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第9話
彼女が一歩、歩くたびにグングルーがシャンシャンと鳴り響いた。
風の吹く中、グングルーの音の広がりが、その場を清めるようだ。
音が彼女の周りに安全地帯を作るように、砂漠の風に舞う砂もその音の広がる範囲には入ってこれなかった。
崖へ近づけば近づくほど、辺りが墨を流したように漆黒に染まっていった。
手を伸ばしてもその手すら見えなくなるほどの闇だった。
「何なのかしら?このまとわりつくような粘度の高い闇は?」
何かが自分の周りにまとわりついている気がした。
何かが自分の周りにまとわりつこうとしている気がした。
グルグルと回りながら、探るように、舐め回すように見られている気がした。
それが何者の視線かはわからない。
グングルーの音での防御がなければ、何が起こってもおかしくないような雰囲気だ。
「鈴木さんが言っていた場所はおそらくここね」
グニャグニャと曲がりくねる道を登っていく。
砂漠から見上げた時は一本道のように見えたはずなのに、今は蛇行する川のような道だ。
道幅は人一人が通れるほどのけもの道の様相を呈していた。
だが、草木は全くない。
足元にあったはずの砂はもうなく、岩場になっていた。
ゴツゴツした岩が上に向かって伸びているように感じた。
先に進めば進むほど、視界が悪くなっていく。
黒い霧がかかったように、前が見えなかった。
さっき弱めたはずの風が、進めば進むほど強くなっていく。
「さて、何が出るのか確かめましょうか」
リースの歩き方も変わった。
いくら実体でないとはいえ、怪我をすれば(怪我をしたと自分が思えば)現実世界の宿主が本当に怪我をすることになる。
精神世界は肉体に影響する。
彼女もそれをわかっているから、慎重にならざるを得ないのだ。
それに何かが起こって、探索半ばで現実世界に戻ってしまうわけにもいかない。
歩みを進めるというよりは、すり足で少しずつ探りながら、坂を登った。
と、何だか嫌な予感がして彼女は立ち止まった。
右足に体重を乗せて、左足をほんの少しだけ前に出して、左右に動かしてみる。
足先で岩の外淵をはっきりと辿ることができた。
ここが崖の先端だ。
「ここに彼は立っていたのね…」
目の前は暗闇で何も見えない。
何も見通すことができない。
闇のヴェールがかかっている。
風の吹き上がる音だけが聞こえる。
風だけが下から上へと吹いていた。
その風に紛れて、「声」が聞こえた。
風鳴りが言葉をなしているようだった。
同じ声が違った方向から聞こえた。
まるで互いに会話をしているようだった。
それは足元から聞こえたり、横から聞こえたりと聞こえてくる方向はマチマチだった。
だが、声の質は同じだった。
男声のように低くもあり、女声のように高くも聞こえた。
リースは姿が見えないその存在の声に耳を傾けることにした。
『時の夜の…()が扇動する。汝の未来の姿は無。時の夜の…()の領域に入る者はこれを負わねばならない』
「…『時の夜』?()って何のこと?」
疑問を投げかけても、答えなど帰ってくるものではなかった。
ただ淡々と声がした。
『彼は死の川の水を飲み干した』
『そうしなければ<薔薇>に水をやることはできない』
『彼は世界の炎でその身を焼いた』
『そうしなければ<薔薇>に陽の光を当ててやることはできない』
「彼って、彼のことなの?彼って誰なの?」
リースはさらに大きな声で叫んでみるが、「声」の主たちは気にも留めないように一定の間隔で喋っていた。
『彼は光の中に生まれ落ちた』
『そうしなければ<薔薇>を植え替えることはできない』
『彼は光の中に生まれ落ちた』
『そうしなければ<薔薇>を植え替えることはできない』
『彼は光の中に生まれ落ちた』
『そうしなければ<薔薇>を植え替えることはできない』
「薔薇?薔薇ですって⁉︎いばらじゃないの?それに、こんな闇の中で光の中になんてできるわけがないじゃない?自分の手の先すら、足先すら見えない闇の中で何ができると言うのよ!」
『答えはそこにある』
『答えはそこに見えている』
『答えは誰もが知っている』
『答えを知らぬ者はいない』
『答えは星の中にある』
『答えは砂漠の中にある』
『答えは印の中にある』
『答えはわかっているのにわからないものである』
『答えはわからないのにわかっているものである』
『答えは汝』
『答えは我』
『答えは……』
突然、言葉が遮られた。
人間とも動物ともつかない恐ろしいほどの大きさの叫びがあたりにこだました。
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