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第一話『九十九号計画』その4
飯櫃はグリコを抱えたまま地上階まで脱出、騒ぎに集まった下士官に非常時対応を要求した。地下の一室は速乾性のセメントで固められ、大顔面となった鹿追は憑神ごと地階に封印された。
その事件から数日後。
脳璽、簫八、梅子に偽神憑きが確認された。
グリコは未だにあの時の精神的痛撃から抜け出せていない。
「偽神を自在に操って、どうする気だ?」
奥目地はそう飯櫃に問うた。
「災禍に対抗しうる兵士を作り出す、これはそうした計画であることを曹長もご存じのはず」
「ロ組やハ組主導で進行している計画なら理解できたが、今回の実験はどうにも要領を得ない。鳴き声のでかい蝉だの血を吸う帷子だのを操って、一体どう災禍に抵抗するんだ?」
「人智を超えた存在その力を操ること。それに可能性を感じないのですか」
可能性だけじゃ弾にも盾にもならねえと返して、四角い奥目地曹長は鼻を鳴らした。
「うまいこと偽神が憑けば、その偽神は命令を絶対にこなす。力強い従者ができるのはわかった。まあロ組の鹿追ってガキみてえに、従わせようとした偽神に逆様に飲み込まれることもある。命令絶対服従の神様なんてのはまあ面白いが。その分あれだろ、相当使う側の命を削るらしいじゃねえか」
「明確な数値の出せるものではないですが、相当な負担はあるようです」
「かーわいそうな俺の生徒よ」
これでも俺は師弟愛を持ち合わせているんだと云って、奥目地は手鼻を噛んだ。
医療棟の寝台で昏々と眠る鯖吉の様子を見に、簫八は起居棟を抜け出してきていた。
丸三日の特別休暇を貰った。
それは、簫八に偽神が憑いている事実が明確になったことで降って湧いた報奨だ。成果に対する賞与である、一端の軍兵と同様に扱われることには多少なりとも喜びはあったが、簫八が憑けたそれは経帷子だ。
経帷子とは死に装束であり、剰え人の血を吸い赤くなるなど呪具でしかない。
鯖吉の病室から出ていく背の高い影に簫八は思わず身を隠した。軍医だろうか。
気を取り直し引き戸を薄く開け顔を覗かせた。案の定鯖吉は眠っていた。特に怪我もしていない。その額には焼き印があり、簫八は思わず笑ってしまう。
「間抜けだな、おい。眠ってるならしょうがないが、云いたいことがあってよ。なんつうかもう、云わないと気が済まなくてな」
偽神を憑けたことが自信に繋がっているのか、簫八は随分と余裕のある表情をしている。
「感謝してるか、おい」
簫八は眠る鯖吉を見下しながら話し掛ける。
「俺がお前に優しくした理由だよ。不思議に思ってるだろうってな。俺はお前にこの学校を辞めてほしくなかったんだ、本当にな」
簫八は洟を啜った。
涙はない。
笑っている。
「お前が辞めたら俺が最下層のゴミになるからよ!」
簫八はポケットから靈氣双六の駒、魔音を取り出した。それは鯖吉がとても大切にしているものだ。
「えっと、ああこれ、安いんだったか?」
云いながら魔音の首を捩じ切り、さらにポケットから半透明の石板のようなものを取り出した。
「こっちは高いんだよな? 世話代替わりに貰っとくぞ。まあお前も兵士になるつもりならこういうのはとっとと卒業したほうがいい」
既に兵卒登用されたかのようなことを云う。
そこで簫八は鯖吉の枕元にガマグチが置いてあることに気づいた。
「これも貰っておく」
じゃあなと快活に云って、簫八は鯖吉の病室を跡にした。
簫八は廊下で劍作と擦れ違った。
綺羅星のような男だが、本人は至って地味である。
簫八は脳璽は嫌いだが、劍作はひたすら理解できないでいた。まるで別の国の人間のような気がする。
それでも簫八は、おそらくはじめて自分から劍作に声を掛けた。
「よう、羅鱶」
本来ならば三年間予科練兵学校で学び、登用試験に合格してはじめて兵士となる。しかし今の簫八は偽神憑きである。身の危険を冒してまで手に入れたものだ、軍部が容易に手離すわけもない。即ち簫八が兵士となるのは確定的と云える。
着物の偽神、その力が果たして役に立つのか甚だ懐疑的だが、そんなものは問題ではない。重要なのは兵士になれるか否か。
