記憶の洪水

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 自分の中に重く閉ざさされた扉があった。  まったく唐突だが、それを開けることができるという人物に出会った。  中学生の頃に刑事ドラマで見た、探偵とか〇〇会とかいう仕事をしている人たちの事務所のようなところで、その男は私がメールで申し込んだ概要に目を通してから私を一瞥して言った。  「将棋でも指しませんか」  「えっ、私、将棋なんて小学校の時以来していません。もうルールも忘れました。それに……」  「……それに、高い金を払ったのに何、関係ないことさせるんだと思ってますよね」  「ええ、まあ」  「ルールは私が教えますので……すぐ思い出しますよ」  この人の確信的な物言いは、一体どういわけなのだろうか。しかし、確かに駒を進めるにつれて、私は将棋の面白さを思い出し、いつしか集中していた。  「……でノブよ、本当にハフリ家のマサを討つとはな……まあ、俺も皆も同じ思いではあるのだがな」  気づくと、夏の日差しを受けた縁側にいた。  そして、事務所で対面していた男は、まげに冠をかぶった……TVドラマで見る戦国時代の武将のような格好をしていた。  ふざけているのかと声を出そうとして、自分も同じような格好で男になっていたことに気づいた。そして、思ってもみなかったことを口走った。言葉は現代の日本語でないが、脳内で理解できている。  「ああ、すでに計画通りヒロやタカが動いている。マサの足元が揺らいだところで、俺らも出陣する」  「マサではなくお前のような男が棟梁であれば、我が一族で争うようなこともない、他国から狙われることもないのだがな」  「俺は戦場で槍や刀を扱ったり馬を駆ったりするはマサのようにはできない。遊興と偽ってサブラヒ家の当主を呼び出して惨殺するような真似もしない。庶家の長子上等。――マサは糞野郎だから一族から排除する。それだけだ」  男になった私は、話しながらも駒の配置を見つめて次の手を打つ。 「今年の夏は忘れられない夏になるな。一族の存亡をかけた勝負に出る」  その瞬間、将棋の盤と駒が頭上の太陽に呑まれるかのように視界が揺らいだ。そして、チェスのような駒と盤、それ以外にも様々な形と文字や配置の駒や盤が、光の洪水の奥から現れ出てきた。  ――覚えている、どの文字も、駒も、盤も。私はこうした遊戯が好きだった。どんな時代のどんな国に生まれても……!  「気づきましたか」  我に返った私は、事務所で将棋を指していた。  「私の勝ちですが、あなた強くなりますよ。いや、本当は私より強いはずだ」  壁の時計に目をやると、すでに事務所に来てから3時間以上経っていた。  「扉はすでに開いています。またすぐに閉まってしまう人や、自分で閉めてしまう方もいるのですが……また何かあればいらしてください」と事務所の男は言った。  建物を出ると、外はすでに夏の夕空になっていた。  私は知っていた。マサと呼ばれた男がその後どうなったのかを。計画通りにマサを領国から追放し、新しい棟梁を一族に据えて仕えた。  ――だから、私は今ここにいる。
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