三次元の嫁と、二次元の僕

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時間が経過しても生物学的に老化せず、人は時間の束縛から開放されたように思われた。 その点は真実で、現に僕もこの肉体は若輩時のままで居る。 しかし、だ。 人間が変わった生き物であることを示すひとつの大きな特徴は、天邪鬼なことにあるのだと僕は思っている。 何故なら今度、不老が蔓延ると世界には老化を、つまり時間の経過を肌身として感じたがる人が増えていったからだ。 受容と配給。 きっかけが起これば、価値観の逆転現象が起こるまではそう時間を要さなかった。 人が老いと決別を果たした結果、人々は次に”年齢を重ねる”行為を尊いものとして捉えようとした。 だが、それでも自分自身を老化するように成ろうとは思わない。 若い容姿で居たい、健康体で居たいというのはどの時代においても普遍的な願望だからだろうと僕はにらんでいるのだけど、とにかく不老化自体に関して言えば、それは個々人の意思の表明が尊重されるぐらいには当然の事として、当たり前な事として非老化の処置を施され、それを拒む者は皆無で赤子に断る言語は話せない。 だからこそ、人々は思考を転換した。 フィクションの間でのみ存在していた不老の存在が現実に現れると、次には逆のことをすればいい。 旧来の”2次元”の存在であった人間。 彼らの生態が改変された。 つまり、作られていった。
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