プロローグ

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 私立緑陵学園は幼等部から大学部まである学園だ。  完全一貫教育校にも見えるが、それぞれの学部が市内に点在しており、幼等部から大学部まで緑陵学園に通う生徒もいれば、中等部や高等部から入学してくる者、初等部や中等部から別の中学・高校に進学する者もいる。特に大学部は文系の学部に偏っているので、外部進学する生徒の方が多い。生徒の自主性を重んじて、個性を伸ばす事を教育理念に掲げている緑陵学園らしい話だ。  とは言っても、初等部や中等部の生徒が他の中学や高校に進学する事は滅多にない。教育理念が教育方針にも反映されていて、気が狂ったとしか思えないような校則や体罰は全くなく、進学校にありがちな詰め込み教育もない。学園の校則は『規定の制服を着る事』と『公衆道徳に反する行動をとらない事』の二点だけなのだ。生徒にとって、ここまで居心地のいい学校はない。さらに、緑陵学園の幼等部から高等部までの制服は男子が白いブレザー、女子が白いセーラー服で、着ている生徒を美しく見せると評判も高い為、入学希望者はとても多く、入学試験の競争率は高い。  緑陵学園の人気が高いのはそれだけではない。幼等部、初等部で生徒の個性を見極め、中等部、高等部でそれを伸ばしていくという教育方針に基づき、中等部から普通科の他に音楽科、美術科、体育科に分かれ、それぞれ敷地内の専用の校舎で専門的な授業を受けられる環境が整えられているのだ。教育者は専門家が揃い、設備投資には余念がない。特に、音楽科は全寮制で他の学校から見てもレベルの高い授業が受けられる為、全国から入学希望者が集まってくる。また、入学後に進路変更を希望する生徒には途中での転科も可能になっている為、保護者からの信頼も篤いのだ。  よい事ずくめのようなこの学園にも欠点はある。市内は山が多い為、通学する時に坂を上らなければならない学部が多い。特に中等部は山の上にあり、坂も長く急だ。綺麗に整備され、春には桜並木、秋には銀杏並木として人々の目を和ませる坂なのだが、生徒達はいつしか『地獄坂』と呼ぶようになっていた。 「急げー!」 「早く、早く!」  そろそろ始業のチャイムが鳴る時間。登校中の生徒達が必死に坂を駆け上がる中、一人の女子生徒が悠然と歩いていた。細身の長身に、芸術品のように整った顔立ち。背筋を伸ばして歩く動きに合わせて、腰までの美しい黒髪が揺れる。  彼女の名は神道飛鳥。緑陵学園中等部音楽科2年B組に在籍し、ピアノを専修している生徒だ。 「飛鳥! 飛鳥ってば!」  飛鳥の後から坂を駆け上がってきた女子生徒が、飛鳥の前に回りこんだ。  笠原美衣。飛鳥とは初等部一年からのクラスメートで、声楽専修の生徒だ。中学二年生の平均身長よりかなり低い美衣は、美人と言うより可愛いらしい。好奇心旺盛でお祭り好きな元気娘だが、世が世ならお姫様という家に生まれた立派なお嬢様である。 「…美衣」  飛鳥は美衣を見ると顔をしかめた。美衣は肩をすくめると、飛鳥を見上げた。 「そんなにゆっくり歩いてると遅刻だよ。今月、毎日遅刻してるんだから…」 「うるせーな。俺の勝手だろ。さっさと行け」  飛鳥は美衣の頭を小突いた。  完全無欠の大和撫子に見える飛鳥だが、実際は冷酷非道とも唯我独尊とも受け取れる乱暴な口調にほとんど表情を変えない仏頂面。授業態度といえば遅刻や早退は当たり前で、授業をサボる事もしばしば。教師に喧嘩を売った事は数え切れないにもかかわらず成績は学年一位という、なんとも掴み処のない中等部一の問題児なのだ。 「もう! 先に行っちゃうからね!」  美衣は飛鳥に軽く舌を出すと、坂を駆け上がって行く。そんな美衣の姿を見ても飛鳥は急ごうとしない。飛鳥が校門に着いた頃には既に始業のチャイムが鳴り終わっていた。 「こんなにいい天気なのにもったいない」  飛鳥は呟くと、雲一つない青空を見上げた。
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