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酸いも、甘いも、君次第(1)
本編23話位の時間軸のお話です。
未読の方は、ネタバレにご注意ください。
***
バタバタザアザア。
脳に響くほど激しい音に、セナは目を覚ました。
緩やかに視線を向けた窓の視界は激しく歪み、滝のように水がガラスを伝う様子は見えるが、それ以上を視覚的に知ることは難しい。
だが、外で激しい雨が降っている事だけは判る。
彼は隣で眠る愛しい魔王を目覚めさせないよう、ゆっくりと起き上がった。
長い銀糸がシーツを伝うように持ち上がり、室内の僅かな光に反射して煌く。
赤い痕に彩られた裸体を隠すように、ベッドの傍らにかけてある新しいバスローブを羽織ると、素足のまま窓に近づいた。
今にも突き破らん勢いで、激しい雨が窓を叩いている。
窓を流れる雨に外界は遮られ、ガラスは鏡のように反射して、セナの赤い瞳を映していた。
目を凝らして漸く見えた空は厚い雲に覆われ、太陽が昇る時間であろうことは辛うじて読み取れるが、朝なのか昼なのかは判別が付かない。
ただ、昨夜もいつものように遅くまで起きていたことを考えると、体の回復具合から見て、朝ということはないだろう。
どちらにせよ、今起きたところで何かすることがあるわけでもない。
ベッドの上の青年はまだ起きる気配が無いし、ならばもう少し、身を寄せて惰眠を貪っていても問題はない筈だ。
何より、眠る直前まで酷使した体が、まだ休息を欲している。
そう考えて、彼が踵を返したとき、窓の向こうから閃光が部屋を刺し貫いた。
セナの足が、まるで石像のように床に固定される。
暗い部屋の中、いつもの無表情で、まるで何かを待つようにじっと……身動き一つせず。
15秒程数えたところで、小さく微かなゴロゴロという響きを耳が捉え、漸く彼の足は地から離れた。
そして、何事も無かったかのようにベッドへ移動すると、ローブ姿のまま、魔王の横に潜り込む。
むき出しの逞しい腕に体を押し付けるように摺り寄り、慣れた匂いに顔を埋めて瞼を閉じた。
変化の乏しい表情からは、何も読み取ることは出来ない。
だが、いつも相手を起こさないよう慎重に潜り込んでいる、彼らしくない行動であることは確かで。
「……ん……?
どうした、セナ……?」
当然、慣れない感覚に、決して鈍感ではない青年は目を覚ます。
問われた側は静かに首を振り、なんでもない、という意思のみを伝えるだけ。
無回答なのは相変わらずなので、それ以上追求はせず、魔王は耳を打つ激しい音に意識を向けた。
「……雨か」
バタバタと、依然激しく続く雨音に、彼は不満そうに呟く。
暫く雨音を聞いていた魔王は、やみそうも無いそれに諦めたように、改めて腕の中の救世主を抱きなおすと、手に馴染む長い銀髪を指で梳くように撫でた。
もう少し眠りたい気もするが、激しい雨の音が気になって、眠ることが出来ない。
それはセナも同じで、結局無音の中、互いに体温を分け合うようにベッドの中で抱き締めあう。
暫く雨音に耳を傾けるうち、激しいそれは耳に馴染んでくる。
そのまま、ゆっくりと睡魔の誘いに乗ろうとした刹那、再び窓から閃光が飛び込んだ。
「雷まで鳴ってるんだな」
若干楽しげに聞こえる魔王の呟きに、セナの体に緊張が走る。
暫く間を置いて到達する雷の音を確認すると、細い体は安堵したように緊張を解した。
だが、最初に確認した音よりも、大きくなっているそれに、無表情がより硬い物になっている。
「……セナ?
