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すっ、と一歩引いて、そのまま横に避ける。舞台俳優のような大袈裟な動きで、視聴者の注意をそちらへ促す。
「……子供?」
サヤが言う。そこに居るのは、人間の子供だった。十歳くらいの少年が、車椅子に乗せられている。
水色のチェック柄のパジャマ姿で、右腕には点滴が繋がれている。頭には白色のニット帽を被り、真新しいルームシューズを履いている。
透明な涙がぽろぽろと頬を伝っているが、それを拭おうとする素振りは見せない。見る限りでは、手と足に拘束具らしきものはない。
『ちゃんと見ているか、大統領? ……さて、クソガキ。名前は?』
テュランが優しく頭を撫でてやりながら、問い掛ける。あからさまなまでに作り物の甘ったるさに、薄ら寒いものさえ感じる。
『……』
少年は答えないまま、濡れた目でテュランを睨み上げる。そこにあるのは恐怖と、嫌悪だ。
『……この後に及んで、まだその態度かよ。まあ、良いケド。その方がアルジェントで生まれ育ったガキらしいし。でもさあ?』
少年から離れた手が、自身の背中へと向かう。まさか、あの巨大な剣を抜く気か。アーサーの拳に力が籠る。だが、違った。同じ位に恐ろしい代物であった。
拳銃。それも、画面越しでもわかる程の大型のリボルバーだ。
『――ひッ!?』
『時にはくだらないプライドなんか捨てて、何が何でも生きることに縋った方が良い時もあると思うんだケド? 俺達にはまだ、テメェみたいな馬鹿な人質は腐る程居るんだ。国中に恥ずかしい死に様を晒したくないなら、素直に質問に答えた方が良いぜ?』
恐らく、ズボンのベルトにでも引っ掛けてあったのだろう。テュランは笑顔のまま銃を構えると、そのまま少年のこめかみに銃口を突き付けた。
身動きの出来ない子供へ向けるには、凶悪過ぎる代物だ。
「あんな怪物じみた銃を、あの細腕で撃てるとは思えないが……」
彼が持つ銃は威力が高い分、反動も大きい。銃は使い慣れているし、身体も鍛えているアーサーならば片手でも撃てるだろう。しかしテュランは決して体格が良い方ではなく、むしろワータイガーとしてはかなり細い方だ。
とてもではないが、堪えられるようには見えない。
「問題ないわ、彼なら。筋力は人より上だし、銃には慣れている筈。それに……撃つかどうかなんて今は関係ない。あの銃を選んだ理由は、人間を脅すならあれくらいの方がわかりやすいからよ」
そんなアーサーを、サヤがはっきりと否定した。拳銃というのは、文明が発達した今の世界で最もわかりやすい暴力の象徴である。その中でも視聴者にも見やすいようにと選んだ代物があの銃なのだとしたら、アーサーも納得出来る。
しかし、不自然だ。サヤは今、どうして人外であるテュランを『彼』と呼んだのだろう。
『今の俺、結構ゴキゲンだからさぁ? もう一度だけ聞いてやる。お名前、は?』
『あ……け、ケイシー・エイミス』
涙目で、テュランの姿を見上げている。震える声で名前を紡ぐ、痛々しいその姿に堪えられなかったのだろう、ローランが受話器に叫ぶ。
「そ、その子をどうするつもりだ!」
『それはあんた次第だよ、大統領? 見えるか、テレビの前の人間サマ達? さて、早速だが本題に入ろうか』
柔らかそうな金髪を掻き上げて、テュラン。
『我々が占領したこのハルス大学病院には、現時点で約七百人の患者が入院している。外来患者は約九百人、その他に医者やら看護師、あとは大学生とか結構な数の人間が院内で人質として閉じ込められている状況なのは知っているだろ? でも、入院患者と外来患者を合計した千六百人、条件付きではあるが……解放してやるつもりだ』
「本当か!?」
ローランが声を上げた。条件付きだ、とテュランは繰り返す。アーサーとサヤも驚愕と戸惑いの表情で、顔を見合わせる。
人外達の襲撃は今までにも数えきれないくらいにあったが、そのどれもが人間を無差別に殺害するものだった。少なくとも、まだ二十二年しか生きていないアーサーの記憶ではそうだ。
人質を解放するなどという交渉が、彼等から持ち掛けられることなど初めてのことである。
『俺が出す条件を全てクリア出来れば、患者を解放すると約束しよう。条件は二つ。まずは大統領、あんたに』
「……なんだ?」
『アルジェントが保有する全ての軍事兵器の内、四分の一を俺に寄越せ。銃とか爆弾とか、あとは地雷とか戦車とか色々万遍なく』
「ば、馬鹿なことを!」
「四分の一……この条件を飲めば、人外は更に力を得ることになる。だが、拒めば人質を失うばかりか国民の顰蹙まで買うことになるか」
アーサーが苦々しく呟く。軍事に詳しくない一般人からすれば、「それで人質が助かるならくれてやれ」と思うことだろう。まだ人間には四分の三が手元にあるのだから、人質を奪還した後で制圧すれば良いだけの話だと。
そんな単純な話ではないことに気がつく為には、相当の時間がかかる筈だ。
「閣下、テュランは条件が二つあると言っています。もう一つの条件を聞きだしてください」
アーサーの言葉に、ローランが頷く。一度深呼吸をして、落ち着いた声で受話器に向かって話す。
「……二つ目の条件を聞かせろ。条件を飲むかどうかは、その後で判断する」
『断る。あんたに出す条件はこれだけだからな』
テュランは拒絶した。だが、ローランも譲らない。
「私に出す? ならば、二つ目の条件は誰に対してのものなんだ?」
『まずは、一つ目の条件を飲むかどうかを答えろ』
「いや、それは出来ない。お前達が望む全ての条件を先に言うんだ! それらを考慮した上で、最終的な判断を――」
『グダグダと……うるさいな』
テュランの顔から、笑みが消えた。底冷えする程に冷たい声に、細長い瞳孔は鋭さを帯びる。
そして、引き金にかかる人差し指を躊躇なく引いた。
「ま、待て――!!」
アーサーが思わず叫ぶ。当然、テュランに届く筈が無かった。凶悪な爆音に、掻き消されてしまったのだから。
喉を破らんばかりの悲鳴が、スピーカーから響く。
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