名前を、呼んで

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名前を、呼んで

本編23話位の時間軸のお話です。 未読の方は、ネタバレにご注意ください。 *** 「セナ!……セナ!」  大声で呼びながら、魔王が庭を歩き回る。  魔王城の中にある、それなりに広さのある中庭だ。  木々が生い茂るそこで探し物をするのは、容易ではない。  しかも、彼が探しているのは、あちらこちら動き回る生き物だ。  呼んでも来ないということは、聞こえないほど遠くにいるか、何処かで昼寝でもしているのだろうか。 「ったく、何処いったんだ、アイツは……」  跳ね気味の髪を更に掻き乱しながら、魔王は緑の間を歩き回る。  部下を待たせているから、早く連れて行ってやりたいのだが。 「……こんなところに居たのか」  がさごそと茂る葉を避けた先、大木の根元に探し物はあった。  思いも寄らない組み合わせで。  道理で部屋に居なかったわけだ。  木陰で幹に背を預けて眠る、バスローブ一枚姿の救世主。  その膝には、真っ白な子犬。  穏やかな寝顔に、思わず頬が緩む。  近づけば、子犬が先に気配に気づいて目を開けた。  そして、嬉しそうに尾を振って、魔王へと駆けて行く。  それを受け止めて、彼は満面の笑みを浮かべた。 「勝手に居なくなるなよ。探しただろ」  判っているのかいないのか。  ワンッと返事をする子犬は、親愛の情を込めて魔王の頬を、唇を、ペロペロと舐める。 「くすぐったい。こら、やめろ。やーめろって、セナ」  鳴き声と笑い声で安眠を妨害され、救世主が目を覚ます。  そして、子犬と戯れる男を、無表情のままボンヤリと見上げた。  ペロペロと顔を舐められ、制止の言葉を上げながらも満更でもなさそうに笑う、金髪の若い男。  その楽しそうな笑顔を、救世主はじっと見つめる。  漸く視線に気づいた魔王が、子犬を顔から無理やり離して、寝起きでも端麗な顔に笑顔を向けた。 「良く寝てたな」 「その犬……お前のか?」 「いや。森の中に捨てられてたんだ。  犬好きの魔物にやろうと思って、拾ってきた」  犬好きの魔物。  そういえば、沢山の犬を家来として従える魔物が居ると、聞いたことがある。  今まで戦ったことはないが、従えた犬は戦闘だけでなく、諜報や伝令としても使えるらしい。  救世主は、改めて子犬を見、不思議そうに首を傾げた。 「その犬は、それほど大きくならないと思うが」  どうみても、小型犬だ。  魔王は、その言葉にうなずき、再び顔を舐めようと暴れる子犬を苦笑しながら押さえつけて、言った。 「関係ないらしいぞ。適材適所で使うんだろう」 「……」  そういうものか。  納得した救世主は、改めて犬と戯れる男を眺めた。  子犬の元気よさに翻弄される……魔王。  この様子だけ見て、この金髪の若い男が魔王だと、誰が信じられようか。  だが、その腰に刺さっている黒い剣は、間違いなく魔王の剣だ。  尤も、信じられないといえば、救世主である自分が、魔王の城でこんなにも寛いでいることこそ、摩訶不思議なのだが。 「と、そろそろ行くぞ。  新しい主人が待ってるからな、セナ」  急に名前を呼ばれて、救世主は、思考を現実に戻される。  だが、名前を呼んだ側は、子犬に視線を合わせて語りかけている。 「……名前……」 「ん?あぁ、セナ。いい名前だろ」  何処となく、お前に似てる気がするんだよなぁ。  と呟く魔王に、救世主は子犬を見る。  豊かな表情。  今にも駆けだしそうな、元気のよさ。  一体、どこが自分と似ているというのだろう。  何よりも、敵である自分と同じ名前を付ける彼の、神経の図太さというか、怖いもの知らずというか。  そのどこかずれた感覚には、ついていけそうもない。 「すぐ戻るから、此処にいろよ」  子犬を抱いた魔王は、救世主に言い残してその場を去っていく。  残された青年は、命令に背くこともなく、幹に背を預けたままボンヤリと空を見上げた。  その脳裏に浮かぶのは、子犬と戯れていた、魔王の表情。  楽しそうな……幸せそうな、笑顔。 「…………」  あの子犬が、あの青年に『幸せ』を与えた。  そう思い至ると、何故か救世主の胸に痛みが走る。  笑わせたい。  自分が、あの男を。  自分に向けて、笑って欲しい……のに。  それを何と呼べば良いのか、彼は知らない。  だが、モヤモヤした苛立ちにも似た感情は、胸の内を徐々に支配して、締め付けてくるのだ。 「お待たせ……どうした?」  そうだ、この男が悪い。  救世主は、戻ってきた魔王を睨み上げた。 「機嫌悪いな、どうしたんだ?」  心配そうに顔を近づけてくる魔王から視線を逸らして、彼は口の中で呟く。 「名前……」 「ん?」 「名前……犬のは呼ぶのに……俺のは、呼ばないのか」  口に出しながら、救世主は、苛立ちが徐々に悲しみに変わるのを感じる。  赤い瞳は、胸の痛みに潤みだして、今にも涙を零しそうで。 「馬鹿だな、お前は」  それは、嫉妬。  本人よりも先に気づいた魔王は、苦笑いで銀糸に手櫛を通す。  さらさらとした手触りを楽しみながら、ゆっくりと顔を近づけ、その唇に口付けを落として。 「犬とお前では、全然違うだろ?」  俺が大切なのは、お前だけだ。  吐息で囁かれて、救世主は苦悩の表情に隠し切れない喜びを滲ませて、正面にある金髪に指を絡める。  その動きに導かれるように、再度重なる唇。 「セナ」 「……ん……」 「セナ……セナ……」  何度も何度も、徐々に深くなる口付けの合間、噛み締めるように呼ばれる名前。  それに呼応するように、バスローブの下の華奢な体が熱くなる。  苦悩に満ちていた表情も、いつの間にか甘く蕩けて、熱っぽく愛しい男を見上げていて。  その熱に煽られ、魔王の体も熱く欲を帯びてくる。 「部屋まで……我慢できるか?」 「ここで、いい」 「汚れるぞ?」 「いいから……セナドール……」  早く、と強請る甘美な誘惑に、欲望に忠実な魔王は抵抗できるはずもなく。  太陽の下、緑に隠れながら、彼らは互いの体を思う存分貪ったのだった。  end...
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