ユーアーフレンド

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――――明日結婚するわ。  そう言った相手は、あたしの幼馴染みだった。 『ユーアーフレンド』  適当な団地で、適当なマンション。  その隣に住んでいたのが、シンジという同い年の子供だった。  昔からそのマンションに住んでいたから、両親同士も仲がよくて、生まれた子供同士を遊ばせるのも当たり前で。  細かい話を抜きにして、とりあえずシンジとあたしは生まれた時から一緒に遊ぶ、いわゆる幼馴染みだった。  田舎に住んでいたあたしたちは小学校受験なんてあるわけなくて、地域ごとに定められている学校へと進学した。  小学生の頃に男も女もなくて、他の友達が出来ようが出来まいが、二人で遊ぶことは多かった。  シンジが別の子と遊んだ後にうちに来ることだってあったし、あたしが別の友達と遊んでからシンジに会うことだって当たり前で、それは中学に上がっても変わることなんてなかった。  あまりにも一緒だったせいだろうか。  中学生になって、周りからひやかされたりもしたというのに、こちらの方が「なに言ってんだアイツら」状態で、クラスや部活が別であったとしても、一緒にいることをやめなかった。  互いに待ち合わせして帰った。そのままどちらかの家に上がって宿題を協力して片付けることもあった。  そんなあたしたちを見ていればひやかしもなくなって、逆に一緒にいないと心配されたりもして、あたしたちだけじゃなくて、先生も含め、学校全体があたしとシンジは一心同体だと認識していた。 「そんなのおかしいよね」  でもそう言い出したのは、高校の時に出来た友達。 「だってシンジ君とは幼馴染みであって、兄弟じゃないんでしょ?」  ユメコという名のその子は、唯一あたしとシンジの在り方に疑問を持つ子だった。  別にそれを不快に思ったことはない。  ユメコの言葉に「あー、うん。まぁ」という具合で二人で頷いて、「でもさー、結局二人で一緒にいんだよ」と返すのが常で、それにまた彼女は頬を膨らませて「意味分かんない」と不機嫌になるのが最終的なオチ。  でも、高校生にまでなればあたしたちは不思議な関係だってことには気付いていた。 「あたしたちって実は兄弟だったりすんじゃない?」 「あー、そういう結果もありだよな」 「でもオトンとオカンに言ったら笑われて終わりそー」 「確かに。けど俺らになら兄弟でもいいよくらい言いそうじゃね?」 「あー、たしかにー」  二人で買ったパピコひとつを二人で分けて食べながら帰る。  勿論、手を繋いで帰ったりはしない。  あたしたちは幼馴染みであって、それ以上でもそれ以下でもないのだから。  必要な時には繋いでも、必要がないなら何もしない。 「それでいいの? そんなんでいいの? もし二人一緒にいられない事態になったら、二人はどうするの?」  ユメコが必死になって言ってくる理由もよく考えなかったし、解らなかったから、あたしとシンジは笑って「そんなのあり得ない」と首を振った。 「そんなこと、世界が滅びるくらいねぇよ」  そんなことを言っていたというのに、大学に進学すると同時に二人は一緒にいることはなくなった。  それは単純明快。選んだ大学が違ったからだ。  シンジは地元から離れた大学へ。  あたしは地元にある大学へ。  でもそれを決めた時も別段気にすることなく「行けばいいんじゃね?」で終わった。  ここでまたユメコがうんぬんかんぬん。  それからあたしとシンジは会わなくなったわけだが、毎日電話やラインをした。  一日のどこかで。早朝でも深夜でも、返事があってもなくても、とりあえずどこかで連絡を取り合っていた。 『授業がめんどうせー』 『あたし教授に目ぇつけられた』 『明日そっち帰る』 『ユメコとカラオケ行ってきた』  内容は何だっていい。  シンジが帰って来た時は会ったり会わなかったり。  だってあたしにだって予定はあるわけで、わざわざシンジに会うために時間を空けたりしなかった。  シンジも別段何も言わずに帰って来たこともあれば、大学の友人をつれて帰って来たこともある。  とにかくフリーダム。  互いに束縛し合うことなんてない。  それは子供の頃から変わらなくて、いつまで経ってもあたしたちは幼馴染だった。  