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王がぽつりぽつりと話し始めた。
「あれはたしか賢威と言った。賢威は……ひどく勇敢で」
王の脳裏に勇敢に闘う一人の戦士の姿が蘇った。
「褒めてやれば飛び上がらんほどに喜び、叱れば己を恥じて三日は眼前に現れぬ、そんな男だった」
公主は真剣な面持ちで父をみつめた。
「いつの間にか忘れていたのだ。死んでいった者たちのこと、国を作っているのは、大地を耕す人間であることを。吾ではない」
王は続けた。
「忘れていたのではない。思い出そうとしなかったのだ。あの娘には悪いことをした。本当は覚えていた。最早期待に答えられぬ吾を名君として期待を込めた瞳で見つめられるのが怖かったのだ。吾のなかにかつての吾は最早いないことを知られるのが恐ろしかったのだ。酷いことをした。さぞや傷ついたであろう。今となっては詫びようもない」
「まだ間に合いますわ……さあ、もういいわよ」
幕の外からおずおずと出てきたのは先程、公主と話していた母と赤子であった。
「鸖よ」
王は目を見開いて娘をみた。
「天馬は子を載せるのが大好きのようで、赤子は泣きもしませんでした。さ、どうぞ母親にお言葉を」
「先刻は済まぬ。思い出した。賢威の……娘、いや……」
母親が弾んだ声を出した。
「覚えていてくださいましたか。賢威はもうずっと昔に亡くなりましたが、最期まで王とともに闘い国を勝ち取ったことを誇らしげに繰り返し繰り返し話していたそうです。わたくしも、王と賢威の話を何度も何度も両親から聞かされて育ちました。ですから王のお姿をみるのは初めてでございますが大層懐かしく思います。それで弁えもせずに……子を。どうか子に王の御名から一字くださいませ。元気な男児にございます」
かつて余のために命を惜しまぬ者が大勢いた。彼らの流した血の上に我が恵国はある。我が国はこの娘のように若い母親や父親の働きによって存在している。
それを倦んだといって見もせず、聞きもせず……賢威よ、余はまだ許されようか。
「子をこちらに」
王は静かに言葉を発した。公主が子を抱き取って王に渡した。王は子に自分の名の一字を与えた。
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