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Do what thou wilt shall be the whole of the Law.
突然、携帯が鳴った。ボタンをスライドさせて、電話に出た。
「私。…うん。わかってるって、ハロウィンまであと10日もないわけだし…はいはい。とにかく、もう少し、探してみるから…うん。じゃあね」
(それはわかるんだけど、だいたい理想が高すぎるのよw 衣装に合うような、「魔法の道具」なんて!)
携帯を切ると私は、無造作にポーチに放り込んだ。新宿駅新南改札から歩くこと5分。人通りの多い駅から歩いてくるとショッピング街、オフィスビルと来て、段々人通りが少なってきてる気がする。
このお店で、今日は6軒目。秋葉原から流れてきて恵比寿、渋谷で新宿と相成ったわけだが、なかなか意中の「もの」は発見できない。「もの」とは言っても、はっきり「こういうもの」が欲しいと説明できるわけでもない。ただ自分の感性にピンッと来る「何か」を探しに来た。
うろ覚えの住所によれば、お店の場所は千駄ヶ谷5−32−6。このあたりなんだけど。きょろきょろと辺りを見回しているとお店の名前が書かれたいくつもの表示のなかにその名前を見つけた。
昭和の香りがする古びたビルが目の前に立ちはだかった。1階は白い壁だけれど、2階から上は煉瓦色をした建物。そのビルの3階に魔法のカフェバー『アンベルノッテ』がある。
「本当にココなのかな?」
少々疑いながらも、中に入っていくことにした。エレベーター(これも年季が入ってる)に乗って3階で降りて、左手に歩いていくと突然ビルの中なのに吹き抜けが現れる。
通路に沿って歩いていくと小さな立て看板と掛け看板が見えた。『Umbelnotte』と書いてあった。
(何語なのかな?英語じゃなさそうだし。フランス語?ドイツ語?イタリア語???)
そんな余計なことを考えながら、重たい鉄製のドアを開けた。開けるのにはほんの少しだけ勇気と度胸がいるけど。。。
開けてみるとそこは別世界だった。
「いらっしゃいませ」
お店の奥から男の人の声がかかった。
「奥へどうぞ」
メガネをかけて帽子を被った優しそうな男性だった。
「あ、はい」
促されるまま店の中へと歩みを進める。ほんの微かにお香の香り。アンティーク調でまとめられた店内。
最も目を引くのは壁から張り出すように見える大きな鹿の剥製。角が大きく広がって、天井に刺さりそう。目もクリクリしててまるで生きているように見える。っていうか壁の向こうには大きな体が実はあって、異空間で繋がっている…そんなわけはない。
そのすぐ斜め下に紫色の布で天蓋が付いてるボックス席まであった。真紅のカーテンが引かれた窓側には低いチェストと飾り棚が並べてあった。そのチェストや棚の上には私が探していた品物がたくさんたくさんディスプレイされているではないか!まさに、魔法の空間だ。
「お好きな席にどうぞ、おかけください」
私は、はやる気持ち抑えつつ一番奥のテーブルについた。そのそばの壁には金縁の額に入れられたタロットカードが飾られていた。色鮮やかなカードがびっしりと隙間なく並べられていた。何処かで見たことがあるような気がするけど、誰が描いたカードだっけ?
「はじめてのご利用ですか?」
「あ、はい。ここ、素敵ですね」
そう言うと彼は嬉しそうに笑いながら、メニューを開いた。
「ありがとうございます。こちらがメニューになります。」
(忘れてたけど、ここはカフェバーだった…)
「1時間ワンドリンク制になりますので御了承ください」
どのメニューを見ても写真が素敵だった。不思議なネーミングと説明。日常とは何かが違って見えるよう工夫されたものだった。いろいろなところに目移りして、当初の目的を忘れそうだ。
「じゃ、ダージリンをください」
「ホットとアイスがございますが」
「ホットで」
「かしこまりました。ミルクはお付けしますか?」
「あ、はい」
「お待ち下さい」
彼はメニューを下げ、お冷やを置き、一礼して去っていった。その動きは非常に優美なものだった。
お店には私以外のお客はないなかった。私、1人の貸切状態。なかなかこういう経験もない。遠くにクラッシック音楽がBGMで聞こえる。やっぱりここは別空間だ。店内を別な視点から見直すと、さっきのタロットの掛けられた壁の反対側にはたくさんの木や真鍮でできた大小様々な十字架と銀色の天使の羽根のモチーフがデコレされてる。
その向こうには小さいながらもバーカウンターが設えてあった。カウンターの上にはこれも鹿の角なのだろうか?三本を組み合わせて作ったライトが光を放っていた。
(この雰囲気をなんて言い表したらいいんだろう?)