そんなこんなで、大学卒業から就職。  シンジと知り合ってから二十代後半。  時折ユメコと遊んだりしながら、シンジと連絡し合うという日課は変わらず、そのままで、まるで空気を吸うのと同じくらい当たり前、いや、息を吸うとか考える以前に生きる一部となっていた。 「シンジ君、元気なんだ」 「あいつはいつでも元気だよ」 「いまシンジ君がどこで何をしてるか気にならないの?」 「別にならないけど?」 「……ほーんと、わけわかんない二人だよね」  ユメコも相変わらずユメコだった。  でも突然全てが変わった。 ――――明日結婚するわ。  そう、この一言。 「は?」  ラインで送られてきたその言葉に、ベランダで煙草を吸っていたあたしは灰皿に押し付けるのを失敗して、手すりにジュっと音を立てて消してしまった。  黒く痕がついたことにも気づけず、そのまま画面を見入ってしまう。 「あいつ結婚すんの?」  あたしはその言葉をどう受け止めたらいいのか分からなくて、でもこういう時は普通『おめでとう』と返すべきだろうとハッとして、けれどあたしたちの仲だぞ? 『やったじゃん』とかの方がいいのではないか?  この状態を人は混乱と呼ぶのだろう。 『やーっとそうきたか』  ベランダのコンクリート。  夜風が身体を冷やしながら、空中を漂っていた煙草の匂いを消していく。  あたしはワンルームの部屋に入ることもせず、そのままベランダに直接座り込んでユメコに電話した。 「ねぇあたし、なんて言えば普通なわけ?」 『知らなーい。いつもの調子で返せばいいんじゃない?』 「え、いつものあたしってなに?」 『いつものはいつものだよ』  どこか白々しく言う彼女に、あたしは親指を噛みながらコノヤロウと呟く。  しかし、だ。  シンジがどこの誰と結婚しようが、何かが変わるわけではない。  明日結婚すると言っているのだから、彼女がいた時だってこうやって連絡を取り合っていたのだ。お嫁さんが出来たから連絡をもう取らないというわけでもないだろう。 『でもさ、普通お嫁さんのこと考えたら連絡取らないのが当たり前じゃない?』 「……そんなもん?」 『シンジ君の気持ちよりも、お嫁さんの気持ちを考えてあげなよ』  ユメコの言葉に、吸ってもいない煙草の紫煙を吐くかのような仕草で息を吐き出した。 「普通は嫌がるか」 『普通ならね』  クスクスと笑う彼女の顔が目の前でありありと浮かぶ。  流石は高校からの友人だ。もしかしたら彼女も幼馴染にあたるのだろうか。いや、彼女はあくまで高校からの友人だろう。 『さてどうするの?』 「どうするって?」 『もう連絡取らないようにするの?』 「…………」  返事をしようと口を開いて、でもそこから声は出なかった。  だって、今までずっと、いやこれからだってずっとこうやってシンジと一緒だと思っていたのだ。  突然のことにどうしていいか分からない。 「分からないから電話してんじゃんあたし」 『ちゃんと自分で考えなよ』  逆切れしてみたら上司のように怒られた。  シュンとしてみつつ、真っ暗な空を見上げる。  あたしはいま一人暮らしをしているけれど、実家から近いところで、結局地元の適当な会社で適当に給料もらって、適当に生活をしている。  田舎のここはワンルームのマンションからでも夜空が見えるけれど、きっとシンジが住む家からは外が明るくて星は見えないのだろう。  遊びに行ったことはないけれど、シンジから聞く話から想像した街並みはそんな感じ。 「あー……」  そこまで考えて、あたしは今更なことを思う。 「あたし、シンジのこと何も知らないわ」  生まれた時から一緒にいた。  傍にいた。  でも離れた。  連絡を取り合っていた。  文字を見た。  声を聞いた。  でも一緒にいたわけじゃない。  昔は確かに同じものを見ていたのかもしれないけれど、いま二人が見ているものは全く違う。  同じ空を見上げている?  ばか言わないでよ。  場所が違えば見えるものも色も形も違うでしょーが。 「ユメコ、あたしさ」  シンジは気付いていたんだろうか。 「無意識に、怖がってたのかなぁ」  もうあたしたちが一緒にいないということに。  とっくにさ、  世界は滅びてたんだよ、シンジ。 「シンジとあたしの関係が、今以上にも今以下にもなることが」  そんで。 