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 波の音が聞こえる。  静かだ。こんなに静かな夜は久しぶりだ。  夜の無人島は海の音しか聞こえない。 「なんで、こんなことになっちゃったんだろうね」   俺の隣で、女の子が諦めきったように言葉を零した。  俺は数日前、テレビで報道されたニュースを思い返し始めた。 『昨夜未明、月が砕けた、との情報がNASAから入りました。月に大きな隕石が衝突し、月はバラバラになった模様です。この影響で――』 『月が砕けた』 『月の欠片が地球に』 『地球も破壊される』 『人類は滅亡する』 『我々が、生き残るためには――』  専門家も報道官も、自分たちが死ぬしかない、と知ると全員仕事を放り投げた。  誰もかれも仕事を放棄し、自分たちの一番大切な人間と一緒に最後の日を過ごすようになった。  人がいない世界は、あまりにも静かだ。   この静けさが耳に心地よい。 『今晩は、月の流星群が見えることでしょう』 『良い夜を』  静かな声でラジオが締めくくられる。  最後の日にラジオナレーターをやりたがる人間なんているんだな、と俺は女の子に話を振った。  彼女はうつむきながら、そうだね、と笑った。  真っ暗な海がキラキラと輝き始めた。  よく見ると空からの光を反射しているようだ。  俺は上を見上げた。  月のない空を、流れ星が切り裂いてる。  縫い針をばら撒いたような夜空をじっと見つめた。  「悪いな、無人島にまで付き合ってもらって」 「いいんだよ。私だってやることなかったんだし」  成り行きで俺と一緒にきた女の子。たまたま船に乗ろうとする俺に、知り合いのいない場所に行きたいと言い出した時は、びっくりした。  今、その女の子は、まだ死んでいないのに死んだような顔をしている。  なんだか笑えてくる。  自分の人生は何だったんだろう、なんて考えているのだろうか。  馬鹿みたいだ。  ずるずる周りに流されて、なんとなくで生きてきて、歯を食いしばって頑張った経験なんて一度もなくて、それで毎日死んだような顔をして生きて?  むしろやっと死ねるんだから喜ぶべきことだろ。  こんな終わり方、最高だって、声を上げて歓喜する場面だろ。  どうせ、死にたくもないし生きていきたくもないなら、少しでも自分の人生が楽しくなるように何かしらのものに没頭すればいいのに。  たったそれだけのことでこの女の子は、こんな見ず知らずの男とこんな場所に来ないで済んだのに。  馬鹿だな。  本当に、馬鹿だ。  もう何も考えなくていい。  俺はそれが嬉しくてたまらない。何も感じなくていい。俺はやっと灰になれる。  惰性で生きてきた奴は、死ぬ間際にきっと死にたくないって泣きわめく。  何かに一生懸命打ち込んで何も成し遂げられなかった人間は、自分の無力感に打ちのめされて、もう死んでも構わないって言いだすんだ。  俺は後者だ。  もうお終いにしたい。疲れた。頑張ってきたけど、もう無理だ。  みんなと一緒に死にたい。  さようなら、とても充実していて、楽しい日々でした。  でも俺は努力を重ねても何も成し遂げられませんでした。  さようなら、もう今後一切、生まれてきたくはありません。  さようなら、さようなら、さようなら。    俺の思考を遮るように眼前に星が降ってきた。海が抉れて俺に覆いかぶさってきた。一瞬のことで息ができない。何もできないまま、俺は意識を失った。  何かが聞こえる。  俺は、寄せては引き返す一定のリズムに意識を集中させた。  波だ。波の音が聞こえる。  俺の聴覚はついでにラジオの音も拾った。 『皆さん、おはようございます! 奇跡です! 奇跡が起きました!』  ラジオの向こうの声がぴょんぴょん跳ねている。 『地球は滅亡しませんでした! 私たちは生き残ったのです!』  俺の口から乾いた笑いが出た。
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