊薬のが原因なのか、下半身のムズムズした感じも、体の内側から溢れる熱の気配もなく快適だった。
さっき玲司から避妊薬を差し出された時はショックで頭が真っ白になったが、よくよく考えてみれば、番の契約はしたものの婚姻自体はまだなのだ。
ここで妊娠してしまったら、玲司が愛人の子供とはいえども寒川家の恥と叱られそうだし、彼の決定に従って却って良かったのかもしれない、と桔梗は内心で思った。
正直な所、まだ母になる自覚も決意もない状態での妊娠は不安だったのだ。
多分、玲司はそんな微細な桔梗の心情に気づいて、切り出してくれたのではないかと推測する。
「玲司さん、大好きです」
彼の大きな胸に頭を寄せ好意を呟けば、「僕もですよ」と抱き締め返してくれる温もりがあって、桔梗の胸の中は多幸感でいっぱいになった。
そんな甘い時間も、昼に差し掛かる頃に終了となる。
総一朗が、桔梗の兄の朔音と、医師の藤田と、初めて見る男性を伴ってやって来たからだ。
「朔音っ」
「桔梗、顔色が随分良くなったね。安心したよ」
まさかこんなにも早く再会できるとは思わなくて、朔音をぎゅっと抱き締めた桔梗の眦にうっすらと涙が滲む。
「あ、そういえば、玲司さんに」
「昨日もお話したと思うのですが、僕の番に安易に触れないでいただけますか? いくら血縁でアルファの拒絶反応がないとはいえ、他の匂いが桔梗君につくのは耐えられないのですが」
桔梗が口火を切り出した途端、デジャヴュのようにベリッと朔音と引き離したのは玲司で、無表情ではあるものの、嫌悪感が全身から滲み出していた。
「でも朔音ですよ?」
「桔梗君が彼を大切に思うのは分かるのですが、これはもう本能のようなもので……」
「はいはい、痴話喧嘩はそこまで。話が進まないから、まずは全員着席!」
パンパンと手を叩き、この剣呑な空気を強制終了させたのは、華奢でありながらも自信に溢れた美しいオメガの男性。総一朗の番か何かだろうか。
「え……と、初めまして? 総一朗さんの番さん……ですか?」
「違うよ!」
「違うから!」
「まあ……それは追々。まずは落ち着きましょうか」
疑問を言葉にしたら、綺麗なオメガの男性、総一朗が激しく全否定し、藤田医師が穏やかに微笑んで着席を促す。彼の背後から黒い何かが蠢いているのは気のせいと信じたい。
各々椅子に腰を下ろした所で、既に疲れ果てた様子の総一朗が切り出す。
「まあ、とにもかくにも桔梗さんが元気そうで良かった。一応念のために藤田を同行させたが、後で診察してもらうといい。で、玲司は不機嫌にならない。花楓さんが付いてきたのは、俺には止められん」
「はぁい、玲司坊。久しぶりだね。旦那さんから、時々状況は訊いてたけど元気そうで安心したよ」
「……それはどうも」
美人なのに妙に口調の悪いオメガの男性は、相手がアルファだというのに臆することもなく、飄々と玲司に話しかけていた。
玲司が普段になく苦い顔をしているのは、花楓という人に苦手意識でもあるのだろうか。オメガにも色んな人が居るんだな、と感心しきりでいると。
「ああ、紹介が遅れましたね。彼は藤田花楓。私の妻ですよ」
「どうも、玲司の番君。オメガ同士、なんでも相談してくれていいよ」
藤田医師の告げた言葉に、桔梗はただただ瞠目するばかりだった。
桔梗は初めて会ったときから、藤田がアルファだとは気づいていた。しかし、穏やかな空気を纏う彼のフェロモンは常に安定していて、普段接する時はその性差すら頭から抜けてしまったのだ。
だから、玲司とそう歳の変わらないオメガが番だというの事実に、驚きが隠せなかった。
「は、初めまして。俺……いえ、僕は香月桔梗と言います。え、と、玲司さんのつ、番です」
しどろもどろに自己紹介する桔梗の顔は真っ赤で、そこに居た全員の庇護欲を誘う。
「はい、初めまして。僕は藤田花楓だよ。旦那さんの妻でもあるけど、そこの坊ちゃん二人の教育係兼経営アドバイザーもやっているんだ」
