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中等部は広い。敷地の西側に門があり、南・東・北の端にそれぞれの学科の校舎があり、校舎から敷地の中央に向かってそれぞれのグラウンドが広がる。それぞれの敷地は樹木や通路で区切られており、生徒達は並木道の中を自分達の校舎へ向かうのだ。
音楽科棟は校門から一番奥、東側に位置しており、中等部の中で唯一裏庭がある。裏庭には中央に大きな楠があり、ベンチやジュースの自動販売機が置かれ、昼休みや放課後は生徒達の憩いの場所となっていた。
「いい天気」
裏庭に出た龍太は空を見上げた。ほとんど雲のない青空が広がっている。
「飛鳥じゃなくてもサボりたくなるよね」
苦笑した龍太の手にはパンと牛乳の入った袋がぶら下がっている。今から飛鳥を見つけて戻っても、学生食堂は満員で入れないのがわかりきっていた為、先に購買で買っておいたのだ。
昼休みなのに珍しく人気がなかった為、飛鳥はすぐに見つかった。楠の幹に寄りかかるように座って目を閉じている。かすかに吹く風が飛鳥の長い髪を揺らしている。膝の上のおにぎりとお茶がなければ、まるで芸術家の描いた絵画だ。龍太は深呼吸をすると、ゆっくりと飛鳥の前に歩み寄った。
「…何か用か」
ふいに飛鳥が目を開け、龍太を見て顔をしかめた。
「お昼、一緒に食べようと思って」
龍太は手に持っていた袋を軽く振った。飛鳥はため息を吐くと、視線を膝に落とした。
「勝手にしろ」
「うん」
龍太は笑顔で頷くと、飛鳥の横に腰を下ろした。飛鳥は無言でおにぎりのパックを開けて食べ始める。
「いい天気だね。部屋の中にいるのがもったいない気がする」
「そうだな」
飛鳥が軽く相槌を打ち、お茶を飲む。話がさっぱり弾まない。他に何かないか考えながらパンをかじった龍太は、ふと友貴と話していた事を思い出した。
「飛鳥の家って、神社なんだよね」
「それがどうした」
「神社って、どんな事するの?」
「拝む」
飛鳥は食べ終わったおにぎりのパックをビニール袋にしまった。それ以上の説明がない。龍太は飛鳥の顔を覗きこんだ。
「それだけ?」
「龍太は神主になりたいのか?」
「そう言う訳じゃなくて… なんとなく好奇心で」
「なら、それ以上話す必要がない。本格的に知りたいなら専門の大学に行け」
飛鳥はお茶を一口飲むと空を見上げた。龍太は目を丸くした。
「専門の大学があるの? なら、飛鳥はその大学に行くの?」
「家は違う」
「何が違うの?」
龍太が尋ねると、飛鳥は舌打ちした。
「色々。説明が面倒。もういいだろ」
飛鳥は軽く手を振った。その仕草が妙に友貴と似ている。龍太は肩をすくめると、残っていたパンを片付けた。牛乳を飲みかけて、ふと手を止めた。
「ねえ、飛鳥。お願いがあるんだけど」
「今度はなんだよ」
残っていたお茶を飲み干した飛鳥が、心底嫌そうな顔で龍太を睨む。龍太は顔の前で手を合わせた。
「喋り方、もう少し柔らかくしない?」
「何度言えば分かるんだ? 俺の勝手だろ」
飛鳥は舌打ちすると、龍太から視線を逸らした。飛鳥と2人でいる時に必ず頼んでいるのだが、いつも同じ返事しか返ってこない。龍太はため息を吐くと、楠の幹に寄りかかって空を見上げた。
「せめて俺って言うのは止めようよ。飛鳥、綺麗なのに」
「なんだと?」
飛鳥の声色が変わった。飛鳥は姿勢を正して、無表情で龍太を見つめている。整った顔立ちの飛鳥にまっすぐに見つめられ、龍太の頬が自然と赤くなった。
「あ、飛鳥?」
「龍太」
飛鳥が身を乗り出して龍太の顔を覗き込んできた。そのままゆっくりとした動作で龍太の頬に口を近づけていく。耳に飛鳥の息がかかり、龍太は思わず身を縮める。飛鳥は軽く眉を寄せると、龍太の耳を引っ張った。
「俺の勝手だって言ってんだろ!」
耳元で怒鳴られ、龍太は飛鳥から離れて耳に手を当てた。自然に涙がこぼれてくる。
「飛鳥、酷いよ。耳鳴りがする」
「馬鹿な事を言う龍太が悪いんだ」
飛鳥は平然と言い放つと立ち上がった。スカートを叩いて土を落とすと、近くのゴミ箱にビニール袋を放り込む。
「テスト、サボる気か?」
「もうそんな時間?」
龍太は腕時計に目を落とした。授業開始まであと2分もない。今日の四限目の授業はピアノの実技試験。遅刻する訳にはいかない。
「先、行ってるぞ」
「待って! 僕も行く!」
龍太は牛乳を一気に飲み干すと、先を歩く飛鳥の後を追いかけた。
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