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扉の両隣に立って無言で向き合っているこのシチュエーションが、今は気まずい。帰る方向が一緒なら、駅前であんなに恥ずかしいことしなかったのに。お互いの最寄りの駅も知らないなんて、わたしって案外、杏也先輩のこと知らなすぎるのかもと落ち込む。学校のある駅からわたしの家の最寄りの駅までは3つしかない。いつもなら早く感じる距離も、永遠に続きそうなほど長く感じる。
「わっ、わたし次の駅で降ります」
「私の家の隣の駅だったんですね。案外ご近所なんですね」
そうなの?そんなことも知らなかった。那砂先輩たちみたいに目立つような兄弟がいたら、きっとわたしが通っていた中学でも噂になりそうなのに、聞いたこともなかった。そうだった。中学生のわたしは、無気力でいつも凪彩ちゃんについてまわるような子だったから、噂になっていても、わたしの耳には入らなかったのかもしれない。そう考えると、杏也先輩が気にかけてくれる後輩ってポジションだけでも、わたしってすごいんじゃないかなって思えてきた。
そんなことを考えていると、あっという間にわたしが降りる駅に電車が着いた。まだ一緒にいたいって気持ちを押しこめて、扉が開くと同時にホームへ降りる。
「今日はありがとうございました」
「気をつけて帰ってくださいね。おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
わたしと杏也先輩を阻むようにゆっくりと電車の扉が閉まっていく。動き出すその時まで杏也先輩から目が離せないでいた。走り去る電車の風にあおられてなびく髪をおさえながら、もういるはずのない杏也先輩を想いながら動けずにいた。
わたしの頭を撫でる杏也先輩のぬくもりと手の感覚を思いだす。わたしの記憶と感覚に刻まれた杏也先輩のぬくもりがあればそれだけでいい。わたしが想い続ける限り、忘れることはないから。だから例え杏也先輩の想う人が汐里先輩だったとしても、杏也先輩を想うわたしの気持ちだけはどうか……否定しないで。
しんしんと降り積もる雪のように、わたしの心にも杏也先輩への想いがたくさん降り積もっていく。やがて消えてなくなるその時までは、わたしは自分の気持ちに正直でいたい。そう思った。
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