「ぼ、坊ちゃん?」
見るからに玲司よりも若そうな花楓から「坊ちゃん」という言葉が飛び出て瞠目する。隣をちらりと見ると、玲司の苦い顔が更に苦虫を噛み潰したような渋面となっていて、首を傾げていると。
「彼は、俺と玲司よりも年上だよ、桔梗さん」
疲れた顔で玲司の淹れたハーブティを飲んだ総一朗がそう言い、思わず「えぇぇ」と驚きが言葉に出てしまったのは許して欲しい、と思う桔梗だった。
しばし花楓の美魔女ぷりに騒然となっていたものの、ダイニングの空気が一変したのは、総一朗が告げた怪文書の犯人を口にしたからだ。
「桔梗さんには辛い話になるけど聞いて貰いたい。あの謎の手紙を送ったのは、Y商事に居た紫村という女性だった」
「え……」
「その後は僕が引き受けるね。彼女、葛川元部長と婚約してたのは知ってた?」
「いえ。紫村さんが婚約者が居るのは噂で知ってましたけど、相手までは……」
「で、実際結納まで済んでて、後は婚姻までまっしぐら……だったんだけど、君が入社して全てがひっくり返ってしまった」
「どういう事ですか?」
花楓の話を要約すると。
桔梗が入社し、愚劣極まりない元上司が一目惚れをし、社長に相談。当然名家である紫村家との婚約を破棄するイコール支援を受ける事ができなくなる為猛反対。しかし元部長は桔梗が諦められない上に、桔梗の実家が紫村家よりも格上の『扇合』だと知るやいなや、父親に内緒で婚約を破棄してしまった。
しかし紫村家でも薹の立った娘が婚約破棄となっては行き遅れになると危惧した。
なので、元部長には娘が次を見つけるまでは形だけでも婚約して欲しいと懇願。支援金の上乗せを条件に承諾したものの、元部長は相も変わらず桔梗ばかりを見ている日々。
あの衆人環視で繰り広げられた騒動のせいで、結局は婚約破棄が表面化。更に寒川家が介入してきたためにY商事だけでなく、多額を投資していた紫村家も巻き込まれ、彼女は全ての原因が桔梗にあると逆恨みし、その結果、あの手紙を送ったのではないかとの事だった。
「それで紫村先輩は……」
「あー、彼女はねちょっと心が疲れちゃったから、しばらく海外の方で療養するそうだよ」
桔梗が気に病まないよう花楓はそう告げたが、事実は違う。
深夜に呼び出された花楓が最初にしたのは、紫村家に関わる企業や名家に桔梗の名を伏せた上で今回の件を流布。返す刀で紫村家に直接当主の変更をお願いにあがった。
暗に当主を変えないと、紫村家は断絶の一途を辿る事になると囁き、同時に娘をこちらに引き渡す事を要求。
一家断絶よりも安寧を選んだ現当主は座を降りる事と、娘の引渡しに応じたのだった。
娘は寒川家が経営する病院の一角で、監視付きの療養を行うこととなった。
ただし恒久的な措置ではなく、いずれは退院となるだろうが、少なくとも数年単位では難しい話だろう。少なくとも、彼女が桔梗に対する憤怒の感情が消えない限りは。
療養は嘘ではない。ただ場所が違うだけだ、と花楓はにっこり微笑み、桔梗を安心させたのだった。
この事実は、桔梗以外の全員が周知している。
愛らしい玲司の番に秘密を作るのもどうかな、と思いつつも、知らぬが仏だろうとそれぞれが自分に言い聞かせる。
「そう……ですか。いつか元気になって、優しい紫村先輩に戻ってくれたらいいですね」
ぽつりと落とした桔梗の小さな呟きに、その場に居た全員が胸を打たれたのは言うまでもない。
花楓の提案により玲司が作った昼食──桔梗には胃に優しい雑炊を、他には唐辛子たっぷりのペペロンチーノと酸っぱいトマトがメインのミネストローネが出され、桔梗と玲司以外は悶絶しつつも完食し、その異様な光景に桔梗が首を傾げたのだった。
一部の壮絶な昼食会の後、オメガだからかすっかり打ち解けた桔梗と花楓、何故か朔音の三人でランチをしようと約束し、藤田の診察を受ける為に、普段は使用しない桔梗の部屋へと向かう。
「随分顔色も良くなりましたね。総一朗さんと花楓から訊きましたが、しっかり玲司さんと話し合われたそうで」
