「お父さん」 追悼

8/9
前へ
/9ページ
次へ
8、告別式  告別式の当日となった。  この地方では、先に火葬場に行ってしまうのだ。  妻の実家の東京では、皆で最後のお別れをしてから火葬場に  送り出すのが通例なので、不思議がられた。  火葬場は改修された様で、どこかのリゾートかと思わせる たたずまいとなっている。 母の時は、まだ 古い建物だったと思う。  その中で、父は灰になった。  きれいなところで、幸せだったね。  それから、お骨を持って、また告別式の斎場まで引き返した。 そして、本葬のお経と焼香、そして 初七日法要と、お経と焼香が続いた。 礼服は、焼香と線香の臭いで、どっぷり浸かっている。 服だけではなく、体中 臭いが付いていると思う。 葬式は、座っている事が大半で、その間に、食事が出たりするので、 飲み食べが多く、太ってしまう。 告別式と初七日法要と献杯の会食が終わり、全て終了となった。 祭壇にあった生花・くだもの・缶詰の供え物を分け、親戚や隣組の 方達に配った。 そして、やっと、実家に戻ってきた。 家には、小さな祭壇が作られており、お焼香が出来るようになっていた。 これも、予算の内なのだ。 亡くなった事を、後で知った方が尋ねてくる事が結構あるのだ。 それから、49日法要と納骨の件は、別途、兄が連絡してくる事を確認した。 兄も会社員だったから、家が農家と云えど、お米の作り方や野菜の作り方は 皆無であった。なので、市役所の生涯学習の一環で実施している、農業体験に二期ほど通ったと聞いた。 それよりも、定年延長を早くきりあげて、父と一緒に田植え、稲刈り、 野菜作り、庭木の手入れなどを行った事が、本当に役に立ったと言っていた。 勉強の知識だけでは、現場に対応できない事が身に染みたと話してくれた。 昔からの経験と知恵は、とても大切なんだとも言っていた。 私は、玄関の扉を開け外に出た。 実家の庭には、句碑がある。 俳句が趣味の父と母が、生前に建てたものだ。 句碑には、「美しく 散ることを知る 竹の秋」 邦子        「軍刀を 冬日にかざし 磨きけり」 輝行 が 詠ってある。 「親孝行  出来る頃には  親は無し」  昔のの人は、 よく言ったものだ。 一休みしてから、私達家族は私服に着替えた。 そして、実家を後にした。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加