五十七、嫉妬の甘い誘惑 - la jalousie -

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五十七、嫉妬の甘い誘惑 - la jalousie -

 イサク・マジノは従者たちの集まる控え室や彼らが主人を待つ馬車の周囲で情報収集を行っていた。彼自身、爵位こそ持っていないものの、貴族やその従者たちの間では王太子の側近として一目置かれているから、こういう集まりでは見知った者も多い。  元々気さくで人付き合いの多いイサクは、知り合いを探し回る様子を装って顔見知りの者たちに声を掛け、世間話を交えてルコント侯爵夫人の慈善事業について探りを入れてみた。予想通りそれほど多くはないが、小さな収穫がいくつかあった。その中の最たるものは、密偵のヴィゴが既にルコント公爵夫人の御者として潜入に成功していることだ。会うまで顔を思い出せずにいた。――というより、以前会った時とだいぶ印象が変わっていて一瞬誰だか分からなかった。口髭と顎髭を生やしていたために、実際の年よりも二十歳ほど上に見えたからだ。  イサクはヴィゴとは直接会話をせず、視線を一度合わせるのみにとどめた。ここでの情報収集がヴィゴの諜報活動の邪魔になっては、本末転倒だ。 (しかし、あれ(・・)はいただけない)  イサクはそれとなくルコント侯爵夫人の絢爛な赤屋根の馬車に座す男を見た。御者のヴィゴと特に話をするでもなく、馬車の背もたれに背を預けて微動だにしない。馬車の外から見る限りではただの痩せた男だが、細く刃物で削いだような目蓋の奥でギラギラと双眸が鋭く光り、同じ人間とは思えないほどに異様だ。侯爵夫人が護衛として連れているのだろうが、貴人の従者と言うには影が暗すぎる。 (あれがガイウス・コルネールの言っていた‘殺し屋’か)  イサクは相手がこちらに気付く前に視線を移し、某伯爵家の当主の側近に話しかけた。  愛人があの男を連れていることを国王が知っているのか、疑問だ。目的が護衛だけなら良いが、残念ながらそうとは思えない。  キセはテオドリックの紳士的なエスコートに少し安堵して馬車に乗った。  コルネール邸の門を出るまで、テオドリックは完璧な王太子の振る舞いをしていた。他の招待客たちににこやかに挨拶し、コルネールの使用人にも労いの言葉を掛け、キセが馬車に乗るときは礼儀正しくその手を取り、自分が乗り込んだ後も扉を締める使用人に礼を告げた。 「あ、ホットチョコレート。いただくのを忘れてしまいました」  馬車が動くと同時にキセが思い出して言うと、暗い馬車の中で窓に頬杖をつくテオドリックの瞳が鈍く光った。キセの心臓が警鐘を鳴らすようにとつ、と跳ねた。 「今やろうか」 「え?」  キセが聞き返した瞬間に、テオドリックはキセを馬車の隅に追いやり、その細い顎を上向かせて唇を重ねた。 「ん…!」  舌が奥まで入り込んでくる。甘いショコラの味がした。上顎をなぞるようにテオドリックの舌が蠢き、キセの官能を花開かせてゆく。キセは広い背に手を回そうと腕を伸ばしたが、テオドリックが手首を掴んで布張りの背もたれに押し付けた。 「ん、うぁ、テオ――」  息苦しさに呻いてキセが口を開いた。言葉を発しようとしてもテオドリックが舌を絡め、吸い付いてくるのでうまく話せない。 「甘いな。フランボワーズのショコラは旨かったか?」  テオドリックが抑揚のない掠れ声で囁いた。 「はい。あの――んん…」  テオドリックの唇が再びキセの言葉を阻んだ。 「あいつの指が唇に触れた?」 「ほ、ほんの少しだけ…」  テオドリックはまたすぐに唇を塞いだ。  キセは激しい口付けに応じながら、自分がどうにも情けなくなった。  テオドリックは嫉妬している。ガイウスと自分のやり取りでテオドリックをこれほど不機嫌にさせてしまったことを申し訳なく思う。それなのに、そのやきもちを素直にぶつけてくれるのが嬉しいと思った。胸がむずむずと、歓びでいっぱいになるのだ。  これは、矛盾だ。大切な人を嫌な気分にさせておいて嬉しく思うなんて、まったく道理に合わない。それなのに、触れる手は熱く、口付けは甘く、心臓が締め付けられて、身体中に欲望の火花が散り始める。テオドリックに手首を掴まれてその身体を抱き締められないのがひどくもどかしい。 