酸いも、甘いも、君次第(3)

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酸いも、甘いも、君次第(3)

本編23話位の時間軸のお話です。 未読の方は、ネタバレにご注意ください。 ***  遠くで雷が鳴っている。  光はとうに遠くへ過ぎ去っていて部屋を照らすことは無く、かつて轟音だったものも、最早激しい雨の音にかき消されようとしている。  汗ばんだ体を清めることもせず、二人はベッドの中で身を寄せ合うように横になっていた。  朝食を摂るには身を清めなければならないが、湯浴みをするには体を覆う疲労感が大きすぎる。  結局、如何ともせず、こうしてゆったりとした余韻を楽しむように互いの温もりを感じていた。 「……雷も、案外悪いもんじゃないだろ?」  銀糸を手で梳きながら、セナドールが嗤う。  激しい運動のせいで動けないセナは、いつも通りの表情が淡い顔で彼と向き合う。  しかし、その瞳は欲情の余韻が残り、どこか悔しげに見えた。 「雷の度だと、身が持たない」  悔し紛れの小さな呟きは、笑い声に飛ばされる。 「苦手じゃなくなったら、やめてやるさ」  返された言葉に、セナは静かに視線を逸らした。  『それならば、一生平気にはならない』……とは、言えなかった。  いつまでも、一緒にいられるわけじゃない。  いつかは、この温もりを失うときが来る。  そう考えた瞬間、温もりを感じていた筈の腕が妙に冷たく感じ、セナは縋るように愛する魔王へと擦り寄った。  顔を広い胸に埋めて、温もりと匂いに包まれて。  ほんの少し、肩のこわばりが解ける。  そんな彼の不安を読み取ったのか……同じ事を考えていたのか。  セナドールは突き放すことなく、逆に抱き締める腕の力を強くした。 「……お前は、苦手なものは無いのか?」  少しでも苦い不安から意識を逸らそうと、セナは問いかける。  口に出してから、己が珍しいことをしたことに気付いたが、一度出た言葉を飲み込むことは出来ないし、する気も無い。  今まで、他人に興味を持たなかったせいか、問いかけに答えが返るその間に妙な緊張を覚える。 「苦手、か……流石に300年も生きてると、殆ど克服しちまってるな……」  勿論、セナドールは腕の中で繰り広げられる戸惑いなど知る由もない。  子供のように真剣に悩む様子に、思わずセナの唇に笑みが浮かんだ。 「あぁ……雨が、苦手だな」 「雨?」  少しの間を置いて、ようよう思いついたように笑いながら言う魔王に、セナは顔を上げた。  今まさに、外は豪雨と呼べる状況だ。  だが、自分のように緊張も不安もなさそうな様子に、セナは理由を問いかけるように視線を向ける。  その意図を正確に読み取り、セナドールは苦笑した。 「雨だと、外に出たくなくなるだろう?  濡れるし、視界は悪いし、狩りも思うようにできない。  城に閉じ込められるような気がして、気分が悪い」  なるほど。  ひとところにじっとしていられず、日々城を空ける彼らしい答えだ。 「今日はどうするかな……」  窓の外に視線を向けて呟く魔王に、セナは再び目の前の胸に顔を埋めた。  それが、男の庇護欲を掻きたてるとも気付かずに。 「……どうした?」 「………………」  問いかけに答えられず、セナは硬い無表情で黙り込む。  叫びだしそうなほどの不安を抱える、己の心を抑え込んで。  今胸に浮かんだ言葉を、言うか否か。  救世主としては、決して言うべきではない言葉。  それでも……一人になるとどうしても不安で。  徐々に近くなる救世主の剣が、逃れられない使命が、胸を締め付けてきて……。  久々に雷を間近で感じたせいで、心が弱くなっているのかもしれない。  今日は、押しつぶされそうなあの不安に、耐えられない予感がするのだ。  思い悩んで硬くなるセナの体に、セナドールはほんの僅か苦しげな表情を見せた後、それを慈愛の笑みに変えて胸の中を見やった。  頭を撫でながら、子供に諭すように甘い声で問いかける。 「セナ、どうして欲しい?」  明らかに狼狽する気配。  益々緊張に硬くなった体に、セナドールは笑みを浮かべる。  きっと、隠された顔は、無表情なのだろう、と。  その素直じゃない不器用さが、愛しくてたまらない。 「セナ」 「…………」  髪を撫でて、抱き締めて。  ゆっくりと、優しく促して。  不意に、セナの顔が歪んだ。  優しい熱が、氷のように硬く閉ざした心を溶かしてきて。  彼は、泣きそうな顔を見られないように、さらに男の胸に顔を深く埋めた。 「……今日だけで、いい……傍に、いてほしい……」  震える声で、懇願する。  多くは望めないから。  せめて、雨の間だけでも。  その全てを胸で受け止め、セナドールは優しく言った。 「今日だけなんて言わずに、一緒にいてやるさ」  手の届く場所にいる限りは。  命尽きるまで、『ずっと』。  セナドールは隠された美麗な顔を無理やり上げさせると、額に、瞼に、頬に、唇に、口付けを降らす。  強張った顔を、解すように、優しく、羽が舞い降りるように。  甘いだけの口付けは、幸せと共に、泣きたくなるほど胸を満たして。 「愛してる、セナ」 「……俺も、愛している……セナドール」  覚えたばかりの愛を伝え合えば、自然と笑みが浮かぶ。  言いようの無い幸福感と、隠し切れない不安とがない交ぜになった、笑みが。 「お前と一緒に閉じ込められるなら、雨も悪くないな」  軽口を叩くセナドールの言葉に、セナの目が僅かに見開かれた。  さっきは、気分が悪い、とまで言って、雨を毛嫌いしていたのに。  あっさりと意見を変えてしまう、その身替りの早さと前向きな思考に、今度こそセナの顔に明るい笑みが浮かんだ。  本当に、この魔王は色々なことを教えてくれる。 「俺も、お前と一緒なら、雷も悪くない、と、思う」 「そりゃ良かった」  幸せな笑みを交わして、二人は互いの体を引き寄せるように抱き合い、どちらともなく唇を寄せた。  雨が、二人を部屋に閉じ込める。  下界も、時間も、立場も、使命すらも隔離するように。  まだ止みそうもない激しい雨の陰で世界から隠れるように、二人はつかの間の純然たる幸福に酔いしれた。  end.
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