お前、まさか……」
「………………」
魔王の言葉に、救世主は答えない。
だが、再び煌いた閃光と響く音に走る緊張に、疑問は確信に変わる。
そして、その事実は魔王の唇を慈愛に歪ませた。
「雷の魔法は使えるんだろう?」
雷系の魔法は、威嚇としても効果的で、攻撃魔法としては広く一般的に使われている。
当然、救世主として訓練されているならば、覚えていないはずが無い。
案の定、セナは問いかけにゆっくりと頷いた。
そして、厚い胸に顔を埋めたまま、小さく呟く。
まるで、己を弁護するかのように。
「……魔法は、音のタイミングが読める」
己が放つ雷は、光と同時に爆音を轟かす。
目の前の敵を攻撃するのが目的だから、当然だ。
「確かに。自然の雷は、いつ鳴るか判らないな」
楽しげに納得する声に揶揄を感じ、セナは顔を埋めたまま、悔しげに唇を噛む。
苦しい言い訳だとわかっているから、余計に。
確かに自分で魔法を放てば、目の前の敵を倒す時は音と光が同時に見える。
だが、遠い場所で他者が放った雷は、自然の雷同様、光に遅れて音が届く。
そんなものは、子供でも知っている道理だ。
正直なところ、セナは魔法の雷もあまり得意ではない。
高度な魔法を使うようになった今は、もっと便利な他属性の魔法を知っているから、余計に使うことが無くなった。
「……大きい音は、苦手だ」
「怖いのか?」
「……苦手なだけだ」
怖くない、とは言えなかった。
嘘は吐きたくない。
話している間にも雷は鳴り続け、だんだん光と音の感覚が狭まり、音が大きくなってきている。
「……ッ、」
「森に落ちたな」
今までに無い、バリバリッという激しい音に、セナの体が大きく縮こまる。
恐怖をやり過ごすように、ぎゅっと魔王の腕を掴んで、小さく小刻みに震えて。
普段無表情で澄ました様相の彼からは想像も付かない様子に、ますます愛しさが募り、魔王はその体を強く抱き寄せた。
「大丈夫だ。城には落ちやしないさ」
「…………」
判っている。
たとえ雷が城を直撃したとしても、魔法とは威力が違うから、壁の一部が黒く焦げるくらいで済むだろう。
こんな風に、部屋に閉じこもる自分達に被害が及ぶとは考え難い。
それでも、体が反応してしまうのだ。
これはもう、条件反射だ。
「よくそれで旅が出来たな」
「……緊張していたし、雷の付近には極力近寄らないようにしていた」
苦笑する魔王の言葉に、腕を掴む手の力を緩めながら、セナは呻くように応える。
今までは、雷が鳴ると直に村や小屋に退避したり、雷雲を避けて旅をしてきた。
雷の魔法を受けた時は、戦闘中の緊張でそれどころではなかった。
なにより、長い旅を少しでも遅らせまいと、道中は平静を必死に装っていた。
恐らく、雷が苦手なことを敏い勇者は気付いていただろう。
だが、優しさからか、何も言わずにいてくれた。
そんなわけだから、こんな風に落ち着いた状況の中、間近で雷を聞いたのは、酷く久しぶりなのだ。
他に緊張する理由が無い以上、意識はどうしても雷に向いてしまう。
緊張は解いたものの、未だ顔を上げられない救世主に、魔王は暫く考えた後、ニヤリと良くない笑みを浮かべた。
まるで、悪戯を思いついた悪ガキのように、瞳を輝かせて。
「……セナ……」
ひときわ甘い……欲を孕んだ低い声で、名を呼ぶ。
そして、腕に抱いた細い体を離すと、ベッドに組み敷く。
「……、何をするつもりだ……」
そんな気分じゃない、と恐怖に潤んだ瞳で見上げてくる救世主の唇を、魔王は己の唇で塞ぐ。
明らかな意図を持って舌を絡め、吸い上げ、熱を引き出して。
昨夜も遅くまで弄ばれた体は、持ち主の理性とは逆に、本能に忠実に反応を見せ始めた。
「雷なんて、気にしなければいい」
拒否ではなく、体を這い上がる快楽に身を捩るセナの耳元で、魔王は囁く。
悪魔のように、甘美な誘惑の言葉を。
「俺に、夢中になっていろ」
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