【二章】襲撃

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「……人間、かな」  抱き寄せられたまま、ヴァニラ。囁くような声色は、テュランにだけ聞こえれば良い。丸みを帯びた耳が、ぴくぴくと動いた。 「多分な。一人……いや、離れたところにもう一人居るか」 「どうする、逃げる?」 「そうだなー、俺は病み上がりだし。でも、こんな場所で何してやがるのか気になるよな」  ヴァニラとテュランは、人外の中でも特に五感が優れている。人間がどれだけ気配を(ひそ)めようとも、ほぼ無音状態である街並みでは意味を成さない。  息遣いや足音、銃の安全装置を外す僅かな音でさえ聞き逃すことはない。 「そんなに派手な装備はしてないみたいだね。でも……なんか妙な音が聞こえるなぁ」  ヴァニラの耳に届く、奇妙な音。無機質な、しかしそれでいて断続的な音だ。今はまだ、正体が特定出来ない。  ……気になる。 「よし、ちょっとからかってやるか?」  口角を上げて、テュランが言った。戦闘は想定していなかったが、テュランは相当気に入ったらしい大剣を背中に担いでいるし、ヴァニラも、人間を一人二人殺す程度なら問題ない準備はしてある。 「距離が結構離れてる……知り合いじゃねぇのかな。変な音の方が距離があるから、こっちから迎えに行った方が良いだろうな。得体が知れない以上、単体を相手にした方が良い」 「テュラン、大丈夫?」 「俺が人間に負けると思うか?」 「あはは、そうだよねぇ」  思わず笑いを零して、ヴァニラがテュランから離れる。そして、意識を頭のてっぺんから爪先まで巡らせて、人から狼へと姿を変える。  駆けるなら、この姿の方が断然速い。 「じゃ、ちょっと行ってくる。テュラン、やばくなったらアタシに構わず逃げてね?」 「バーカ、誰に対して言ってんだよ。それは、こっちの台詞だ」  お互いに顔を見合わせ、笑う。相手がどれだけ強く、容赦が無いかはよくわかっている。  彼を信頼して、ヴァニラは駆け出す。しなやかな足で地面を蹴り、瓦礫を飛び越える。  疾風の如き速さ。純白の狼は廃墟の中を駆け抜け、辺りに意識を向けて集中する。静寂の中に、奇妙な音が聞こえた。 「――見つけた!」  相手が瞬時に銃をヴァニラに向けて、発砲する。引き金を絞る指と銃口を見極めれば、弾丸を避けることなど容易い。  一発、二発そして三発。白い狼は全て避けた。銃を向ける敵も馬鹿ではないのか、それ以上無駄撃ちをすることはなかった。 「……お前は、ヴァニラだな?」  おお、結構イケメンだ。ヴァニラは改めて自分の名前を呼ぶ人間を見上げる。  亜麻色の髪を持つ男はテュランよりも背が高く、肩幅も広く黒いスーツの上からでも逞しい体躯が伺える。精悍な顔付きで銃を構える姿は、人間のくせに中々絵になる。 「そうだけど、アンタは何者?」  少女の姿に戻って、ヴァニラが言う。年上だが、まだ二十代前半というところだろうか。着ているスーツは似合っているが、戦闘に対応出来る優れものであることは間違いない。  ただ、銃以外の装備が見当たらない。 「人間が何でこんな所に居るの? 立ち入り禁止の筈なんだけどなー、殺されても知らないよ?」  挑発的に言いながら、考える。もしかして、身体に爆弾でも巻き付けているのだろうか。そうだとしたら、むやみやたらに攻撃するのは危険だ。  男は臆することもせず、ヴァニラを空色の瞳で睨み付ける。 「……ヴァルツァー大統領の命により、襲撃の首謀者であるテュランを始末しに来た。お前に用はない、すぐに立ち去るなら見逃してやる」 「はあ? あのねぇ……そんなこと言われて、へーそうなんだー。はい、お好きにどうぞー……なんて、言うわけないでしょ」  この男、真面目過ぎていっそ滑稽だ。しかも、どうしてこう人間は人外を格下に見たがるのか。 「アタシ、こう見えて強いよ? 殴り合いケンカだったら、テュランにも負けないんだから!」  その綺麗な顔、ぶちのめしてやる。ヴァニラが言い放つと、男が静かに銃を下した。怖気づいたのだろうか。否、違った。  銃を胸元に戻すと、黒皮の手袋に包まれた両手を軽く握り締め、開く。そんな動作を繰り返す男に、逃げ出す様子は無い。 「……奇遇だな」 「は?」 「俺も、喧嘩で誰かに負けたことは一度もない」  挑戦的な微笑。片手を軽く上げて、ヴァニラに向けて手招きをする。 「かかってこい。身の程知らずがどちらであるか、教えてやる」 「む、むっかつくー!!」  何なんだ、この男は! ここまで馬鹿にされて、黙っていられるヴァニラではない。 