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第8話
背後には眩しい白い光があった。
しかし、後ろを振り返ることはできない。
振り返ってしまえば、薔薇と血の導きが消えてしまい元の世界に戻ってしまう。
彼女は一人、「その場所」に立っていた。
鈴木駿哉の姿もレメゲトンの魔法円もそこにはなかった。
リースの目の前には夜の世界が広がっていた。
彼女の立っている場所がちょうど、昼間と夜の境目のようになっていた。
足元には冷たい砂があった。
素足に砂の冷たさが広がっていく。さらさらとしているが、夜の闇に晒されて冷たくなっている。
彼女は右足のグングルーを一度だけ鳴らした。
すると、背後にあった光がものすごいスピードで彼女の後方へ飛び去っていった。
まるで夜の闇に食われてしまったようだ。
遠くから吹いてくる風が彼女の白いヴェールを剥ぎ取ろうとしていた。
手で抑えながら、さらに左足のグングルーを鳴らした。
風がほんの少し弱くなった。
(…うまく入り込めたようね…)
リースは辺りをうかがった。
頭上には満点の星が輝いていた。
月はない。
大小さまざまな星だけが音楽を奏でるように輝いていた。
眼前に視線を落とすと地平線まで砂漠が広がっているのが見えた。
なだらかな丘陵地。
しかし、森や草などの緑地帯はなかった。
風に吹かれた砂が砂紋を創り、幾重にも重なり合っている。
その向こうに何か人工の建造物らしきものが見えた。
月明かりもないが、ぼんやりと発光しているいくつかの建造物。
先端が尖り、夜空を貫こうとしているようにも見える。
大きさが異なる正四角錐。ピラミッドだ。
左手に視線を移すと、真っ黒な谷が見えた。
地面が割れて、パックリと口を開けている。
崖は急勾配でくねくねと曲がりながら山のようにそびえていた。
(あの崖が、彼が言っていたものかしら?)
右手に視線を移すと、そこには大きな大理石の門がそびえ立っていた。
大理石の表面には加工が施されていた。
ローマでよく見られるようなロマネスク様式の手の込んだ装飾が表面に彫ってあった。
リースはちょっと困った顔をした。
それはそうだ。色合いはともかく、そこに存在するであろう位置が歪んでいた。
「遠近感が滅茶苦茶ね。夢だから仕方がないのでしょうけど」
全てのものが遠くに見えるようで近くにあり、近くにあるようで遠くにあるのだ。
「さ、どこから調べればいいかしら?」
足元を見ると「何か」の跡が一定間隔で地平線にあるピラミッドの方向へ続いていた。
10cmほどの長さでアルファベットのVのように見えた。
まるで動物の足跡のようだ。
風に砂が吹き上げられる中で、非常にはっきりと形が見え、消えることがなかった。
不思議なことにむしろ浮き出て見えた。
「これが最後の足跡になりそうね」
(砂漠で生きる動物。砂漠で力を持つ動物。それなりに大きく、この歩幅でいくと2〜3メートルのたかさはあるかしら?)
「駱駝…の足跡…かしら?でも、夢の砂漠で駱駝なんて。夢なのだから何でも出てきそうなものだけれど」
リースは首を傾げた。
夢だからといって、普段、人間が見る夢と同じだと思ってはならない。
それを確かめにきたのだから。
事前に自分で言ったではないか。「いばらの王」が関わっているかもしれないと。
もしそうであれば、人間の常識は通用しない。
そこまで考えを巡らせて彼女はハッとした。
彼女の中にいる出来事を客観的に見るもう一人の自分が「警告」を発していた。
もともと定められた姿を持たない妖精の彼女は「そんなこと」を考えない。
考えたりしない。
妖精は人間から見れば夢の世界の存在。
夢の世界では全てが現実なのだ。
カフェバーのあの部屋で聞いた師匠の言葉が蘇る。
『あまり長いこと憑いておると強い方に吸収されてしまうゆえ』
「表層意識には現れてこなくても、強いのは宿主の貴方ってわけね…」
自分の左手を見つめていた。
さっき陶器片を握った掌には不思議なことに何の傷も血もついていなかった。
勿論、体に巻き付けた布にも血はついていなかった。
くすっと笑ってリースは目的地を決めたようだった。
「満足に食事もしていなから…力も出ないわね」
リースは足跡を一瞥すると、左側の崖に向かって行った。
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