今の道を選ばなかった自分へ

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今の道を選ばなかった自分へ

 済みません。  デビュー三十周年記念コンサートで、当時のメンバーが一夜限りの再結成……という企画なんですが、了解が取れなくて……。  皆さん、もう一般人になって仕事もしていらっしゃいますし、ご家族もいますから……。  あまり、目立つ事はしたくないと仰られて……。 「……まぁ、仕方無ぇよな。解散してから、二十年以上経っているんだ……」  マネージャーの言葉を思い出しながら。汽笛の響く埠頭でビールの缶を片手に、男はため息をついた。暗い海を見詰める目は、どこか寂しげだ。 「……けど、やっぱりちっと凹むな。一緒に夢を追っていたはずの仲間から、一人だけ遠く、離れちまったみてぇでよ……」  そうして、男は再びため息を吐く。缶ビールの残りを、一気に飲み干した。 「あの時……解散して、あいつらが引退するって言った時……。俺も一緒に引退していたら……こんな思いをする事も無かったのかもな。結婚して、ガキを作って、たまの休みには昔の仲間と飲んで……」  ははっ、という、乾いた笑いが口から漏れた。 「……そっちの方が、今よりも幸せだったかもしれねぇな……」 「あのー、すみません」 「ん?」  突然、足元から湧いてきた声に、男はギョッとした。そして、声の主を見て、更に目を丸くする。  目の前には、どう見ても三歳かそこらの、小さな男の子が立っていた。場所は埠頭、時間は深夜近く。どう考えても、子どもが一人で出歩けるような場所でも時間でもない。 「……どうした、迷子か? パパやママはどうした?」  しゃがみ込み、視線を合わせて問うてみると、子どもはムッとした顔をした。そして、口を尖らせる。 「まいごじゃありません。ゆうびんやさんですよ。おじさんに、ゆうびんでーす!」 「……は?」  思わず、聞き返した。確かに、目の前の子どもは帽子に、コートに、鞄に……いわゆる「町の郵便屋さん」の恰好をしている。 「郵便って、お前……今は、郵便屋さんごっこをしていても良いような時間じゃねぇぞ? 迷子じゃねぇなら、とっととおうちに帰れ。危ねぇぞ」  すると、男の子――郵便屋さんはますますムッとした。 「あそびじゃないです! ほら、おじさんにゆうびんをおとどけする、おしごとちゅうなんですよ!」  そう言って、郵便屋さんは鞄から一通の手紙を取り出し、男に手渡した。それを見て、男は「おいおい……」と額に手を遣る。 「これ、本物の郵便用封筒じゃねぇか。勝手に持ち出して……ママに叱られんぞ? ……って……」  そこで、男は息を呑んだ。封筒のあて名欄には、男の名前が記されている。漢字一文字として、間違っていない。 「……お前、何で俺の名前……」 「だから、ゆうびんだって、さっきからいってるじゃないですかー!」  偉そうに言う郵便屋さんと、封筒と。交互に見詰めてから、男は郵便屋さんに問うた。 「……開けても良いのか?」  すると、郵便屋さんはにっこりと笑って、頷いて見せる。 「もちろんですよ! それは、おじさんあての、おてがみなんですから!」 「……」  怪訝な顔をしながらも、男は封を開けた。中から二枚綴りの便箋を取り出し、目を通す。そして、再び息を呑み、目を丸くした。  あれから、ロックを続けた自分へ。  今、俺はどんな風になっているんだろうか?  ロックを続けて、楽しい日々を過ごせているんだろうか?  俺は今、それなりに幸せだ。  かみさんの飯は美味ぇし、娘は可愛いし、仲間と呑みながら馬鹿騒ぎをするのも楽しいしな。  けど、時々思うんだ。  もしあの時、俺が引退せずに、ロック歌手としてスターを目指し続ける道を選んでいたら……どうなっていたのかな、ってな。  大勢の観客の前でスポットライトを浴びて、魂を込めて歌う……。  この歳になってもそれができていたのなら、それって、すげぇカッコいい事じゃねぇか。  そんな夢を叶える事ができた自分は、ひょっとしなくても今の俺よりも幸せなんじゃねぇか、って思っちまってな……。  もし叶うなら、ロックを続けていたらどうなっていたかを教えて欲しい。 「……なるほどな」  目を細め、便箋を封筒に戻しながら、男は頷いた。そんな男の様子を、郵便屋さんはジッと、覗き込むように窺っている。 「おへんじは、どうしますか? だすなら、おとどけしますよ!」 「ん? あぁ……そうだな……」  男は、しばらく考えた。そして、「おっ」と嬉しそうな顔をする。 「よし、これを頼むわ」  懐から一枚の紙片とマジックを取り出し、紙片に何事かを書いていく。そして、マジックに蓋をすると、男は紙片を郵便屋さんへと手渡した。 「これを、返事代わりに届けて欲しい」 「はい!」  頷いてから、郵便屋さんは受け取った紙片をまじまじと見る。 「これ、チケットってやつですか?」 「あぁ。デビュー三十周年記念ライブのチケット……これで、返事になるはずだ」  頷き返す男に、郵便屋さんは「わかりましたー!」と元気なお返事をする。それから、「うーん……?」と首を傾げた。 「これ、なんてかいたんですか? ……い……ましい、ぜ?」 「お、ひらがなは読めるんだな」  笑ってから、男は郵便屋さんの頭をぽん、と叩く。 「……っつーか、郵便屋が宛先以外を呼んだら、駄目なんじゃねぇのか?」 「あ、そうでした!」  慌てて、郵便屋さんはチケットを鞄の中へと仕舞い込んだ。そして、男に向かってにっこりと笑う。 「それじゃあ、たしかにおとどけものはおあずかりしました。まちがいなく、おとどけいたします!」 「おう、頼んだぞ!」  男の言葉に、郵便屋さんは「はい!」と答え、どこへともなく走っていく。夜の埠頭の闇の中に、小さな姿が溶け込んでいった。   ◆ 「ゆうびんでーす! おへんじをもらってきましたよー!」  小さな町の、小さな家の。庭の植木を手入れする男の元に、三歳ぐらいの男の子が駆け寄ってきた。帽子に、コートに、鞄に……いわゆる「町の郵便屋さん」の恰好をしている子どもだ。  男は、相手を特に不審がる様子も無く、「おう」と返事をすると、郵便屋さんから手渡された紙片を受け取った。 「早かったな。どれどれ……」  紙片を眺め、マジックで書かれた文字を読み。男は「ほぉう……」と感慨深げにため息をついた。  その目の前で、郵便屋さんは何やらそわそわとしている。「うー……」と唸っていて、落ち着きが無い。 「あの……ルールいはんなのはわかってるんですけど……おしえてください! それ、なんてかいてあるんですか?」  問われて、男は「ん?」と紙片から目を離した。そして、郵便屋さんを見て「あぁ……」と優しく微笑むと、ゆっくりと、その言葉を読み上げた。 「可愛い娘、羨ましいぜ……だとさ。……そうか……あっちの道を選んでも、俺は幸せになれたんだな」  羨むような目で、遠くを見た。それから、「くーっ!」と、嬉しくてたまらないと言った様子で叫ぶ。 「デビュー三十周年記念で、でかいライブ……羨ましいぜ!」  その時、郵便屋さんの目には、男の姿に、もう一人の男の姿が被っているように見えた。服装は違うが、どちらも逞しく、優しい顔つきだ。  同じ顔をして、同じ声をした二人の男が、同じ勝ち誇ったような表情で、呟いた。 「ま、今の俺の方が、幸せだけどな」 (了)
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