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私がすこし落ち着いたころ、王妃が顔をしかめて息子を見た。
「リルヤについては心配ないけれど、この子が頼りないのが不安の種だわ」
「僕ですか?」
「彼女の変化は、すっかり信じ込んでしまったもの。なのに、あなたを見れば疑いも抱こうというものよ。せめて婚儀を終えるまで、大人しくしていればよかったのに」
「どのみち、母上をいつまでも騙せるとは思いませんでした。予想より早く見抜かれましたが」
ユリウスの言葉に私は驚いた。
「そうなの?」
「抜け目のない人だからね。状況が固まれば、僕は気兼ねなく振る舞うだろうし、そのうち嗅ぎつけられると」
私はつい、この一週間は『気兼ねなく振る舞う』の範疇に入らないのか、とたじろいだ。
王妃がコホン、と咳払いをする。
「犬のように言われては不快です。私に知られても構わないと呑気に構えているから、甘いというのです」
「僕たちの計画を阻むつもりがないなら、この話は式のあとでよかったのでは?」
すると王妃は思い出した顔になった。
「大事なことを忘れていたわ。シグネ」
後方に控えていたシグネが一歩進み出る。王妃が提案した。
「あなたたちの世話に幾人かのメイドがつくでしょう。事情を知る者がそばにいたほうがいいわ。彼女をやりますから頼りなさい」
次いで、シグネがにこやかに会釈する。
「お久しぶりです、リルヤさま。見違えましたわ。なによりお幸せそうで、感に堪えません。お役に立てるならと参上いたしました。どうぞ遠慮なくお使いくださいませ」
「シグネ、本当に?」
「ええ。あなたが連れ戻されたあとは淋しゅうございました。これからご一緒させていただけると嬉しいですわ」
私は心強いと安心したものの、ふとあることを思い出した。
「町に家族がいるんでしょう? ここで働くとなかなか会えなくなってしまう」
彼女がクスッと笑った。
「ご心配なく。その『家族』というのは、実際には同居人。町の暮らしに溶け込むための仲間です」
「……そうだったの」
「こちらで活動するのになんの問題もありません」
私は唐突に町を去ってしまったから、彼女のことが気がかりだった。こうして顔を合わせ、力になってくれるなんて。
「シグネ……会いたかった。これからいろいろ頼ることになると思います。よろしくお願いします」
「お任せくださいませ」
彼女は首肯してから、こちらの隣へ目をやった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ユリウス王子、お久しぶりです。お変わりありませんね」
私は二人に面識があることに驚いた。
懐かしそうなシグネに比べ、ユリウスはなぜか憮然とする。
「あなたと最後に会ったのは七年前だから、変わっていないというのは喜べないなぁ」
「まことに残念にお育ちで、と言われるよりは、よいではありませんか」
遠慮のない言葉に、私のほうがギョッとした。
ユリウスがこちらに説明する。
「かつて彼女から体術を習っていたんだ。厳しい教師だったよ」
「伸び代あればこそ、鍛えがいもあるというものです」
「十を過ぎたばかりの子供じゃ、そんなふうには考えられないよ」
「つまり、お恨みになっていると」
ユリウスは苦笑だけを返した。
私は記憶を掘り起こす。
七年前なら自分はこの城に来ている。ユリウスの教師の中に彼女がいただろうか?
するとシグネが察して答えた。
「当時のリルヤさまを見たことはありますが、あなたは私を知りません。王と王妃、そして王子の前以外では隠密行動をしていました」
ああ、やっぱり只者ではなかった。こういう人も使うのが政務なのだろう。改めて、未知の世界に来たことを感じた。
彼女が使用人らしく会釈する。
「表向きはメイドとしておそばにおりますが、いざというときはなんでもお申し付けくださいませ」
「はい、お願いします」
王妃がふと考え込む。
「私のお墨付きとしても、二人のそばに置くのは時間がかかるかしら」
それに対してユリウスが答えた。
「そう先のことにはなりません」
「よい案でも?」
「メイド長にリルヤの素性を話してあります」
王妃とシグネが驚いた顔をし、それから王妃は深々とため息をついた。
「あなたの目論見が王への反乱でなくてよかったわ……。城内は見事に裏切り者だらけじゃない」
「加担する母上が言いますか?」
「ふたつに割れれば、あなたを切り捨てるまで」
「心しておきます」
彼はいったん頭を下げてから、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ある意味、反乱よりタチが悪いと思いますけどね」
まったく悪びれずに言うものだから、みんなして呆れた。
当人はそんな空気もどこ吹く風、嬉々としてつぶやいた。
「明日の式が楽しみだなぁ」
口調は軽いけれど、覚悟は重い。
こちらの肩を抱く彼の手に、私は自らのそれを乗せた。
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