「あ、あの、テオドリック――ひゃっ!」  テオドリックは唇を解放し、今度は耳に舌を這わせた。 「なんだ」 「て、手を、放して欲しいです…」 「だめだ」  にべなく言って、テオドリックはキセの首に強く吸い付いた。 「――っ!いた…」 「これは仕置きだ。俺の悋気を煽ったことへの」 「そ、それは、ほんとうに申し訳ないと――あっ」  キセの腰がピクリと跳ねた。テオドリックの舌が鎖骨を辿り、ダイヤ型の襟の線に沿ってキセの胸元を這う。ぞくぞくと快感が走り、息が上がる。  シィ、と息で合図し、テオドリックが胸元から顔を上げてキセを見上げた。 「御者に聞かれないように口を閉じておけよ」  キセは素直に唇を引き結んだ。ほとんど条件反射だった。テオドリックの髪が胸元をくすぐると、いつも次の瞬間には唇が乳房を覆っている。今もそうだ。普段と違うのは、ドレスの上からそれをされているということだった。テオドリックの両手がドレスを脱がせるよりもキセの手を拘束することを優先しているからだ。布を隔てた微かな刺激が、キセの身体をどうしようもなく疼かせた。 「――っ、ン」  ぎゅ、とテオドリックの鳩尾が軋んだ。キセが唇を噛んで声を押し殺し、吐息の中に恍惚の呻きが混ざる。キセの体温が上がるのが、肌でわかる。  ドレスの上から乳房の先端に優しく歯を立てると、キセが喉の奥で悲鳴を上げた。暗がりの中でキセの瞳が歪み、懇願するようにこちらを見下ろしてくる。いつものように前髪が額にかかっていないからか、やけに黒目が大きく見えた。  テオドリックはこの黒い瞳の誘惑に耐えかねて胸から唇を放し、もう一度キセの唇を噛み付くような性急さで覆った。唇の下で、小さくキセが喘ぐ。酸素を求めてか欲望のためか、キセの呼吸が上がり、吐息が熱くなっている。時折もどかしそうに腕を動かそうとしているのが、たまらなく可愛かった。  馬車がレグルス城に止まったときも、二人は唇を放さずにいた。キセの唇は赤く腫れている。  テオドリックは使用人が扉を開けると同時に外へ出、驚くキセの身体をひょいと抱き上げて、テレーズや他の使用人には目もくれず、駆けるように寝室へ上がっていった。  キセをベッドに投げ下ろした後、テオドリックが最初にしたことは、首に巻いていたクラバットを外すことだった。  キセは上体を起こし、ドレスの長いスカートの中で足をにじり寄せた。いつの間にか靴が脱げ、裸足になっていた。  燭台の柔らかい灯りがテオドリックの滑らかな肌を照らし、金色の睫毛と緑色の瞳を妖しく光らせている。 「テオドリック、ガイウスさまの言動は、目的があってのことで――」 「そんなことはどうでもいい」 「どうでもよくはありません」  キセはばくばくと脈打つ心臓を持て余しながら、テオドリックの不機嫌なエメラルドグリーンの瞳を見返し、気丈にも反駁した。 「これも、和平のための計画に必要なことです」 「わかっていないな、キセ」  テオドリックは歪な笑みを浮かべてキセにのしかかると、馬車でしていたようにキセの手首を掴み、頭上でまとめてベッドに押しつけた。 「あいつは目的のためと言いながら、あんたに触れている間ずっとこの下(・・・)を想像していたぞ」  キセの脚の間に入り込んだテオドリックの膝が、するりとスカートを押し上げた。内腿にテオドリックの膝が触れ、キセはぴくりと肌を跳ねさせた。 「そ、そんなことは、ないと思います…」  確かにガイウスに好きだと告白されたが、初対面の時に言われた通り、自分の見た目は少女っぽい。美貌の妹がいる彼に性的な魅力を感じられているとは、キセには思えなかった。それに、ガイウスの口説き文句はどれもキセには冗談に聞こえるし、キセもはっきりとテオドリック以外の人に心奪われることはないと宣言した以上、ガイウスも必要に駆られているのだと理解している。  しかし、テオドリックは「ある」と、一蹴した。 「だが確かに、ヴェロニク・ルコントの懐に入るためにはコルネールのやり方は有効だ」 「はい。わたしもそう思いました。ガイウスさまは優れた策略家でいらっしゃいます」  キセがにっこり笑って言った時、テオドリックの眉間に深々と皺が刻まれた。キセの手首を掴む力が強くなり、エメラルドグリーンの瞳が暗くなる。 「…だからあいつを殴るのを我慢したんだ。あんたを不埒な目で見ていた他の男たちも。気付いていたか?