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手放そうだなんて、誰が考えるものか
私、リルヤは王城で働くメイドだ。
このヴァルマ国は広大ではないが、豊かで周辺国との対立もなく平和である。
私はメイドとして働き出して五年、まだ一介の若手に過ぎない。だが、ひとつ深刻な秘密を抱えていた。
休日は週に一回。
前日の仕事が終われば解放感に包まれる。普通なら、明日はなにをして過ごそう、街に出かけようか、などとウキウキするものだ。
けれど私は気が重くなる。「また、やってくるのでは」と。
誰もが寝静まったころ、ベッドに腰掛けてぼんやりする。
このまま朝になればいいのに。
しかし願いは叶わず、静かな廊下を足音が近づいてき、部屋の前で止まって控えめなノックをする。
私はやむなく立ち上がり、ドアを薄く開いた。
長身で凛々しい顔立ちの青年が立っている。
押し入る真似こそしないものの、早く部屋の中に入れてくれ、と熱のこもった眼差しが訴えた。
私は冷ややかに非難する。
「もう来ないでください、とお願いしました」
「一週間は耐えた。これ以上は聞き入れられない」
「お相手を喜んで務める者は、いくらでもおりましょう。どうか、私を自由にしていただけませんか」
「他の女性なんてどうでもいい。リルヤは僕のものだ。君の瞳に僕以外を映すのは許さない」
「嘘つき。あなたは……」
言いかけたところをグイッと引き寄せられ、覆い被さるようなキスで口をふさがれた。
私は暴れるものの、たくましい身体はビクともしない。
相手はこちらの頰に唇を寄せ、耳たぶを甘噛みしたのち、首筋に舌を這わせる。そして片腕で抱きしめながら、もう一方の手で身体をなぞっていく。
部屋の入り口に立ったまま、遠慮なく求めてくる。
出歩く者がいたら目撃されてしまう。責めに翻弄されつつ、私はかろうじて口にした。
「……ここではお許しください」
「ベッドに誘っているの?」
「そんな……」
「中庭に出ようか。月の明るい夜だから、リルヤの乱れるさまをハッキリ見られる。溺れていく表情も」
「誰かに見られたら舌を噛みます」
すると相手はわずかに弱った顔をする。
「僕だって君を晒したくない。いいよね、部屋に入っても」
私は仕方なくうなずいた。
彼がドアの鍵をかけ、すぐの距離なのに、わざわざ私を横抱きにしてベッドに運ぶ。寝具に下ろし、こちらの両横に腕をついて見つめる。
私は弱々しく懇願した。
「こんなことは今夜を最後に……」
「リルヤに飽きたらね」
解放されたいと願いながら、ズキッと胸が痛んだ。
相手の長い指がこちらの髪を梳く。そして額に口づけた。
「抱くたびに綺麗になっていく君を、手放そうだなんて、誰が考えるものか」
私は泣きたい気持ちでかぶりを振った。
「あなたはいずれ、トゥルッカ国の姫と結婚される身。その前に私を捨ててください、王子」
「結婚なんて周りが決めたこと。僕が望むのは君だけだ」
「子供みたいなわがままを仰らないで……。姫はたいそう素晴らしいかたとか。迎えられれば、あなたは夢中になるでしょう」
「こんなにリルヤだけを見つめているのに」
「いっときの夢です」
すると彼は勢いまかせに唇を奪い、こちらの口内に舌をねじ込んで、中をかき回した。
淫らな口づけでこちらの思考を乱したのち、うわごとのように告げる。
「ならば、現に取って代わる、甘い夢に溺れ死のう」
こちらの首筋に吸いつき、服越しに胸を揉み、お尻を撫でる。
私は相手を押したが、抵抗に効果がないことは分かりきっている。のみならず、身体の芯に火がともる。
十五のときから、いくたび抱かれただろう。彼しか知らない身体は、相手の愛し方に取り憑かれてしまった。
しかし互いの立場がある。彼が私に情熱を注ごうと、未来は覆せない。
いずれこの人は気付く。一国の王となる自分にふさわしい女は誰なのかを。
性の知識を得た彼は、行為に夢中になっているだけだ。幼馴染みである私が手頃だったのだ。
姫をめとれば、メイドなんてどうでもよくなる。
一日でも早く切り捨ててほしかった。
ともに夜を重ねるたび、彼と肌を合わせる喜びに満ちる。だからこそ、日ごとつらくなる。
いっそ城から逃げ出せばいい。なのにそれもできず、休日の前夜を心待ちにしてしまう。
もう抱かれたくない。もっと抱いてほしい。
理性と恋情が乖離して、心を引き裂く。
どうすることも叶わない。だから、あなたがこの手を離して。
私が諭すほど、彼は意地になって執着した。
それが嬉しくて、哀しかった。
誰かに引き離されるしかないのだろうか?
彼には国を正しく導いてもらわなければならない。ふさわしい姫を妻とし、多くの子をなし、王族の安泰を保つ。
相手はすでに定められ、結婚が成立すれば順風満帆の船出となる。
そのときの私に許されるのは、遠くから見守ることだけ。この人は手の届かない存在になる。
いっそ今すぐ終わらせて。
そう望みながら、離れられない。相手の求めに困ったふりをして応じる。
いずれ別れがくる。せめてその日まで。
どうか、私たちを見逃してください。
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