「まあ頑張れよ」
成績優秀ながら居丈高になることのない劍作は、変わって傲岸に変容した簫八に低頭してその場を去った。簫八はその背に思わず敬礼をし、影が消えるまで見送った。
どうして敬礼してしまったのか。
そんな簫八の疑問など知るはずもなく、劍作はあたりを見回している。
羅鱶劍作とは本当に不思議な少年だ。
大陸の血が混じっているとも云われるその外見からして違いが感じられる。
文武両道にして眉目秀麗。性格はいたって温厚。
イ組でかろんが女子の筆頭ならば、男子の筆頭は間違いなく劍作だろう。
非の打ちどころのない完璧な人間。当然嫉妬の対象となりそうなものだが、一度でも彼と面と向かって話をすれば、その不思議な温かみに包まれ、気づけば彼の虜になっている。
劍作は今、かろんを捜していた。
彼女は良くも悪くも目立つから、その探し物は容易だ。
「家猫さん」
かろんは立ち止まった。振り返ったその顔はなんだか赤く、怒っているように見えた。それも彼女の常態だ。
「呼び止めてごめん」
険のある目つき。冷たい頬。
「格闘技を何処で学んだのかをずっと聞きたいと思っていて」
「聞いたって強くならないし、あんた既に強いじゃない。これ以上なにを求めんの?」
かろんは劍作の瞳を見た。翡翠のような美しい瞳だ。
「向上心ってやつ? いいよね、頭の容量が沢山ある人は。私は勉強について行くので精一杯」
「そんなものじゃない。僕を買い被ってる」
「だったら何?」
「趣味だよ、自分の知らないものが好きなんだ」
かろんは大袈裟な仕草で呆れて見せた。
「そんなもの追っ掛けてたら寿命が一万年あっても足らない」
劍作は自嘲気味に頷いた。
「僕はそれでも追いかけたい。性分かな」
かろんは一言犬みたいと云った。
劍作は大笑いした。
再度向き合った劍作の瞳は矢張り吸い込まれそうになるほど綺麗だった。
入校以来孤高の存在であったかろんに、この頃変化が見えるとの噂は何処から広まったのか。
丸くなった優しくなったおしとやかになった。
以前ならば話し掛けただけで殺されそうだったが、今は返事が返ってくる。それもつっけんどんなものではなく、若干の丸みを帯びた声音でだ。
大講堂でかろんを見かけた。
特別休暇を満喫し授業に復帰した脳璽は、かろんのその変節をやや悔しく思った。何があったのかはわからないも、入校早々かろんに告白して撃沈した身からすれば今ならばどうにかできたかもしれないと忸怩たる思いに駆られるのだ。
「臥所、何をしている」
脳璽に声を掛けたのはグリコだった。
「あ、源中尉っ」
脳璽は慌てて敬礼した。それでもその目は執拗に男子学徒を引き連れて歩くかろんを追う。
グリコの再びの来校、そのわけは当然、偽神の暴走により中断した九十九号計画を再開させるためだ。今日は飯櫃の姿はない。
脳璽が軽口のつもりで今日は軍曹はいないのですねと云うと、グリコは不貞腐れたようになって、
「別に飯櫃は私のお目付け役ではないぞ」
そう返した。
気にしている。
「ちょうどいい、赤原そして七針を呼んできてくれたまえ」
ばつが悪かった脳璽は切れのいい返事をして広い校舎を駆けた。
簫八も梅子もすぐに見つかった。二人を引き連れ、脳璽は大講堂に戻った。グリコはご苦労と脳璽を労い、若者三人を引き連れ歩きだした。
「以前使った地下室は、知っての通りセメントで固められた。今日は他の地下室を使用する」
脳璽は生唾を飲む。一歩間違えばセメントで固められたのは自分だったかもしれないのだ。
グリコは教員室の戸を開けた。中では奥目地が煙草を吸っていた。
「曹長、相変わらず通達に目を通していないようだな」
奥目地は心底面倒臭そうに煙草を揉み消すと、そんなことありえませんと欠伸を堪えながら答えた。
「前回同様人員招集を頼む。揃い次第行動を開始する」
奥目地は酷く億劫そうに教員室を出る。グリコはその背に声を投げた。
「火を使うなど有り得ないな」
始末書なら書きますよと面倒臭そうに返して、奥目地は立ち去った。
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