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『希へ
元気か。
あの日、お前が家を出て行ってから、もう十年も経つのか。早いな。
父さんは詳しくはないが、
女優を志す道は、きっと辛く険しいだろう。
何度も挫けそうになるかもしれない。
何度も諦めそうになることだろう。
それでも、あの日、父さんのキツい説教にもヘコたれなかったお前の覚悟は本物だった。キツく叱られて、反対を押し切ってでも、夢を追いかけたいと全身全霊で叫んだお前を見て、羨ましいとさえ思った。
夢は追いかけるものじゃない。
追いかけてしまうものなのだと、突きつけられたようだった。
これは母さん以外の誰にも言っていなかったことだが、父さんは学生時代、作家になることを夢見ていた。
夢中で長編小説を書き上げた。
しかし、これでもかというほど落選した。何度も、何度も。
それでも学生時代は粘り続けたが、周りが本格的に就職活動を始めたことに焦り、作家になる夢は諦めた。そして、今勤めている銀行に入った。
父さんは、あの選択を失敗だったとは思っていない。
なにせ銀行に真面目に勤めていたおかげで、母さんと縁があった。
お前たちに――勇也に、栞に、希に出逢えたから。
だけど、ふとした瞬間に、これで良かったのかと疑問に思うことがある。作家への夢が本気だったなら、勤めながらでも死にものぐるいで書いて、作家になるという夢も掴んでいる未来があったのではないかと。
私は結局のところ、これ以上、自分の才能のなさに向き合うことが辛くなって逃げたんだ。
なぁ、希。
お前の夢見がちなところは、きっと父さん似だな。あの日、女優になるために東京に出ると叫んだお前を強く叱ったのは、まるで昔の自分を見ているようで息が詰まったからだった。
私は、お前ならきっと夢を叶えられるだなんて、甘く無責任なことは言わない。
だけど。
諦めてしまったら、叶うかもしれないものも絶対に叶えられなくなるということも、人生の真実だ。
父さんを振り切って家を出て行ったお前の背中は、我が娘ながら、誰よりも勇ましかった。それに、十年もの長い間、弱音の一つも吐かずに頑張ってる。そこまで本気になれるものに出逢えた希の生き様は、私の誇りだよ。
最後に。
大人げもなく怒鳴ってしまって、申し訳なかった。
父より』
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