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犬、と呼ぶには巨大な体躯。それでも狼の中では小柄な方らしい。威嚇するように剥き出しにする牙は犬のそれよりも細く、鋭い。獰猛な獣、それが本来の彼女の姿。
ヴァニラもまた、『人外』である。『ワーウルフ』と呼ばれる種族は、人と狼の姿を自在に使い分けることが出来る。人間と虎が交じり合った中途半端な姿をしているワータイガーとは全く違う。
何より、変身出来るのが格好いい。羨ましい。
「まあ、これはこれで」
フカフカとした毛並みは、その辺のタオルやぬいぐるみなんかとは比べ物にならない程に触り心地が良い。わしゃわしゃと撫でていたら、またもや抗議の声が飛んできた。
「いやあああ! だから、どこ触ってんのよ!!」
「あ? 狼の姿だとどこ触ってんのかイマイチわかんねえんだよ」
「この、噛み付いてやる!」
「……あのー、お二人さん。仲が良いのは大変結構なんですけど……そろそろ君達のいちゃつきを見ているのも飽きたので、先に僕の用事を済ませても良いですか?」
全く予期していなかったところに、第三者の声が割り込んでくる。しばしの沈黙。二人同時に頭上を見上げれば、若いですね、と物語る微笑。
そして、サイレンのような悲鳴がテュランの鼓膜を殴りつける。
「きゃああ!! じぇ、ジェズさん……い、いつから……そこに?」
「ヴァニラさんが、此処よりもベッドが良いと仰った辺りから」
「そんなこと言ってない!」
「全然気が付かなかった……」
いつの間にか、ソファの向こうに立っていたこの男。三つ揃いのストライプスーツに、ネクタイまできちんと締めた、紳士的な装い。ひょろりとした長身はテュランよりも高く、真っ赤な髪に作り物のように整った綺麗な顔。髪よりも深い血色の瞳が、シルバーフレームの眼鏡の奥で悪戯っぽく輝いている。
見た目は決して地味とは言えない、この男。名前はジェズアルド、三十代前半に見えるものの正確な年齢は不詳。それなりに長い付き合いだが、知らないことの方が圧倒的に多い。
とにかく、気配を消すのが上手すぎる。
「まあ、どうしてもと言うなら……ベッドルームに行って頂けるなら、僕も邪魔はしませんので。お好きなだけ、どうぞ」
「何もしないんで、大丈夫です!」
「はあ、そうですか。それは残念でしたねー、フラれちゃいましたね、テュランくん」
くすくすと、微笑するジェズアルド。ソファから降り、狼の姿のまま警戒心丸出しで距離を取るヴァニラに、テュランは不満げに金髪をがりがりと掻くしかなく。
「……それで、ジェズ。何の用?」
「ほら、きみが持って帰ってきた剣ですよ。簡単にですが、手入れをしてみました。まあまあの切れ味にはなりましたので、それなりに使えるでしょう。それと、流石に抜き身のままで持ち歩くのは危ないので、鞘を作ってみました。特注品ですから、大事にしてくださいね」
そう言って、ジェズアルドがソファに大剣を立て掛ける。確かに、巨大な刀身は丈夫そうな黒革でしっかりと覆われている。ベルトもついていて、利便性も高そうだ。
しかも、デザインが格好いい!
「わー、ジェズさんって本当に器用だねぇ?」
「スゲー、スゲー! サンキュー、ジェズ! おっ、刃もちゃんと研いであるし……あはは、アブねー!」
「はあ、しかし重かった……よくそんな剣を使おうと思いましたね。二百年前ならまだしも、銃と戦車が争いの主流となった今ではあまり良い武器だとは思えませんが」
「だって、カッコイイじゃん! やっぱり、リーダーはリーダーらしく誰よりもカッコよくねえと」
上体を起こすと、そのまま身を乗り出すようにして剣を持ち上げる。流石に室内で振り回すようなことはしないが、それでも気になるものは気になる。
ほんの少しだけ鞘から抜いてみる。鏡のように磨かれた刀身に、自分の顔が映っている。
「……テュランの趣味って、よくわかんない」
「テュランくんはまだまだお子様なんですよ、ヴァニラさん。少年というものは、ああいう大きくて見た目は良いものの、およそ実用的ではないものに心をときめかせるものなんですよ。僕も昔はそうでした」
「昔って……どれくらい?」
「んー……三千年くらい前ですかね」
「おいそこの二人、全部聞こえてっから」
とりあえず、今は大剣には用は無いので立て掛けておくことにして。
「さて、これからどうします? テュランくん。お疲れのようなら、今日はもうお休みになっても良いかと思いますが」
「アハハッ、冗談! これからが面白くなるところだっつの」
ソファから立ち上がり、窓際に設置された机へと向かう。ヴァニラはまだ毛むくじゃらのままトコトコとくっついてきて、その後ろにジェズアルドが続く。
「よし……じゃあ、一度おさらいしておくか。今現在、この『アルジェント』で俺達が獲得したエリアは、第一から第三区画だったな」
アルジェント、正式には『軍事帝国アルジェント』という。約千年前からこの世界に存在し、それこそ石と木の槍から最新の機関銃を作り上げる程の歴史を生きてきた大国は、今では人間達の中で最大の国家へと成長していた。
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