第1話

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第1話

風が吹いていた。 下から上に突き上げるように激しく吹く風が。 自分の足元から頭上へ、まるでジェット気流のように吹き上げていく風。 俺はただ自分の足元を見ていた。 足元。 正確には爪先。 爪先のその先にある暗闇を見つめていた。 強風のせいでずっと目を開けていることはかなわない。 顔を背けながら、自分の意思に反して、俺は足元を強迫観念にでも捕らわれたように見続けた。 そう、目が離せない。 目玉すらその一点から動かせない。 俺の周りが暗闇だということはわかる。だが、なぜ、俺が暗闇の中に立っているのか理由がわからない。 こんなに強い風が吹いているのに「寒さ」を感じないのは何故なのだろう? 今の季節は、立冬を過ぎて、真冬に向かっている。 こんな強風が吹き続ければ体温なんて一気に奪われてしまうこと必至だ。 だが… 何も感じない。 寒くはない。 熱くもない。 身体中の触覚が失われている気がする。 それでも顔に風が、体に風が吹き付けられていることはわかる。 俺は一体どこにいる? なぜこんな場所にいる? ここは一体どこなんだ? 俺は何をしにここへ来たんだ? もしかして、一歩踏み出せば、もっと違う何かが見えるのだろうか? いや、待て。もう少し様子を見た方が賢明だ。 第一、ここがどこかもわからないじゃないか。 足元に固定してしまった頭を動かそうと脳に命令を送った。 驚くほど体はその命令を拒絶した。 頭と体。思考と行動がまるっきり分離してしまっている。 くそっ! 動けよ! 俺の体!俺の体だろう!主人は俺のはずだ! その時、足元から何かがパラパラと下へ落ちていった。 石?岩か?足元には地面があるのか? 突然、狂ったように犬の鳴き声が響き渡った。 だが、犬の姿は見えない。声だけが耳をつんざいた。 なんで急に犬が? どうやら足元で鳴いている。足に、ズボンに噛み付いて後ろへひっぱんているようであった。 なんだ?なんだよ? 俺、犬なんて飼ってないぞ? お前、何をしてる? なんでそんなに引っ張るんだ? 止めてくれてるのか? 後ろに下がれって?なぜ? なぜそんなに必死になって引っ張って? そう思っていた男性の横を細く黒く長い何かがしなった。 「ギャン!」という短い泣き声を残して犬は急に足元から消えた。 なぜ消えたのか、どんなふうに消えたのかはよくわからなかった。 もう一度気を取り直して、足元に目を凝らすと、実は崖っぷちに立っていることがわかった。 あと一歩でも右足を踏み出せば谷底に落ちてしまうそのギリギリのところに立っていた。 谷の深さはわからない。 ただ下から吹き上げてくる風の強さから考えていくと相当深いことだけは間違い無かった。 ゴクリ…。 生唾を飲んだ。 ここから落ちれば、もう…。 そんなことが頭をよぎった。 なぜ動けない? なぜ俺は??? なぜここにいる? なぜなぜなぜなぜ???? 理由が思いつかない。 理由が見つからない。 突然、空気が、ビュッと裂けた音がした。 なんだ?何の音? 手と足に細く黒く長い何かが巻きついていた。 足首に巻きついた「もの」を見るといばらの蔦だった。 艶やかに妖しく光る棘が幾重にも幾重にも体に深く突き刺さっていた。 何だこれは? そう思った瞬間、いばらが谷底へ向かって彼を引きずりこんだ。 悲鳴は風にかき消された。 その存在もろともに…。
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