五月雨/崎山蒼志

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五月雨/崎山蒼志

皆様、おはようございます。 濱口屋です。 今日は「崎山蒼志」さんの「五月雨」という曲の歌詞について思ったことを書いていきたいと思います。 まだ「崎山蒼志」さんをご存じでない方は、Youtubeなんかで、チェックしてください。 とても才能あふれるミュージシャンです。 この「五月雨」という曲。 歌詞を読むと、とても漠然とした不安を感じてしまいます。 思春期の、十代の、あの壊れそうなものばかり集めてしまう不安定な気持ちが見事に表現されています。 私は考えました。 なぜ、この歌詞はこんなにも不安定な思春期の夜を表現できているのか。 この曲も何百回も聞きました。 そして気づきました。 この曲が何について歌っているのかと。 今回は先に結論を言います。 この曲は「サザエさん」について歌っているのです。 サザエさんの放送が日曜6時半に始まる。 ああ、明日からまた一週間学校か。ああ、仕事か。 そんなふうに気持ちが沈むこと、サザエさんシンドローム、皆様、経験されてますよね? この曲はサザエさんを暗喩することにより、そのサブリミナル効果から、皆様を不安な気持ちにさせることに成功しているのです。 歌詞を見ていきます。   裸足のまま来てしまったようだ お魚くわえたドラ猫を追っかけるサザエさんですね。   東から走る魔法の夜 かつては一社提供で、東芝がお送りしてましたね。   虫のように小さくて   炎のように熱い 登場人物の目が虫のように小さい。 浪平さんの怒鳴り声はカミナリと表現されることがあります。雷は炎のように熱いですよね。 ま、ここまでは「サザエさん」の暗喩ということはすぐわかるんですよ。 読んだままですから。 ここからです。   すばらしき日々の途中 こびりつく不安定な夜に   美しい声の針を 静かに涙で濡らすように 「五月雨」という歌詞の言葉の中で一番素敵な表現は、この「針」だと思うんですよ。 この「針」という言葉が何を暗喩しているのか。 皆様は「針のムシロ」という言葉を聞いたことがありませんか? 「心が休まらない状況のたとえ。由来:針が刺さった敷物の上に座ること」 私は「サザエさん」を観るたびに、あるシーンでいつもモヤッとしたものを感じていました。 それは一家団欒、大きなちゃぶ台で夕食を食べているシーンです。 「なぜ、子供たちには座布団が与えられていないのだろう?」 皆様お気づきでしたか? サザエさん、マスオさんは座布団に座っているのですが、 カツオ、ワカメ、タラちゃんは床に直に座っているのです。 しかも正座で。 カツオは百歩譲って、日頃の行いから仕方がないとしても、タラちゃんに床、直、正座は厳しいでしょう。 やってみ?拷問ですよ。夕食の間の数十分。 休まらんでしょう。 心、休まらんでしょう。 だって、床、直、正座なんですもの。 それで、アハハ、オホホの一家団欒をやれって言うんだから、そりゃ厳しい。 普通の床なのに「針のムシロ」に座っているようなものです。 つまり、この「針」という言葉は、この食卓のシーンの子供たちが受けている肉体的、精神的苦痛を表していると考えられます。   意味のない僕らの 救えないほどの傷から   泪のあとから 悪い言葉で震える   黒くて静かな 何気ない会話に刺されて今は   痛いよ あなたが 針に見えてしまって 日曜、夕方、明日から学校。 サザエさんを見ていると、親は言います。 「宿題終わったんか?」 「明日の準備できたんか?」 「はよご飯食べて風呂入って寝えや。」 親に抑圧される、日曜夜6時半。 その自分と食卓のシーンの床・直・正座がオーバーラップし、「五月雨」の歌詞の「針」という暗喩がそのことを思い出させるのです。 そして、大人でないからできることが少ない。でも自由になりたい、思うように生きたいと藻掻く思春期の気持ちを思い起こさせるのだと考えられます。 いやあ、ここまで考えてこの曲を作られた崎山蒼志さんは本当に天才だと思います。 冒頭でも言いましたが、皆様、崎山蒼志さんの曲を一度聞いてみてください。 この曲以外にもいい曲ありますから。 では、また。 -おわり-
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