二 警告 – warning –

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二 警告 – warning –

 世は大正。明治の歳月(さいげつ)は、日本人にとって大きな進化の一歩であったことはたとえようのない事実であるが、まだまだ解明されない俗世(ぞくせ)の不思議が古今東西(ここんとうざい)に存在する。前人未踏(ぜんじんみとう)摩訶不思議(まかふしぎ)なる怪奇(かいき)的事件は数あれど、げに珍妙な霊能力とやらが列島を震撼(しんかん)させたことは記憶に新しい。  おれも新聞の紙面で知ったのだが、いわく千里の透視術(とうしじゅつ)を持つ御船(みふね)千鶴子(ちづこ)という妙齢の女がいた。そのひとは、封じられた箱の中の物を見事言い当てたという。これだけ聞けば、彼女の能力は恐るべき才能である。なにしろ、あらゆる箱の内情を知ることができ、千里先の内情も覗き見ることができ、さらには人体のありとあらゆる内情をも把握できるのだ。乙女(おとめ)に己を丸裸(まるはだか)にされるのは心外ではあるが、それも悪くないなと(かす)かに心くすぐられる。  しかし、御船千鶴子は死んだ。彼女は世間からインチキ呼ばわりされ、自殺をしたらしい。むごい死にざまだ。なんとなく自分の首元にも寒気を覚える。  それもこれも目の前に鎮座(ちんざ)する正義漢ヅラした死神のせいだ。  後藤祥馬と名乗る死神は、かの千里眼をも凌駕(りょうが)するらしい人間の死期あるいは人間の未来を見据(みす)えるという。  本当にそんなことが可能なのだろうか。いや、霊能力なんてものが存在するのか。御船だって、その力が証明できないから自死を選んだのではないか。  後藤はじっとりとした目つきだった。(うそ)を言っている節は見当たらないが、そもそも人の死期が見えるなんて芸当ほど信じがたい。おれは彼を真似て目を細めて見やった。 「……ほんとかぁ? じゃあ、おれの死期は見えるかい?」 「死が近い人ほどより鮮明に見えるものであって、あんたは全然、これっぽっちも見えん。長生きするんじゃないか」 「はぁー? ますます不審だねぇ。そうやって言い逃れる腹づもりだろ? おれは騙されないぞ。もう二度と、誰にもな」  力強く言うと、後藤はこれ見よがしに盛大なため息をついた。そして、ぐいっと身を乗り出して威嚇する。 「いいか、ペテン師。あんたみたいな偽物(にせもの)がのさばっているから、あの千里眼の女は死んだんだ。善意のある人間が死ななきゃいけないのは、あんたみたいなやつがいるからだ」  千里眼の女――彼もまたおれと同じく(あわ)れな女性を思い返していた。そりゃ、フーディーニの絵葉書を(彼の意図せずとも)制服の中に忍ばせているところ、心理術に興味があるのは明白だ。これが、おれの好みを知り尽くし金を横取りしようと企む詐欺師の(たぐい)でなければの話だが。  詐欺師というのは、いつだって凝り固まった心に滑り込む。そのためならば、顔を偽ることくらい造作無いことだろう、と、おれはねじ曲がった思考をこねくり回した。  しばらく、互いに睨みをきかせて牽制(けんせい)し合う。  そのちょうど、店主がうどんの丼を二杯、かしわ飯の皿を抱えてきた。 「はいよ、うどんとかしわ」 「おう、ありがとさん」  しばし休戦といこうか。  おれは(はし)をつかみ、汁を飛ばしながらうどんをすすった。熱々の出汁(だし)がしみこんだ極太の麺は舌で噛めるほど柔らかく、ずるずると吸い込んでも喉がつっかえない。ふわりと香る湯気を堪能しつつ、うどんをすすりあげていく。一方、後藤は腹ペコじゃないくせにきちんと手を合わせて、うどんを「フゥフゥ」と念入りに冷ましていた。  互いに無言でうどんを食う。 「――なぁ」  先に言葉を発したのはおれだった。かしわ飯に箸を差し入れた直後である。 「どうも君は、おれがアコギな商売をしていたら困るらしいな。こんなのが世にはびこるのが許せんと、そう言いたいわけだ」 「あぁ」 「そういう(やから)を排除して、君が目指すものはなんなんだ?」  かしわ飯を口に放り込む。噛むとじゅわっと甘辛い醬油(しょうゆ)と鶏肉のうまみが広がった。それをさっさと喉へ送っていると、同時にうどんを飲みこんだ後藤がきっぱりと言い放った。 「()同胞(どうほう)の明るい未来だ」 「ほう……同胞となぁ。ってことは、君以外にも霊能者的な輩がいると」 「あぁ」  意外とあっさり白状してくれる。  