「ボコボコにして、二度と女の子を口説けない顔面にしてあげるんだから!」  地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。狙うは顔、絶対に顔! だが、流石にそのまま殴られるつもりはないらしい。  ヴァニラが堅く握った拳で頬を殴るより先に、男が右腕で顔を庇う。それでも、ヴァニラの腕力は人間の男なんか遥かに超える。  片腕なんか、顔面ごと簡単に粉砕出来る筈。 「なッ――」  激痛に蹲る男の情けない姿まで想像したのに、出来なかった。痛みを受けたのは、ヴァニラの方だった。  握った指が痺れている。咄嗟に後ろへ飛んで、距離を取る。よろめきはしたものの、大したダメージを受けた様子は無い。 「……なる程、大口を叩くだけはある。これが、ワーウルフか」 「いったーい……アンタ、どんな身体してるわけ!?」  明らかに筋肉の感触ではない。服越しでもわかる、この男は普通じゃない。何かがおかしい。その時、ふとヴァニラの脳裏にあの奇妙な音を思い出した。  金属が擦れあうような、断続的な機械音。一体どこから? 「今度はこちらから行くぞ」  そう言って、男が駆け出す。 「ッ――!?」  身を捩って、間一髪で横に飛ぶ。ヴァニラを狙っていた拳は外れ、コンクリートの壁へと叩き込まれる。はは、ざまあ見ろ。手首が折れるか、拳が粉砕するか。人間ならば、これで右手はもう使えなくなるだろう。  人間ならば。そんな甘い考えは鼻を掠めた異様な金属の臭いと、凄まじい爆音で完全に否定された。 「え……なっ何で!?」  立ち上る土煙に、ヴァニラが()せる。砕け散ったのは男の手首などではなく、コンクリートの壁の方だった。鉄骨ごと吹き飛ばすという荒業を見せつけた男は、何事もなかったかのようにヴァニラを見た。 「言っただろう、どちらが身の程知らずか教えてやると。だが……人外と言えど、年下の少女を痛めつけるのは流石に気が引けるな」  そう言って、何を思ったのか男がおもむろに袖を捲り始めた。金属の臭いと、音。不自然なその音の正体が、ようやくヴァニラの前に晒された。 「うげっ!? な、なに……その、腕」  そこにあったのは、金属だった。ヴァニラは機械が苦手だ。だから、彼女にはそれが金属の塊にしか見えなかった。背筋に冷たいものが走る。  金属の塊が、男の腕になっていた。 「俺は、幼い頃に事故で両腕を失った。これはその代わりだ」  ジェズアルドから聞いたことがある。人間は、何らかの原因で四肢を欠損した際に代替品として義手や義足をつける。アルジェントではその技術も最先端であり、一見では生身の腕と見分けがつかない程に精巧なものも存在する。  しかし、男の腕は人の腕に近い形状はしているものの、美容目的の代物だとは到底思えない。材質や強度から見ても、明らかに戦闘に特化させたものだ。 「まさか……サイボーグ、ってやつ?」  テュランが言っていた。研究所では無理矢理に四肢を切断された人外が、人工の腕や足を取り付けられ、更には脳や内臓までも移植させられるという実験が行われていたと。  サイボーグ実験、そう呼ばれていたらしい。 「知っていたか。テュランから聞いたのか?」 「まあね。でも、認めることってことは……アンタの身体、腕だけじゃなくて中身も相当弄ってるんじゃないの?」 「治療費を払ってくれたのはヴァルツァー大統領だ。あの方は、腕を失い両親にまで捨てられた俺に腕と役目を与えてくれた。あの方が望むなら、俺は何でもする」 「ははーん、その辺りは気が合うなぁ」  この男は、ヴァルツァー大統領に恩がある。だから、彼の為なら自分の身体などどうなっても良いというわけか。恋愛感情は絡んでいないが、そこはヴァニラと通ずるところがある。 「でも……こっちも、引くわけにはいかないんだよねぇ!?」  ヴァニラが地面を蹴る。腕力は敵いそうにないが、速さはヴァニラの方が上だ。一か八か、男の懐に飛び込み思いっきり肘を打つ。  感触は固いが、機械のものではない。男が息を詰まらせ、ヴァニラを薙ぎ払おうとする腕を瞬時に狼になることで回避する。 「ふうーん? 胴体は生身みたいだねぇ。足はどっちも機械っぽいけど、これならなんとか勝てるかなぁ」  距離を取って、ヴァニラが嘲笑う。狼と少女の姿を使い分ければ、かなり有利に戦えそうだ。  顔面を歪めた男に、舌舐めずりする。 「どっちが身の程知らずか、教えてあげるよ」
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