「あたしは今も、怖がってる」  シンジが結婚すること。  あたしと連絡を取らなくなるかもしれないこと。  あたしが連絡を取らないと言わなきゃいけないこと。  そしていつかあたしも、結婚するかもしれないこと。 「別にシンジが結婚するのはいいよ。あいつの好きにすりゃあいいさ。でも、なんでかな」  流れ星が流れる。  願い事を乗せて。  うそ。冗談。  乗せているのは、体内から出てきたしょっぱい涙。 「昔みたいに、一緒にいたいって思ってる……っ」  今更なお話。  んで、まあ言ってしまえばあたしはきっとシンジに片想いをしていて、ユメコにせっつかれても二人の関係性を壊すことを怖がって、何もしないままここまで来てしまった。 「あっはは、バカだねあたし」  ほんと。 「おおばか者だわ」  ぼろぼろと零れる涙は止まらなくて、ひぐひぐと近所迷惑を考えずに泣いた。  その間、ユメコは一言も喋らずに、でも通話は切らないでいてくれて、もしかしたら寝ていたかもしれないけれどありがたくて、そのままあたしは腫れた目をして朝日を見た。  黄色なのか白なのかオレンジなのかよく分からない色の太陽は正直この目には攻撃的すぎる。 「あー、まっぶしいわー」  人間、夜通し泣くことが可能なんだなと、これまた新たな発見をして、あたしは瞬きするだけで痛むまぶたを擦りながらユメコに言った。 「ありがとユメコ。今度お説教してやってあたしに」  そして通話を切る。  返事は待たない。寝てたら申し訳ないし。  あたしはそのまま今度はラインの画面を開く。 ――――明日結婚するわ。 そっか。おめっと――――  そう返して笑って、それからスマホをコンクリートに叩きつけた。  低いような高いような音を立てたそれはヒビが入るとか以上にバキバキで、使い物にならないのは誰が見ても分かる。  それにあたしは「よし」と頷いて、それを放置したまま部屋に入った。  今日このあと新しいスマホを買いに行こう。  データも何もないそれで、あたしも新しくやり直そう。  シンジがいなくてもいいあたしになろう。  世界は滅びたのだ。  けどきっと七日間でまた神様が作ってくれるから大丈夫。 「ユメコにもなんか詫びでも買うかぁ」  伸びをしてそう言うと、キンコン、と軽いチャイムの音が響いた。 「おっとぉ、来たな?」  昨晩、あんなにオンオン泣いていたのだ。  それプラス先ほどのスマホを壊した音。  こんな朝早くチャイムを鳴らすとなりゃあ、それは隣に住んでいる人だろう。  近所迷惑だ! と怒鳴られても仕方がない。  ユメコの前にお説教されないといけないようだ。 「はーい」  頭をぼりぼり掻きながら玄関のドアを開ける。  この目を見て、少しは怒りを静めてくれればいいのになぁなんて思っていたのだけれども。 「よぉ」  怒りは静まるどころか、逆に「なんでそんなにブサイク面してんだよ」とめちゃくちゃ怒られた。 「まーったく。シンジ君もわけわかんないよねぇ」  ユメコは瞼を擦りながらあくびをする。  今頃朝一の新幹線に乗って、シンジは友人の家へと行っているだろう。  それに一番驚いているのはその友人だろうけれど、その前に一番驚いたのは私だと言ってやりたい。 「あの二人はどこまで一緒だと思ってんだろう……」  ほんと、おかしな話であって。  でもきっと二人にしたら今更な話。 『俺たち、今度結婚することにした』 「え? いつから付き合ってたの? てか、え? へ? 二人ってそういう関係だったの? ちょっと、え?」 『いや、そういうわけじゃねぇけど、そろそろ年齢的に結婚する頃だろ』  あいつにもちゃんと言うし。  プロポーズ? そんなのいらねぇって。 『だって、今までだって一緒にいたんだから、結婚うんぬん言ったって変わんねぇよ』 ――――それでいいの? そんなんでいいの? もし二人一緒にいられない事態になったら、二人はどうするの?  いつかの日に言った私の言葉。  それは今だって思うけれど、あの二人はきっとどうあったって一緒にいるのだ。 「むしろ世界が滅びる方が早いかもねぇ」  ユメコはそう言ってから小さく笑い、テーブルにつっぷしてやっと眠り始めたのだった。 『ユーアーフレンド・完』
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