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王の料理人
恵国の王宮料理人鄒燕は広い厨房で考え込んでいた。
治世三百年にわたり善政を敷き続けた主郭帝は、近頃とみに老いた。
恵国においては、善政が敷かれている以上、王は老いることはない。それが老いた。黒く豊かであった髪と髭は灰色になり、なめし革のように艷やかで張り詰めた肌は色を失い目尻や口元には深い皺が刻まれた。数多の戦場を疾駆した武人特有の鋭い身体の線は柔らかく弛緩してしまった。何より王を王たらしめていた真実を見抜く黒く鋭い瞳はいまや光を失い、茫洋としてただ周囲のものを見るための器官に堕した。
鄒燕は何度目かのため息をつく。
王は、害虫に食われて洞だらけの松のようであった前政権を倒し登極した。鄒燕は王がただの武将であった頃から、食をもって仕えてきた。王は鄒燕の供するものなら何でも喜んで食し、「全く鄒燕はニ無き料理人よ」と必ず褒めた。荒野で野営し、間に合わせに皆で捕まえた蛙を炒め煮にした奇妙な食事でも「美味いな」と朗らかに笑った。
しかし、最近はどのような食事を出しても、たとえそれが極めて珍重される蠉の肉であっても、鴻の肉であっても食指が動く様子はない。
「もう少し召し上がりませんと」
給仕がいくら勧めても煩そうに手を振って下げさせてしまう。
ほとんど箸もつけられずに戻されてくる蠉や鴻をみると鄒燕は悲しくなる。どれも王宮内の飼育所で大切に育てたものである。
命のために死にゆくものを育てる飼育係は「王に供せられるのだ。名誉なことだ」と、いつも涙を浮かべて手塩にかけた動物たちを送り出すのである。
むろん、地下人たちなどは一生に一度も口にする機会はない。
鄒燕はまたため息をつく。
もはや王が食したことのない肉といえば人ぐらいしか残ってはいない。鄒燕は自分の考えたことの恐ろしさに愕然とした。
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