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1話
「ごめん。他に好きな人が出来た。だから…別れよう。」
ーーあまりに突然の事に、何も言えなかった。
大学を卒業してから10年。
ずっと宏隆と一緒にいた。
5年前からは同棲もしていて、このままいつか…結婚するんだと思ってたのに。
彼の居なくなった部屋は、何だかとても広く感じる。
宏隆の存在を感じるものは、もうこの家には何も無い。
それが凄く、虚しかった。
「…1人ぼっちになっちゃった…」
長年付き合った恋人に捨てられたショックより、1人になった孤独感の方が強い。
もしかしたら、これからずっと1人なのかも…
32歳はもう若くも無いし、新しい恋が見つかるかも分からない…
「はぁ…何にもやる気がしない…ご飯も…適当でいっか…」
自分以外誰も居なくなった部屋で、私は泣く事さえせず、ただただ無気力になっていた。
「…はい。…はい。申し訳ありません。すぐにデータを修正して送らせていただきます。」
はぁ…またやっちゃった…
「白川、ちょっと。」
「…はい。」
「今の電話は?」
「見積もり書が間違っているというご指摘の電話です…」
「そうか…今週に入ってミスが続いてるな。お前がこんなにミスするなんて…体調でも悪いのか?」
「いえ…」
「でもお前、最近元気無いだろ。体調じゃないなら、何かあったか?話ぐらい聞くぞ。」
「…プライベートな事なので…」
仕事中に上司に聞いてもらうような話ではない。
というか、仕事に支障をきたすなんて、情けなさすぎて余計に言えない…
「ふーん…じゃあ、今夜空けとけ。」
「今夜ですか?」
「飲み行くぞ。同期として。」
「…え?」
「上司じゃなくて、同期としてなら話しやすいだろ?」
そういうことか。
優しいな、篠塚君は。
「ありがとうございます、篠塚課長。」
「じゃあとっとと仕事終わらせること。今度はちゃんと確認しろよ?」
「はい。」
同期であり、今は上司でもあるこの篠塚和哉という人は、昔から全然変わってない。
周りの事によく気が付くし、仕事も出来る。
困ったり悩んだりしているとさりげなく手を差し伸べてくれる、そういう優しい人だ。
彼が課長になった時、私は凄く適任だと思った。
実際彼の事を悪く言う社員はいないし、慕われていると思う。
同期として、誇らしく思える人。
私にとって彼は、そんな存在だった。
「乾杯。」
「お疲れ。」
駅近くの居酒屋。
ここに来るのも随分久しぶり。
前はよく同期で集まってたけど、同期の女子社員が1人、また1人と寿退社していってから、私はあんまり参加しなくなった。
今でも男だけで同期会はしてるらしい。
「ぷはぁ~…美味し。」
「悪い、結局ここで。」
「全然いいよ。ここ割と好きだし。」
ちょっと賑やかな居酒屋が、今の私には居心地がいい。
家ではテレビを見る気にもなれなくて、ずっと静かな部屋で一人だから…
「…それで、何があった?彼氏と喧嘩でもしたか?」
喧嘩ぐらいなら、良かったんだけどね…
「…別れた。というか、捨てられちゃった。」
「は…?でもお前確か、10年ぐらい付き合ってたんじゃ…」
「…他に好きな人が出来たんだって。」
篠塚君の顔が何とも言えない表情になってる。
そりゃこんな話されても、なんて言えばいいか分からないよね。
「…俺は、お前はそのまま結婚するんだと思ってた。」
「そりゃそうだよ。10年付き合って同棲もしてたんだから。…私だって、そう思ってた。」
でも、宏隆にとってはそうじゃなかった。
それが何だか、悲しいというよりは、虚しいというか悔しいというか…
「何がダメだったんだろう…私、ちゃんと家事だって頑張ってたのに。料理だって、洗濯だって掃除だって…ちゃんとしてたんだよ?なのにこの年で捨てられるなんて、思っても無かった…」
そりゃ確かに、恋人っていうより家族みたいな感じにはなっちゃってたかもしれないけど。
これだけ長かったら、普通そういうもんじゃないの?
「…辛いなら、明日有休取ってもいいぞ。今はそこまで忙しくもないし。」
「ううん…大丈夫。ごめんね、こんなプライベートな事で仕事に影響出しちゃって。社会人としてまだまだだね、私。」
「そんなことがあったのに、平常心で仕事しろって方が無理だろ。俺ならもっと大きなミスをやらかす自信がある。」
「え~、篠塚君が?想像出来ない。…そういえば、篠塚君のそういう話聞いたことないけど、彼女は?」
「…ずっといないな。仕事が恋人だったから。」
「勿体ない。優良物件なのに。」
「お前にそう思われてるんなら、嬉しいよ。ほら、もっと食って元気出せ。」
「そんなにお皿入れられても食べれないよ~、もうっ。」
…篠塚君に話を聞いてもらって、ちょっとスッキリしたかも。
入職した時から、こういう人なんだよね。
落ち込んでたりすると、飲みに誘ってくれて話を聞いてくれて。
彼氏の愚痴すら聞いてくれた。
本当、何で彼女がいないのか不思議。
「ほら、着いたぞ。」
「ふふっ…ありがとう~。」
「完全に酔ってるな…お前にしては珍しい。…10年も独占しといて捨てるような奴、とっとと忘れろよ…」
「ん~?なぁに~?」
「…何でもない。俺はこれで帰るけど、風邪ひくからちゃんとベッドで寝ろよ?」
「本当優しいよね~篠塚君は~。こんなにいい男放っとくなんて、周りの女の子は見る目ないんだねぇ?」
「…本当にな。」
酔っぱらってるのがフワフワ気持ち良くて。
篠塚君の様子が変な事に、全然気付かなかった。
「送ってくれてありがとう~。おやすみ~。」
「…」
そのまま帰ると思っていた篠塚君に急に腕を引っ張られて、足元が覚束ない私は彼に身を預けるしかなくて。
「ん…ん…?んん~っ」
気付いた時には、目の前にドアップの彼。
キスされていると理解した瞬間、一気に酔いが醒めた。
「なっ…なんっ…?!」
「…おやすみ。」
それだけ言って去っていく篠塚君を、私は混乱したまま呆然と見つめていた。
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