「っ、ええ。まあ……」
含む言葉を藤田から言われた言葉で桔梗の顔からは湯気が出そうな程赤く染まり、それでも小さく頷いたのは事実だったからだ。
「それで、婚姻はいつ頃に?」
「一応、籍自体は今週中に入れる予定です」
そう。この話が出たのは朝食後、ベッドで微睡んでいた時だった。
「桔梗君、僕が以前プロポーズしたのを憶えてますか?」
「……はい。今更、こんな時にですけど、返事してもいいですか?」
「ええ、状況は関係ないですし、僕は桔梗さんが出してくれる答えが欲しいだけなので」
ぎゅっと抱き締められ、桔梗は玲司のフェロモンに安心を得て口を開く。
「俺、ずっと一人で生きていくって思ってました。もしくは、父にアルファを宛てがわれて冷えた結婚をするか。だから、玲司さんにプロポーズされた時は、本当に嬉しかったんです。でも、知らない間に番になってたり、元上司の事や色んな事で頭がごちゃごちゃになって、あの時はどうしても頷く事ができなかったのは事実です。だけど、昨日の夜ベッドに玲司さんが居なくて、不安で、切なくて、胸が玲司さんでいっぱいになって気づいたんです。俺は玲司さんを無意識に求めていたんだって」
「……」
「正直、父の事に対する不安は拭えません。このままオメガである俺の存在を忘れてくれれば良いですけど、もしかしたら玲司さん達に迷惑をかけてしまうかもしれない。それでも、俺は玲司さんと一緒にこれからもずっと居たい。……玲司さんが、好きだから」
「桔梗君……、嬉しいです」
玲司は桔梗を強く抱き破顔した。
その嬉しそうな番を見て、桔梗も嬉しくなって笑みが零れたのだった。
「ひとまず、籍だけでも先に入れてしまいましょう。もう桔梗さんも成人してますし、親の同意は必要ありませんから。僕の義母……寒川の母には後日対面しましょうね。キリもいいですし、年末年始を使って会いにいくのは如何でしょう」
「え、そ、それは構いませんけど」
「寒川の家には大きなもふもふな犬たちも居ますよ。二頭共頭の良い子達なので、きっと桔梗さんも気に入るかと思います」
「え、え」
「あと、僕の下にもうひとり弟がいるんです。ちょっと癖のある子ですが、面白い子なので桔梗君も仲良くしてあげてくださいね」
「は、はい」
にこにこと話す玲司の話は怒涛のように溢れ、気づけば年末年始に寒川家に訪ねるのが決定されていた。
「ふ、ふふ。玲司さんにしては電光石火な行動ですね。お任せして、桔梗さんはゆっくりされてはどうです?」
「それはちょっと。玲司さんに任せきりは気が引けて……」
「家で甘えたがりの花楓を見てるせいかもしれませんが、桔梗さんはもう少し玲司さんに凭れてもいいと思いますけどね」
藤田は穏やかに微笑み、桔梗の頭をそっと撫でてくれる。花楓から藤田とは運命の番だと聞いていたが、妙に納得してしまったのは言うまでもない。
その後、突発的な発情が立て続けに起こるのは、桔梗の体質が精神の不安定さに直結しているそうだ。定期的に抑制剤を飲むように言われた桔梗は、どっさりと渡された薬袋を手に深いため息がこぼれていた。
「本当に子供が欲しいとふたりが納得したのなら、抑制剤を飲むのはやめたほうがいいですよ。ですが、今はそうじゃない……ですよね」
「……はい」
「うちも番になって、結婚してから数年、子供を作ることはしませんでした。いつか花楓が話すと思うので、私からは何も言いませんが。もし、何か不安になることがあれば、花楓に相談するといいでしょう。あとは……そうですね、彼については、そう遠くない内に出会うことになるでしょうから」
「かれ?」
「ふふ、楽しみにするといいですよ」
意味深に微笑む藤田に首を傾げるばかりだった桔梗だが、戻ってこないと心配した玲司によってうやむやになったのは言うまでもない話である。
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