優しすぎた人

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 家に帰ると、父が死んでいた。  古びたアパートの一室。六畳一間には食べ終えたポテチの袋、ビールの缶が山となって、我が物顔で居座っている。足の踏み場もないとは、この部屋のことを言うのだろう。 「臭いな」  何かが腐った饐えた臭いと染みついたニコチンが混ざり合い、ハーモニーを奏でている。強烈な臭いに、鼻をつまみ、口で息をした。悪臭を撒き散らす菌が私の喉にへばり付いた気がして気持ち悪い。  窓を開けて換気をしようと視線を移動したら諸悪の根源と眼が合って、私の現実逃避は終わりを告げた。  無数の蠅と戯れるかのように、父がゆらゆらと揺れている。天井から垂らされた縄が父を蒼白に染めており、心なしか部屋の温度も低い。 「外は暑かったのにな」  父の瞳は私を映している。久しぶりに父の眼を見た気がした。真っ黒だった。  自殺だ。見ればわかる。  理由は幾らでも思いつく。寧ろ今まで生きていたのが不思議なくらいだ。  父は優しい人だった。だが、優しさが仇となり、友人の借金の保証人になった結果、至極当然に友人は姿を消した。父には莫大な借金だけが残った。  母は呆れ、離婚届を置いて家を出た。ついでのように、私も捨てられた。まるで小説でも読んでいるかのようだったが、紛れもなく、現実だった。  身の回りの物を全て売り、家も売り、お金を工面したが、それでも足りず、今は借金を返しながら父子二人細々とした生活を送っている、はずだった。今日までは。  時が止まったかのように静寂が支配する空間で、私は警察に連絡しなくてはと携帯を探す。確かスカートのポケットに入れていたはずだが見つからない。視線は上下左右に動き、落ち着かなかった。まるで、自分の家ではなく、異世界に来たような恐怖があった。  ふと、机の上に目がいった。ゴミの中に埋もれるような形で紙切れがある。裏を見ると、今日のスーパーの広告だ。表の白紙の面には、ボールペンで書かれた遺書があった。 『誕生日プレゼントだ』  意味が解らず、首を傾げる。そして思い出した。今日は私の誕生日であると。朝、通学する前に言われた言葉を。 「プレゼント何がいいか?」  数日ぶりにした会話の意味が解らず、私は「何が?」と聞いた。 「今日だろ、誕生日」  私は驚いた。私ですら忘れていた誕生日を父が覚えていたことに。プレゼントを買おうとしてくれていることに。  嬉しくなかったといえば嘘になるが、喜ぶ気にはなれなかった。何故か。勿論、我が家にはお金がないからだ。今日を生きていくので精一杯なのに、プレゼントを買っている場合ではない。そんなことにお金を使っている暇はない。だから、言った。 「お金」 「なんだ?」 「お金が欲しい」  自分が最低なことを言っている自覚はあった。だから父の顔を見れなかった。 「お金があれば何でもできる。お母さんも帰ってくるかもしれない」  一瞬の間の後、父は「そうだな」と呟いた。 「じゃあ、私行くから。遅刻するし」  玄関の扉を開き、閉める直前、声が聞こえた。 「元気でな」  まさかそれが最期の言葉になるなんて思わなかった。誕生日プレゼントにお金を頼んだ結果、父が自殺するなんて誰が予想できる?パチンコに行って金を倍にしようと思ったら無くなったよ、ははは。って笑っていると思った。それに私は馬鹿じゃないのと苦笑する。どうしようもない父親だと。馬鹿だと。本物の馬鹿だと。 「馬鹿じゃないの」  父は生命保険に入っている。死んだら私にお金が入ると思ったのだろう。でも、残念ながら、自殺は保険に含まれない。父が自殺をしたところで、私には一銭も入ってはこないのだ。そんなことも知らなかったのか?ああ、そうか。父は馬鹿だから。ただ、ただ。  優しかったから。  気付けば、涙が滂沱として流れ落ち、畳を黒く染めていた。私の心のようだった。  いつしか警察も携帯のこともどうでもよくなっており、違和感だらけの室内が心地いいものに代わっていた。これが自暴自棄というのだろうか。  目を閉じれば、私を呼ぶ父の声が聞こえる。私は笑って、返事をした。 「待ってて、今逝くから」
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