キセ。あんたにどれだけの男が目を奪われたか。今夜のあんたは、清麗な美しさに満ちていながら、危ういほど蠱惑的だった」  じり、と肌が灼けるような感覚だ。テオドリックの視線に灼かれている。キセは言葉も発せなかった。テオドリックが唇を重ねてきたからだ。角度を変えて何度も舌を挿し入れられ、舌を弄ばれ、息苦しさと身体中を這い回る火花の熱に溶かされてしまうようだった。 「ん。はっ、テオドリック、これ…」  キセは異変を感じてキセは身をよじったが、遅かった。頭上にまとめられた両手首が銀色のクラバットで縛られている。 「言っただろ。これは仕置きだ、キセ」  唇が触れるほどの距離でテオドリックが囁いた。低く官能的な声が直に肌に伝わって、キセの身体をまたじりじりと灼く。 (お仕置き…これが?――)  本当にそうなのだろうか。仕置きと言うにはあまりに甘美だ。それとも、自分がおかしいのかもしれない。怒りをぶつけられ、手を縛られても身体が熱くなるなんて、やっぱり変だ。 (でも、ああ)  目が離せない。テオドリックの美しい瞳が欲望に暗く翳り、キセをまるごと呑み込んでしまいそうなほど獰猛に光って、キセの心の中にある不埒な情欲に火を点ける。  テオドリックの唇がキセの唇から顎へと下り、耳朶へ、耳の後ろへと小さなキスを繰り返して、首筋に吸い付いた。キセが甘い声で呻き、身体をよじった。  テオドリックは膝立ちになり、両手の自由を奪われたキセを見下ろした。  海が地上へ流れ出るようにベッドの上にドレスの布が広がり、月長石の髪飾りで美しく結われた黒髪が波打って乱れ、夜空のような瞳が潤んで星を浮かべている。  真珠のネックレスが飾っている細首が速く脈打ち、ドレスの下で胸が大きく上下し、ピンク色の唇が小さく開いて浅く呼吸を繰り返す様は、ひどく背徳的で、官能的だ。  キセの身体はテオドリックにされるがまま、何の抵抗もなく転がされ、うつ伏せにさせられた。 「あっ」  乱れた髪が払われ、熱く柔らかな唇が首の後ろに吸い付き、微かな痛みを残していく。 「他の男が触れた痕跡など、微塵も残さず消し去ってやる」 「そっ、そんなの…」  残っていないのに。――と言いたかったが、言葉が出なかった。テオドリックが首にキスをしながら、背後から胸へ手を這わせてきたからだ。テオドリックが更に腰へと手を滑らせて、襟から腰まで一列に並んだ背中の留め具を外し、アンダードレスの編み上げられた紐をするすると解いて、キセの背を暴いた。きつく締め付けられていたアンダードレスがキセの肌にレース模様を描き、燭台の火が微かな陰影を揺らめかせている。  テオドリックが開かれたドレスの背から手を滑り込ませてキセの素肌に触れると、キセがびくりと身体を跳ねた。 「…っ、テオドリック…あ!」  テオドリックの手がドレスの下で乳房を覆い、もう片方の手はスカートの襞を掻き分けて下着の紐を解き、臍の下に入り込もうとしている。 「いや。待ってください」  両手を縛られていてはテオドリックの手を掴むこともできない。キセは振り返って懇願したが、テオドリックは聞かなかった。  キセの中心に指が触れたとき、彼女が身体を震わせて喉の奥で短く叫ぶのを聞きながら、テオドリックは薄暗い興奮を覚えた。 「いけないな。こんなに悦ばれては、仕置きにならない」  キセの中は、既に熱く濡れている。 「ううっ、ン、だめです…」  キセは両手で顔を覆う代わりに、枕に顔を押し付けた。  恥ずかしい。怒っているテオドリックに対して不謹慎なほど欲情していたことがばれてしまった。今もぞくぞくと快感が這い回り、キセの身体をより大きな歓びへ導こうとしている。  キセは脚を閉じようとしたが、テオドリックの膝がキセの脚の間に入り込んでそれを阻み、指が入り口の突起に触れて抵抗する力を奪った。 「んん!」  テオドリックの指が中に入ってきた瞬間、大きな火花が散った。いつもは何かに掴まってその快感に耐えているが、手首を拘束されている今はその術がない。内部をいやというほど解され、内腿に伝って落ちてくるほど濡れている。身体中で何かが暴れているような気分だ。この激しい衝動の逃がし方が分からない。  乳房の先端をテオドリックが優しく撫で、同時に身体の深いところへ指を突き立てた。 「や、あっ――!」  