「お待たせしました」
その声で我に返った。ハッと気づくと目の前にはもう花柄のティーカップとポット、ミルクジャグ、砂糖入れなどがセットが置かれていた。ダージリンの良い香り辺りに広がっていた。まるで時が一気に流れてしまったような錯覚に陥る。私は意識を失っていたのだろうか?
「あ、どうも…」
「魔術に興味がおありなんですか?」
「はい⁉︎」
いきなりな質問に面をくらった。私と魔術?どこをとう見ればそんなふうに思えるのだろうか?
「いえ、赤い本を手に取っておいででしたので」
(赤い本⁉︎そ、そんなの)
思わずギョッとした。いつのまにかテーブルの上には手帳サイズの真っ赤な本が1冊置かれていた。正確には私の手の中に収まっていた。もちろん、そんなものを持っているはずも、持ってきた覚えもない。本棚から引出した覚えもない。なぜ?
「なかなかその本を手に取られるお客様は珍しくて。英語で書かれていますし。あ、私は読めませんよ。魔術もよくわからないですが。」
「はあ。」
「そこの棚にある本は店のオーナーが揃えたものなのですが、よければ他の本も自由にご覧になっていただいて結構です」
「あ、ありがとう…ございます…」
何が何やらわからず、とりあえずお礼の言葉を述べたが混乱は収まらない。自分の行動が記憶から消えている。この本を手に取った覚えなどないのだ。
ちょっと怖くなって、小さなその本を捨てるようにテーブルの上に置いた。上から本の両サイドを眺めてみた。表紙も背表紙にも金字で文字がある。これは英語。でも意味はわからない。
背表紙には「LIBER LEGIS」表紙には「THE BOOK OF THE LAW LIBER AL VEL LEGIS」と書いてあった。
(何の本???)
中を見ると前半は番号が付いていて数行ずつの英語。後半は何かの写真がずっと続いてた。何が書いてあるかわからない人の書いた字で、だ。英語に門外漢の私には何の本かなんてわかるわけがない。
(とりあえずダージリンを飲んで落ち着こうw)
ソーサーを持って、カップを口元へ運んだ。一口飲むとダージリンのマスカットフレーバーが香った。身体中に染みにわたるのがこの紅茶の特徴だ。気分が落ち着いてきた。わからないことを悩んだってどうしようもない。当初の目的を思い出さねば!
「目的があるからこそ、その本はあなたの手の中にあるのではなくて?」
「!!!」
私に向けられて発せられた言葉だと気づいて、心臓が止まりそうになった。慌てて声のする方に視線を飛ばした。
天蓋のあるボックス席にいつのまにか長い黒髪の女性が座っていた。
ドアが開いた音はしていない。お店の人なんだろうか?それにしても鮮やかでしかも深い緑色のワンピースにグレイのストール。体にぴったりとフィットするタイプのワンピースを着ている女性だった。
長くしなやかな指先がタロットカードをまるで生き物を撫でるように、切り、テーブルの上に並べられていった。明るい紫色に塗られたネイルに付いたストーンがお店の照明で時々光って見えた。
十何枚もカードをテーブルに並べては、取り払う。そんな動作を繰り返していた。
「遠くで見ていないで、こちらに来て近くで見たら?あなたのことを視ているのだから」
「へ?」
私は吸い寄せられるように赤い本を持ったまま、向かいのえんじ色のソファに座った。
「この本のこと知ってるんですか?」
「さあ?」
ちょっと首を傾げながらごまかした。
「あなたはどなたですか?なぜ私のことを?」
「私はリャナン・シー。シーって呼んで。タロットリーダー」
「タロットリーダー?」
「まあ、占い師みたいなものよ」
また、並べたカードを取り払った。
「はあ」
「ふうん。なるほどね」
手際良く新しいカードをどんどんテーブルに並べていく。一見すると無造作に並べているようにも見えるが、けしてそうではなかった。
『四大に力を吹き込めよ。文字としての物質的な言葉だけでなく、霊的な言葉、知的な言葉、感情的な言葉をおのおの地、火、風、水に当てはめ諸界を徘徊するために』
「おっしゃってる意味がわかりません」
『理解不能な者たちが下から眺めると以上のように見える。しかし、上から見る者は歓喜に浸るのみである』
「………」
彼女は私の顔を覗き込みながら、言葉を紡いだ。それはまるで彼女ではない人物が話しかけているように聴こえた。
