75人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
この道を、顔を上げて歩んでいく
式を翌日に控えた朝食のあと。
広間を去ろうとする際、王妃がユリウスを呼び止めた。そちらに戻った彼はなにかを言われている。
話を終えて私の隣へやってきたユリウスが、すこし考え込む顔をした。
共に廊下を歩きながら尋ねる。
「どうかなさいました?」
「部屋に来るように言われた。君と一緒に」
式の前日だから、その話だろうか。
アマリア姫として一週間も滞在しているので、準備はほぼ完了した。
一瞬、「私が気に入らなくて予定を取りやめに?」などと後ろ向きな考えがよぎる。だが明日に迫った婚礼の儀は、もはや王妃にさえ覆せない。
ユリウスがこちらの手を握って笑いかけた。
「大丈夫。僕らは共にある」
指定された部屋を尋ねると、王妃づきのメイドが室内に通してくれた。
その場にいたのは、ソファーに腰掛ける王妃だけではなかった。斜め後ろに、平民の服を着た中年女性が立っている。
私は思わずハッとした。
こちらへ微笑むのは、南の町で世話をしてくれたシグネだ。
王妃が優雅な笑みを浮かべる。
「アマリア姫は初めてですね? 私の下で働かせているシグネという者です」
「……初めまして。アマリアと申します」
隣で、ユリウスが深々とため息をついた。
「母上も意地が悪い。逃げ道を断ってから問いつめようとは」
「そんなつもりはないわ。あなたたちもまだまだね。表情がすべてを物語っている」
私が助けを求めるように横を見ると、彼は肩をすくめた。
「なにもかもお見通しだってさ」
私は状況に身体を震わせ、王妃を見、ごまかすことはできないと悟ってうつむいた。
「申し訳ございません……。命を差し出せと仰るなら従います。私はそれほどの罪を犯しました」
だが、王妃は静かな口調で応じた。
「あなたを裁くつもりはありません。私が手を下そうとすれば、ユリウスが是が非でも阻止します。あなたを排除したなら、この子は国を滅ぼすことも厭わない」
「ごめんなさい……」
「顔を上げて、リルヤ」
本当の名前で呼びかけられ、罪悪感に苛まれながら相手を見る。
彼女は息子に似た、穏やかな笑みを向けた。
「私はあなたの味方よ。一度は追放した人間がなにをいまさら、と思うでしょう。けれど私だって一人の母です。できれば我が子とその望む相手を、添い遂げさせてやりたい」
「王妃さま……」
「たしかにこれは大罪です。でも私は嬉しい。国をもってしてさえ、あなたたちの絆を砕くことはできなかった。そんな二人をどうして引き裂けましょう? 私も罪を背負います」
彼女の瞳が潤んでいる。
あたたかい言葉に、私は涙をこぼした。
「王妃さま……申し訳ありません」
ほかの言葉が出てこなかった。
この人はまだ、すべてをひっくり返すことができる。けれどそれを選択しないと言う。
私の肩を、ユリウスがそっと抱き寄せた。
王妃が感極まった声を漏らす。
「今度こそ、第二の母となれるのね」
私は感情をこらえきれずに、両手で顔を覆った。
私を城から出したこの方が、どれほど苦しんだのか。
血の繋がりはなくても、立場の違いがあっても、王妃はずっと想ってくださった。
私は切れ切れに訴えた。
「ありがとう……ございます。お気持ちを決してムダにはしません。私は……神の祝福に包まれています」
すると、王妃のふふっと笑う声が聞こえた。
「欲の少ないこと。覚悟なさい、さらなる幸福があなたを待っています。躊躇してはなりません、飛び込んでお行きなさい。その手で未来をつかみ取るのです」
「はい。この道を、顔を上げて歩んでいきます」
最初のコメントを投稿しよう!