キセは襲ってきた絶頂の波に身体を震わせ、早鐘のように打つ心臓と同じリズムで浅く呼吸をしながら、枕に顔を埋めた。  いってしまった。  お仕置きなのに、快楽に負けて昇り詰めてしまった。心は背徳感と恥ずかしさでいっぱいになった。  テオドリックはキセのもので濡れた指を抜いて腰に触れ、剥き出しになったキセの背に強く吸い付いた。 「ん…」 「よかったのか?悪い子だな」  びく、とキセが身体を震わせ、枕からもぞもぞと顔を上げてテオドリックを振り返った。  ドレスを乱され、白い背の至る所に所有印を刻まれ、昇り詰めさせられて身体を熱くした清麗なキセが、劣情に濡れた瞳でこちらを見ている。キセが身じろぎすると左の肩甲骨の下に並んだほくろが揺れるように蠢き、余計にエロティックだった。  キセはテオドリックと視線が合うと、耳まで赤くしてもう一度顔を隠してしまったが、テオドリックにはわかっている。キセがどれほど羞恥のために口を閉ざしたとしても、彼女がその先を欲していることは、隠しようがない。 「そのまま、膝をついて腰を上げろ」  テオドリックの言葉がまるで悪魔の甘い囁きのように響いた。恥ずかしくて堪らないのに、テオドリックの官能的な声に従いたくなる。  キセは肘をついて祈るような格好になり、腰を上げた。痛いほどにテオドリックの視線を感じ、背中がざわざわする。絶頂に達したばかりの身体が、テオドリックの熱を欲して更に強く疼き、心臓が痛いほど締め付けられた。  背後でベルトを外す小さな金属音と衣擦れが聞こえ、スカートがたくし上げられたとき、キセはおそるおそる振り返って、すぐに顔を逸らした。はだけたシャツから覗く精悍な肉体と、狂暴とも言えるほど屹立したその一部を見てしまったからだ。全身の肌が汗ばむほど身体が一気に熱くなった。 「あ、あの、こ、…このままするのですか?」  キセの声は消え入りそうなほど弱々しかった。困惑と羞恥と期待が綯い交ぜになっている。  ふ、とテオドリックが吐息で笑い、キセの腰を掴んで後ろへ引き寄せ、キセの背中に自分の胸をぴったりとくっつけた。ひんやり感じるシャツの奥に、熱いテオドリックの身体がある。臀部には、硬くなったテオドリックの身体の一部が当たっている。 「他に選択肢があるか?」  と言い終わらないうちに、ひと息に奥まで突き立てた。 「あ、あっ――!」 「…は。熱い」  キセの身体がふるふると震え、内部を締めつける。  恐ろしいほどの征服感だ。 「ふっ、う…。ま、待ってください。まだ…あっ」  テオドリックはキセの制止を聞かず、一度身体を引いて更に奥を突いた。 「待たない」 「ああ!」  テオドリックには身体の全てを暴かれたと思っていたのに、違った。  いま後ろからテオドリックが攻めている場所は、いつもと違う。もっと深く、苦しいほどの甘美な衝撃が腹の奥に響き、全身を包んでいく。 「あっ、あ、だめです。もう、だめ…!」  キセは辛うじて自由な指先でシーツを掴み、否応なしに与えられる快楽に叫びながらテオドリックの熱を受け入れ続けた。 「いけ、キセ。耐えるな」  テオドリックが誘惑するように低く囁き、繋がった部分の上部で腫れた突起を撫でたとき、身体の中を稲妻が走り抜け、真っ白な絶頂が襲ってきた。 「あ――…!」  キセの内側が激しく収縮してテオドリックを締め付ける。キセは肩で息をしながら顔を伏せ、身体を震わせた。 (しまった)  テオドリックはぎくりとした。  嫉妬に駆られてやり過ぎた自覚はある。苦痛を与えたかもしれない。 「痛かったか」  テオドリックが髪を撫でて訊ねると、キセは枕に顔を押し付けたままかぶりを振った。 「お、お仕置きなのに――」  細い声で口を開いたキセの乱れた髪を、テオドリックはそっと耳の後ろへ退けてやった。頬から耳まで、真っ赤に染まっている。  キセの漆黒の睫毛が濡れ、黒い虹彩が揺らめく光をいくつも孕んでこちらを見た。 「こんなに…気持ちよくなってしまって、恥ずかしいです…。わたしのからだ、おかしいのでしょうか」  どっ、とテオドリックの心臓が大きく跳ねた。  神聖なものをめちゃくちゃに穢したような気分だ。背徳的な歓びがざわざわと胸に湧き、キセへの愛欲が熱病のように胸を苦しくさせた。
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