かすかな違和感

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かすかな違和感

 緑陵学園の音楽科は、午前中に国語・数学といった一般科目を三時限、お昼休みを挟んで、午後に声楽・ピアノ・器楽の専修科目に分かれて専門的な音楽の授業を三時限受ける。始業・終業時のホームルームはなく、始業のチャイムとともに授業が始まる。大学のカリキュラムに近い授業体系だ。  中等部の音楽科は一学年50名程で一般科目を受けるクラスは2クラスに分かれているが、寮でも一緒に生活をしている為、生徒同士の仲は良い。授業の合間の休み時間やお昼休みには互いのクラスを行き来する生徒も多く、教室の中はかなり騒がしい。 「…おっかしいなあ」  一限目の授業が終わった後の休み時間。美衣は頬を膨らませると後ろを振り向いた。美衣の後ろは飛鳥の席なのだが、今は空席。飛鳥は一時限目の授業に来なかったのだ。 「どこに行っちゃったんだろう」 「どうかしたの? 美衣」  ふいに柔らかなボーイソプラノが聞こえた。教壇から見て、飛鳥の右隣の席に座る男子生徒が首を傾げていた。  ピアノ専修の村上龍太。飛鳥や美衣とは初等部4年からのクラスメートだ。穏やかな物腰の龍太は細身の長身に整った顔立ちの美男子で、ピアノの演奏は飛鳥と一、二を争う腕前。ピアノを弾く姿はクラスメートから『貴公子』とまで言われるが、涙腺が脆いのか泣き始めると止まらなくなるのが玉に瑕だ。 「飛鳥、朝会ってるのに来てないんだもん。学校にはいるはずなんだけどなー」  美衣が飛鳥の机に突っ伏す。龍太は口元に笑みを浮かべると身を乗り出した。 「飛鳥が来てないと、寂しい?」 「もちろん。龍太もそうでしょ?」 「そうだね」  龍太が頷く。美衣は顔を上げると目を輝かせた。 「龍太ってやっぱり飛鳥が好きなんでしょ!」 「そればっかり。そういう話、好きだね」 「だって女の子だもん!」  美衣は笑顔で頷くと、龍太の目を見つめた。 「で? どうなの?」 「そりゃ、好きだよ。友達だし」 「そうじゃなくてー!」  美衣は身を乗り出すと龍太の腕にしがみついた。 「龍太! 今日こそは教えてよー」 「ちょっと待って、美衣。離して…」 「何やってんだ?」  背中から声がかかった。男子生徒が目を丸くしている。  声楽専修の北原友貴。飛鳥とは実家が隣同士で同じ誕生日という、文字通り生まれた時からの幼馴染で、美衣や龍太とは初等部からのクラスメートである。友貴は父親がこの学園の高等部の校長、祖父が学園の理事長という立派なご令息だが、小柄で色黒でスポーツ刈りとまるでガキ大将のような印象がそれを全く感じさせない。実際の性格は自分から馬鹿騒ぎはしない、どこか大人びた所がある生徒だ。  美衣は友貴を見上げると頬を膨らませた。 「龍太に飛鳥が好きかって聞いたら、お友達だから好きだなんて言うんだよ」 「…飽きねえ奴だな。どんだけ同じ事聞いてんだか」  友貴は顔をしかめると龍太を見た。 「で? なんでそんな話になってんだよ」 「美衣に飛鳥が来ないと寂しいかって聞かれて、頷いたらそうなっちゃった」  龍太が苦笑する。友貴は派手にため息を吐くと頭をかき回した。 「ったく、美衣にはどんな事も恋愛話になっちまうんだな」 「何それー、酷いよ。その言い方」  美衣は顔をしかめた。 「あ…」  誰かの呟きを合図に、教室中が静まり返った。3人が周囲を見回すと、クラスメート達が教室の入口を見つめている。その視線の先には飛鳥が立っていた。  いくら生徒同士の仲が良いと言っても、さすがに中等部一の問題児ともなると話は別。飛鳥だけは周囲の生徒から浮いた存在になっていた。飛鳥に自分から話しかけようとする生徒は美衣と龍太と友貴の3人しかいない。飛鳥は遠巻きに眺めるだけの周囲を無視して教室に入ってくると、飛鳥の席を囲んでいた3人を無表情に見下ろした。 「何やってんだ」 「どこ行ってたの? 先生カンカンだったよ」  美衣が飛鳥を見上げる。飛鳥は席に着くと頬杖をついた。 「俺の勝手だ。ったく、うるせえな」 「ひっどーい! 飛鳥が授業をサボるのがいけないんじゃない」 「そうそう。学生の本分は授業を受ける事だぜ」  舌を出す美衣に、友貴が援護する。飛鳥は2人を冷たく見つめるとため息を吐いた。 「馬鹿馬鹿しい」 「あのなあ」  友貴は顔を顰めると飛鳥の顔を覗き込んだ。 「飛鳥。今学期入ってから一度も一限受けてねえんだぞ。それでいいと思ってんのか?」 「うるせえって言ってるだろ!」 「飛鳥!」  飛鳥と友貴が睨み合う。美衣と龍太は顔を見合わせた。 「飛鳥にこれだけ言えるのは友貴だけだよね」 「本当」  龍太は肩をすくめると腕時計に目を落とした。 「あ、2人とも、授業始まるよ」 「わかった。飛鳥、後で話つけるからな」  友貴が飛鳥を見つめる。飛鳥は一つ息を吐くと窓に目を向けた。
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