「お父さん」 追悼

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7、通夜の当日  通夜は、18:00から始まった。  お経は、隣のお寺の坊さんだ。  何といっても、幼馴染とはいかないまでも、昔 遊んだ中だ。  父親もお坊さんで、後を継いだのだ。  最近のお坊さんは、インテリで 曹洞宗なら 駒澤大学 → 永平寺修行 のコースだ。  今、お経をあげてもらっているお坊さんも、正しく王道である。  しかし、永平寺の修行中に父親が急死し、途中で呼び戻されたのだと  聞いたことがある。  そのお坊さんが、父のお経を唱えているなんて、不思議なものだ。  そうそう、父はそのお寺の檀家の役員だったのだ。  まあ、代々 古い付き合いだから、当然か。  親族は、大体 前の列に座るので、後ろの参列者が見えない。  対面しているレイアウトの所もあるが、ここは全員 祭壇を向いている。  お焼香も、背中が見えるだけで、帰りに頭を下げたまま引き上げるので、ほとんど顔が分からない。  まあ、私も中学以降この町にはいないので、顔を見ても分からないのだ。  参列された人数は、そこそこで親戚関係と兄の関係者と父の友人・知人と 言ったところか。  兄は、スキーの正指導員の資格を持っていて、検定員や町のスキー教室などの世話を行っているので、その関係の花輪や弔電が多かった。 また、61才まで会社勤めをしていたので、その会社の関係者も多く参列していた。 私の会社からは、生花と弔電が届いていた。 お経と一般のお焼香が終わり、隣の部屋には、参列者のもてなし用のお寿司や料理が用意されていた。 私達もそちらの部屋に移動して、料理をつまんでいたところ、兄が私に 声をかけてきた。 「横田先生って、覚えてる」 「え、小学校の時の?」と言うと 「会いたがっている様だから、挨拶してきて」と兄は言った。 横田先生、そう、小学校3年の時の担任だ。 女性の先生なので、覚えている。 でも、顔を見てわかるだろうか?。お互いに。 50年以上経っている。 そう思いながら、斎場に戻った。 そこには、女性が二人いた。 近づくなり、 「あら、教示くんよね。まあ 大きくなって」と 満面の笑みで 挨拶してきた。 私も記憶が戻り 「横田先生、通夜に参列して頂き、ありがとうございます」と言うと 「弔電で、自動車関係のものが多くって、もしかしたらと思ったのよ」 と言われた。 「先生は、父とは、どう言う知り合いですか?」と言うと 「老人会で一緒なのよ。同じ90才よ」と言った。 この時、初めて 先生の年齢を知った。 と言う事は、父と同じ昭和3年生まれだ。 そうすると、習ったときは先生は37才位だったのか。 元気だな。 「父は、何方かと言うと、口数が少ない方でしたよね」と言うと 「輝ちゃんは、踊りも上手だし、人気があったのよ」と言われた。 隣りの女性も 「そうなのよ、人気者よ」と言っていた。 父は、輝行と言う名前だ。 まあ、その年まで、女性に人気が有るって事は、望ましい事だし 羨ましいと思う。お世辞の域かは定かではないが。 懐かしい記憶のかけらと父の意外な一面が見えた気がした。 そして、通夜もお開きとなり、実家に引き上げた。
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