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リボルバーに残っていた弾丸を全て、胸糞悪いことを叫ぶ電話機に撃ち込んでやった。立て続けに轟く爆音に、情けない悲鳴を上げる白衣の男。
ソイツも殺してやろうと、ホルダーから大剣を抜き放つ。だが、テュランが剣を振り上げる前に、何者かによって押さえ込まれてしまった。
「はいはいテュランくん、そこまでにしなさい」
「く、そ……何だよジェズ、離せよ!」
背後からテュランの左手首を掴み、落ち着いた声で宥めるジェズアルド。テュランの凶刃が、自分に向かうかもしれないにも関わらず――最も、この吸血鬼が剣なんかで死ぬとは思えないが――テュランを止めたのだ。
「医者は便利だから殺さないって自分が言ったんじゃないですか。それに、電話機を破壊するだけでも銃弾を使い過ぎです。何より、ヴァニラさんに当たったらどうするんですか」
「そーだよそーだよ、危ないじゃん!」
ぶーぶーと頬を膨らませながら、ヴァニラがようやく抗議の声を上げた。結果的に、フェデーレという医者は殺せなかった。
恐怖に縮こまる無様な姿。見ているだけで、腹の底が焦げそうだ。
「……わかった、わかったから離せ!」
ジェズアルドの手を振り払うと、そのまま空となった銃を押し付ける。少年の頭に押し付けて撃った為に、こびり付いた血が銃口の熱で焼けた嫌な臭いがする。
テュランの頬と指もまた、赤黒い返り血で汚れていた。汚い。
「テュラン、やっぱり少し休んだら?」
「必要ねぇよ」
「で、でもぉ」
「テュランくん、可愛い恋人をこれ以上心配させてどうするんですか。少しはヴァニラさんの気持ちも考えてください」
「チッ、よく言うぜ。大体ジェズ、アンタは……」
言いかけて、止めた。いつも通り微笑するジェズアルドとテュランを交互に見比べながら、ヴァニラが不思議そうに首を傾げる。
危なかった。 誤魔化すように、大剣をホルダーに収める。
「……わかった、やることやったら休むから。もう心配するなよ」
「ほんと? 良かったー!」
「ヴァニラ、そこのビビリを病棟に連れて行け。ついでに、患者の付き添いとか見舞いとかで院内に居た使い道のない人間達を外に移動させろ。あとは煮るなり焼くなり、喰うなり殺すなり好きにしろと人外達に伝えてくれ」
「えっ、良いの!?」
テュランの言葉に、ヴァニラが目を輝かせる。人質は多ければ良いというものではなく、食糧やら何やらを世話して生かしておくのも面倒で。
それならば、暇を持て余した人外達のオモチャにする方が有意義だ。
「ただし、あんまり銃とか爆弾とか無駄遣いするなよ?」
「はーい、リーダー! ……ほら、さっさと行くよオッサン!」
蹲って、悲鳴さえ上げなくなったフェデーレを引っ張って。部屋を後にするヴァニラを、軽快な足音が聞こえなくなるまで見送る。
そして、万が一を考えて。テュランがテレビカメラに近寄ると、執拗なまでに調べる。
「……何してるんですか?」
「アンタのことだから、実はまだ撮影してるんじゃないかと思って」
そんな心配を他所に、グレネードランチャー似のテレビカメラは既に電源まで落とした状態で、何か企みを働くこともなくそこに居るだけであった。
「あのー……僕ってそんなに信用ないんですか?」
「無いな」
「酷い!」
肩を落として、ジェズアルド。先程までこのカメラを操作していたのは彼である。やたらと長生きしているからか、何故だかこの人間が作った機械の操作方法を知っていたのだ。
だから任せたものの……この吸血鬼、どうにも信用出来ない。
「もう、僕達結構長い付き合いじゃないですか」
「長い付き合いだからこそ、信用出来ねぇんだよ」
「うう、酷い。酷過ぎる……ねえ、テュランくん。そんなこと言われちゃうと――」
再び左手首を掴まれる。ひやりと氷のような冷たい指の感触が、服の上からでも伝わってくる。
しまった、と思った時には既に遅くて。
「本当に、イタズラしたくなっちゃうんですけど?」