『そこで汝はアエティールを出よ。アエティールの声は汝には隠されている。なぜなら汝はアエティールの「鍵」を持っておらず、汝は霊視の輝きに耐え得なかったからである。けれども、汝はアエティールの神秘の数々とそこにいる貴婦人について瞑想せよ。そうすれば、アエティールの真実の声、すなわち終わりなき歌が<至高なるもの>の叡知によって聴こえるようになるだろう』
「あ、あの…」
黒髪の女性は突然黙り込んだ。そして立ち上がると窓際にある飾り棚からあるものを取り出した。
それは古い古い家か何かの鍵だった。それを持ったまま、今度は自分のバッグの中から麻紐を取り出して、鍵にぐるぐると巻き付けた。
「はい。これが、あなたが探していたもの。欲しいと思っていたものよ」
「これが?ただの鍵じゃないですか」
「そうよ。鍵よ。でも、ただの鍵じゃないわ。魔力を持った『何も開けない鍵』。使い方を説明するわね。でも、その前に「愛」について語らなきゃ」
彼女は鍵を手渡しながら、にっこり私に微笑みかけ、そして頬にキスをした。
「お客様、御注文はいかがないさいますか?」
「ほえ?」
「お客様、大丈夫ですか?ご気分でも…」
「あ、大丈夫です。そろそろ失礼します。お会計をお願いできますか?」
「かしこまりました」
そう言い残すと彼は精算をするためにレジへと向かった。私はまた座ったまま意識を飛ばしていたのだと気付いた。また記憶が飛んでいた。携帯の時計に目をやるとこの店に入ってから1時間以上経過していた。
テーブルにあったカップにはダージリンは入っていなかった。もう空になってしばらく経つように乾燥していた。私はバッグを持って立ち上がって出口に向かった。
「715円になります」
「……」
お財布から現金を取り出して支払った。
「ああ、珍しい物をお持ちですね。ハロウィンの小道具になさるのですか?」
「え?」
「抱えていらっしゃる赤い本ですよ。本から鍵が見えていますから、ハロウィンのおまじない『Key and Book Charmキーアンドブックチャーム』ですね。願い事がかなうことを祈っております」
そう言われてみて、はじめて自分が本を小脇に抱えていたことに気付いた。赤い本は鍵を挟んだまま麻紐で十字になるようにギュッと縛られていたのだ。
「この本はお店のものではありませんか?さっき聞いたときは、『その本を手に取るお客は…』って言ってましたよ」
そういいながら彼に本を差し出した。彼は受け取ると上下とひっくり返して怪訝そうな顔をして本を見ながら答えた。
「いえ、違うと思います。私の記憶にはありません。一応、オーナーから預からせていただいている本は全て頭に入っていますが…。これは、当店の本ではありません。お客様の本ではないのですか?」
そういうと本を私に差し出した。私は受け取るしかなかった。
「じゃあ、お店にLeannan Sidheって人はいますか?長い黒髪の女の人なんですけど。タロットリーダーの」
「シー?何人か占い関係の方々もうちのお店には出入りするのですが、あいにくそのようなお名前の方は、、、それに本日は私ひとりで営業しておりまして。いつもならもう1人、ウェイトレスをしてくれる従業員がいるのですが」
「………」
まるできつねにつままれたようだった。押し問答をするのも嫌だったので、そのまま店を出ることにした。
「?」
「ごめんなさい。なんでもないです。ごちそうさま…」
バタンと重い音を立ててドアが閉じられた。
(一体なんだったんだろう?狐か妖精にでもばかされたんだろうか?)
そんなことを考えながら、エレベーターではなく白いペンキが塗られた階段を1階に向かって降りはじめた。
1階まで到着すると携帯を出して、検索サイトに「リャナン・シー」という名前を入れてみた。
結果はすぐにヒットした。アイルランドの若く美しい姿をした妖精の名前だった。妖精の恋人、恋人の愛人を意味するとあった。「シー」というのはケルトの言葉で「丘」を意味していた。
また、ハロウィンの起源についてもいくつか興味深いものがあった。ドルイド司祭の話をもとにするとハロウィンのこの時期はこの世とあの世との目に見えない「門」が開き、その両方の世界の間で自由に行き来ができるようになると信じられていたというのだ。
(門?っていうことは門を開く、「鍵」?)
「そうよ。鍵よ。でも、ただの鍵じゃないわ。魔力を持った『何も開けない鍵』」
Love is the law, love under will.
<Fin>
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