彼は堂々とした面持ちで、しかし熱々のうどんを恐れるようにちまちまと、なおも続けた。 「特異な才を持って生まれたからには、世のため人のために尽くしてこそだ。そんな未来ある人間がどうして自死をせねばならん。世間の傲慢さや無知、才能を食い物にしようと企む卑劣な人間が善人を殺すんだ」  その言葉は力強く、悔しいことにおれの胸にもサクッと突き刺さった。卑劣な人間が善人を殺すという不条理(ふじょうり)はわからなくもない。しかし、口は意地悪に彼の揚げ足を取ろうとした。 「じゃあ、なにかい。君はあの御船千鶴子が善人だと知っていたの? 面識は?」 「ない。でも、俺にはわかる」 「うーん? 根拠もなしに、新聞で読んだだけの上っ面じゃないかね。君の言葉はご立派だが、それでも(かたよ)った正義感を振りかざしているようにしか見えんよ。そんなんじゃ、このおれを口説き落とすことは無理だね」  所詮は口先だけの偽善者(ぎぜんしゃ)だ。それを指摘しても、後藤は顔色ひとつ変えずにうどんの汁を(入念に冷ましてから)すすった。彼がどうしてこうも(えら)ぶるのか、皆目わからない。 「――なぁ、後藤くん。あんまり他人に指図するもんじゃないよ」  汁をすすり、一息をついてからおれは重く言った。 「百歩ゆずって、おれはいいけどさ、他の詐欺師に食ってかかると痛い目にあう。これは君のためを思って言ってるんだよ」 「俺はあんたみたいに無様(ぶざま)じゃない」  彼はきっぱりと言った。その揺るぎなさが、いまとなっては危なげにかつ(はかな)げに映った。この曇りないまっすぐな目には、赤子(あかご)がそのまま大きくなったかのような純真無垢(じゅんしんむく)たる精神が宿っている。この精神に呆れるも、我が道をひた走るさまが眩しく、さらにはこの綺麗な手を脇道のぬかるみに引っ張りこんで汚したい気分にも駆られた。こうもあらゆる感情に掻き立ててくれるものだから、やはり彼は正義漢の皮をかぶった死神なのだろう。  無意識にため息が出る。すると、ほのかにいりこ出汁の匂いがした。 「わかったら、二度とここらへんで商売するな」  後藤が言う。ここまでは、彼のその正体不明な正義に恐れをなしていたが、おれはとっくに調子を取り戻し、薄ら笑いを返してやるくらいのことはした。  彼は非常に素直だ。さもなくば、とんだ馬鹿垂(バカタレ)である。頭でっかちな上に信憑性(しんぴょうせい)がないので、相手にするだけ阿呆らしい。 「別に君だけの道じゃなかろうに……へいへい。わかりやした、そのお言葉、しかと胸に刻んで明日を生きよう」 「誠意が見えん」 「あは。誠意なんざ、母ちゃんの腹ん中に置き忘れてきたわい」 「はぁ、まったく。いい加減、学んだらどうだ? そんな自堕落な生き方はせず、大の男なら真っ当に生きてみろ」 「君は、おれのなんなのよ? 小姑(こじゅうと)ですか? 初対面のおれに説教垂れるほど偉いのかい、君は?」  論争は互いに一方通行だった。そうなれば論争など激しく不毛だ。早々に辞退する。  このうるさい小鼠をどう黙らせようか――あ、そうだ。  おれは挑戦的にパチンと指を鳴らした。  すると、彼は眉間にしわを寄せたまま黙った。その間、わずか数秒。すかさず、おれは内ポケットからを抜く。  引き金を引いて、 「悪く思うなよ」  バチッと弾く破裂音が鳴る。銃口からは花びらと紙吹雪が噴射された。なんてことはない。ただの玩具(オモチャ)だ。しかし、この細工は非常に効果抜群だった。 「ははっ、(はと)豆鉄砲(まめでっぽう)を食らったような顔してやがる。びっくりしたろ?」 「……びっくりしてない」  しかし、言葉とは裏腹に声には悔しさと恐れが混じっていた。なんだか初めて人間らしい反応をする。これが愉快で堪らない。おれは口元を押さえてクスクスと笑った。してやったり。わはは。ざまぁ。自称霊能者も所詮は人の子なのだ。 「いやぁ、いいもんを見た。よく出来てるだろう?」  ピストルを優雅にポケットへ仕舞うと、後藤は「悪趣味」と、それだけを投げつけた。その声にはたっぷりの憎悪が込められている。  *** 「放蕩息子(ほうとうむすこ)」だの「金食い虫」だの散々言われて育ったものだが、それが(たた)って(ひね)くれて、本当に金をふんだくったのが三年前の話である。総額にして約百円相当也。己が産んだ息子を「金食い虫」だと言うのなら、そうなってやろうとしたまでだ。  まったく、どいつもこいつも「男なら、お国のためにより良い仕事に励むべし」だの「働かざるもの食うべからず」と言う。