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「聞いてよエヴィ! 出だしはこうなんだ、Ah~♪」
それを聞いた先生はいつもの落ち着いた物腰から似つかぬ焦った様子で、「ま、待てまてまてエル! 今は紙もペンもないんだ!」と立ち上がる。
「カナタ、すまない! 失礼する!」
「はーい、またご贔屓にィ」
エヴェラルド先生はハミングを続ける男を引きずるようにして事務所を出ていった。
僕は呆気にとられてそれを見送る。
「なんだったんだろう、あれ……」そう呟けば、テーブルの上のカップを片しながらヤタさんはひょいと首をすくめる。「エヴィ先生ん家の同居人、やそうや」
そうして、彼の月色の瞳が、僕を見返す。「何か、思い出さんか?」
僕は首を傾げた。
「え? 何を……」
チカリ、とふいに目が痛んだ。「痛ッ」僕は咄嗟に掌で右目を押さえる。
「どした! 目が痛むんか?!」とヤタさんが僕の前髪を掻き上げた。
「睫毛でも入ったかな?」
問いかける僕の鼻の先で、ヤタさんの目が僅かに見開かれた。そして、その月色の目は静かに伏せられる。
――わかっとる、もう言わんわ。
「え?」
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