ハイビスカス

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 二つ折りになったパソコンを開くと、目の前には大草原が広がっていた。両手を横に広げ、体いっぱいで向かい風を受ける。少しぼさっとした黒髪が後ろへとなびいていく。その瞬間、細くて筋肉質な身体をしたサラブレッドが、目の前を通り過ぎた。昔、父に連れられて競馬場に行ったとき、その足音の大きさに驚いたことを思い出したが、今、目の前を走り去った栗色の二頭の迫力は、その比ではなかった。さっきまで眼前にいた馬たちの背中は、既にゴルフボールくらいの大きさになっている。  先ほどの二頭よりは一回り小さい仔馬が、私の右足にすり寄ってくる。反対側の手に持っていた袋からニンジンを取り出して与えると、長い口をむしゃむしゃと動かし、あっという間に食べてしまった。まだ少し物足りなそうにしている仔馬の頭を軽く撫でて、その場を離れる。三十メートルくらい離れたところにある厩舎まで歩くと、若い厩務員が汗を流してブラシで床を掃除しているのが見えた。私の姿を見るなり帽子を取り、頭を下げる。右手を挙げて挨拶を返そうとしたその瞬間、目の前が真っ暗になった。  「失礼いたします。稲田健一、四十三歳です。新卒で総合商社に就職しましたが、9年前に脱サラしました。その後、北海道で牧場を経営しておりましたが、私の能力不足により経営が行き詰まり、閉鎖することになってしまいました。本日は何卒よろしくお願いいたします。」  「こちらこそ、よろしくお願いいたします。それでは面接を始めます。」 いつからだろう。少なくとも六年前に人事部採用課に配属された当初は、他人の過去を見られる能力はなかった。今は、履歴書を見るとその人の視点で過去を見ることができる。短ければ一分、長くても十分くらいしか見られないけれど、書類だけでは伝わらない求職者の過去を経験できるのが楽しい。新卒の時からお世話になっている小林課長にも聞いてみたけれど、そんな力はないそうだ。求職者に入れ込みすぎると冷静な判断ができなくなるぞと窘められたので、それ以来、いつも一人でこっそりと履歴書を眺めている。  「それでは面接を終わります。結果は合否に関わらず、一週間以内にメールでお知らせします。ありがとうございました。」 元牧場経営者の稲田さんは、面接の結果、ITに疎い印象を受けた。隣の席で仕事をしている人ともチャットで話す人が多い弊社で、彼が活躍することは難しいだろう。タッチパネル搭載のノートパソコンで選考管理ツールを開き、静かに不合格と入力する。窓の外を見ると、そびえたった高層ビルの隙間から、灰色の空が見えた。
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