それはしがない農民家族、松葉(まつば)()も例外でなく家訓に掲げており、この松葉家の長男こそがおれである。  また、おめおめと帰郷してからは、こうして悪銭(あくせん)をかき集めてはのんべんだらりと生活しているわけで家族に(うと)まれるのは言うまでもない。家にいれば「働け」と叩かれ、外に出れば「インチキだ」と叩かれ、どこにも行き場はない。かと言って大恥をかいた東京でもう一度何かを成し遂げようという気概もなく、その日暮らしで生きていた。  だからいまさらなのだ。  こんな学生に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられても、毛ほども心が動かない。むしろ、このまっすぐで勤勉な学生をどう利用しようかと悪知恵を働かせる。 「――君、未来を見るとか言ったな。その割には大したことないんじゃないの? おれがいつどこでなにをどのように物事を動かすのか見破れそうなものを」 「だから、俺が見るのは人の死だ。その人に降りかかる不幸だけ……と言っても理解出来んだろうがな。あの千里眼も、出来んときは出来んと、(いさぎよ)く言えば無駄死(むだじ)にはしなかった」 「君にはそれがわかっていたと?」 「あぁ」 「詭弁(きべん)だ。所詮は過去のこと。証明にはならんね」  未来の証明など、不可能である。それは、うちの阿呆な弟たちでも、なんなら口がままならん末の妹でさえわかることだ。  もう一度言うが、未来の証明は不可能である。 「それは何故(なぜ)か……誰も知らん世界だからさ。未来を観測する装置があるというのなら話は別だが、しかし現代科学の総力を上げてもこの証明は不可能であり、不毛だ。お告げだの予言だのもそういうものだ。要は、世間に出回った事件を、さも自分が『どこそこの誰がどうなったと、先日俺は確かに言った』と言ってしまえば、事後でもお告げの対象となる。未来霊視(みらいれいし)の完成だ」  きっぱり断言すると、後藤は汁の一滴を悔しそうに舐めた。そう見えた。 「霊能者を名乗るのなら、出来んときは出来んなどと言ってはいけない。いつでも出来るようにしておくのが一流だ。君が思っているよりも人間は邪悪に出来ているんだから、せいぜい足元を(すく)われぬよう鍛錬(たんれん)しておきたまえ」 「じゃあ、あんたはいつでもその〝魔法〟とやらを使えるとでも言うのか」  彼は丼を台に置き、静かに問うた。  おれは澄まし顔をつくると、傍にあった湯のみを引っつかんだ。腕を伸ばし、湯のみを遠ざけて持つと、トントンと伸ばした腕を片方の指で叩いていく。手首まで到達した瞬間、湯飲みの中で「チャリン」と銅貨が落ちる音がした。  おれは無言で湯のみの中を彼に見せた。 「こいつのタネがわかるかい」  訊くと、後藤は形のいい太眉を寄せた。しばしの思案。 「……手先は器用なんだな」  ようやっと口から出たのは、負け惜しみの一言だった。どうやらタネはわからなかったらしい。 「その器用さを他のことに役立てようとは思わんのか。くだらない遊びはやめて、まともに働け」 「この()に及んで口が減らないガキだなぁ。タネがわからんくせに」 「あんたのそういう姿勢が気にくわんだけだ」  言い争っても(らち)が明かん。  おれは湯のみをドンと置き、やかんから茶を乱暴に注いだ。そして気前よく、銅貨を台の上に置いた。店の奥から店主が(たん)を吐く音が聞こえたこともあり、長居すると面倒な様子がうかがえる。 「さて、うどんも食ったし。そいじゃあ、そろそろこの辺でお(いとま)するよ。あぁ、気にすんな。払いは持つ」  若気(わかげ)(いた)りということで、罵詈雑言の数々は水に流そう。腹を満たし、二度も騙されていてはなにも言えまい。  後藤はこの銅貨を見やり、不機嫌(ふきげん)よろしくじっとりとおれを見た。無言を貫いている。いまさら()びへつらおうものなら気色悪いと吐き捨てるものだが、飯をおごってもらっといてふてぶてしいことこの上ない。  なんなんだ、こいつは。急にしおらしくなりやがる。最初はおれの技を完全に再現していたくせに。  預言者になる気はないが、おれはなんだかこれから起こる目先のことに一抹(いちまつ)の不安を覚えた。それをぐっと飲みこらえて暖簾をくぐる。 「では、後藤くん。またどこかで会おう」
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