腕を引かれ、わざわざ壁に押し付けるようにしてテュランの自由を奪うジェズアルド。頭上の壁に両腕を縫い付けられ、身動きが出来ない。
体格的にはそれほど有利でもない筈なのに、こういう時だけ妙な実力を発揮する彼にもの凄く腹が立つ。
「おいコラ! 何しやがんだ、ジェズ!!」
「アハハッ。テュランくん、さっきのヴァニラさんと同じこと言ってますよ?」
笑うジェズアルド。しかし、眼鏡の奥の瞳が少しも笑っていないことに気がつかないテュランではない。
血色の瞳が、腹を空かせた肉食獣のように獰猛な輝きを帯びる。理由は、知っている。
「……さっき勝手に輸血用の血とか、血液製剤とか飲んだとか言ってなかったか?」
「あれは、ほら。おやつですよ」
「それで満足しろよ、今後は好きなだけ飲んで良いから」
「そうは思ったんですけど、やっぱり本能には勝てないっていうか。まだまだお腹が空いてるって言いますか」
まあ、良いじゃないですか。ジェズアルドが何でもないことのように続ける。
「あの火事の時みたいに……君がピンチになったら、また助けてあげますから」
――ここから出してあげるので、僕の『餌』になってくれませんか?
「……本当に、悪食だな」
少し高い位置にある紅い双眸を睨みながら、吐き捨てる。彼は言わば、テュランの命の恩人だ。
テュランが生まれ育ったアルジェント国立生物研究所は、半年前に火災事故を起こして全焼した。否、正確には事故ではない。意図的に、ジェズアルドが起こしたものだ。
「偏食、って言ってくれませんか? 悪食だと、色々と誤解を招くので」
からかうように、ジェズアルド。この紅い吸血鬼は、何がきっかけで目を付けたのか未だにわからないが、その特殊な嗜好の矛先をテュランに向けているのだ。
轟々と燃え上がる研究所の一室で、逃げ場なんかどこにも無い状況で。炎を掻い潜り檻を開けて、哀れなワータイガーを拘束する枷と鎖を指で示しながら問い掛けたのだ。
ここで焼け死ぬか、それとも自分の餌になって生き抜くかを選びなさい――
「ただ、苦しんでいる時の君の血が好きなんですよ」
吸血鬼にしかわからない感覚だが、どうやら生き物の身体に流れている血液は感情によって大きく変化するらしく。彼の場合は、精神的に苦痛を感じている時のテュランの血が一番好ましいよう。
「殺したりしないよう気をつけるので、ね? 悪い話じゃないと思うんですけど」
いつまでも頷かない餌に、どうやら痺れを切らしたようで。そんな短気な性格でも無い筈なのに珍しい。つうっ、と赤い舌先が頬を撫でる。
ああ、そういえばケイシーの返り血がついていたんだった。たったそれだけの感触に、不覚にも肩を震わせてしまう自分が嫌だ。
「……不味い。やっぱり薬漬けの血液って口に出来たものではないですね」
僅かに顔を顰めるジェズアルド。今はあの時とは違い、絶体絶命な状況ではない。そもそも、吸血鬼という種族は獲物を甘言で惑わすことを得意とする。今度こそ全身の血液を吸い尽くされる可能性は否定出来ない。
そうでなくても、血液を奪われることはテュランにとって結構キツイ。きっと一日はまともに動けないだろう。痕も結構派手に残るし、ヴァニラに見られたら何て言われるか。想像しただけで恐ろしい。
まあ、でも。テュランの口角がつり上がる。
「……そういえば、そのマズい血で指も汚れてたような」
猫らしく、目を細めて笑う。するとジェズアルドが拘束を緩め、壁に縫い止めていた左手を恭しく取る。手足は氷のように冷たい癖に、指先に絡まる舌は熱くて温度差にくらくらと眩暈がする。
「……殺さない程度で止めてくれるなら」
「努力します。でも……多分気を失わせてしまうと思うので、終わった後はちゃんとベッドに連れて行ってあげますよ」
再び顔を上げたジェズアルドの唇からは、鋭く尖った不気味な牙が覗いている。血だまりに沈む幼い屍を視界の端に納めながら、程無くしてテュランは意識を手放した。
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