プロローグ

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彼は書道家として成功を収めていた。 だけど、ときどき心のどこかに邪念のようなものを感じることがあった。 例えば、アイドルみたいな扱いをされたとき、自分の作品を心ない扱いをされているのを見かけたとき。 胸の中をごうごうと音をたて、不快になる。 ただ、この少女と出会ったことで、その邪念とも離れ、素直さを取り戻していった。 内側にある光に委ねていけばいいのだと感じ始めていくと、不要な仕事は自然と手放すようになっていった。そのうち不快な仕事自体が来なくなり、心ない扱いをされることも少なくなっていった。 ◇ 少女に書を教え始め、2年と少しを過ぎた頃だった。 その日は暑く、縁側に腰をかけ冷やしたスイカを二人で並んで食べた。 少女が種飛ばしをしたいと言ったので、笑いながら競争した。 「私の勝ち」と少女が自慢げに言う。 チリンと風鈴の音がしたとき、彼はふと思い立った。 「今月で、この書道教室をやめることにするよ」 「え? なんで?」 「君はずいぶん成長したし、僕もとても君から学べたからだよ」 少女は悲しくなった。 「そんなの嫌だよぉ。先生、お仕事忙しいの? 授業、減らすから。先生の教室、通いたいよ」 ううんと首を横に振った。 「これは、僕と君のためだよ」
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