第一話『九十九号計画』その5

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第一話『九十九号計画』その5

 地下の一室からカチカチと金具を打つ音が響いてくる。  かろんを筆頭とした数人の集団が鑿と金鎚を手に持ち、セメントを砕いている。何人もの影が一斉に鑿を振るう様はとても異様だ。 「貴様ら何をしている!」  奥目地が現れた。奥目地はセメントを砕く一団を後ろから乱暴に引き剥がしていった。そのセメントは当然、鹿追が突如として顔だけを巨大化させられるに至り、暴走した挙句に封印された痕跡だ。  奥目地はかろん、そして彼女に付き従う男子学徒の集団と、壁のようなセメントの間に立った。 「おい、家猫、何をしてると訊いているんだ」  奥目地は生徒が可愛いとは一度も思ったことはない。ただ精魂込めて育て上げても、その教育がうまくいけばいくほど彼らが死地に赴く時期が早まるというのは皮肉なものだといつも思う。 「どいつもこいつも夢見ているみてえな顔しやがって、なんだってこんな真似しやがる。誰の指図だ? 答えろ家猫!」  奥目地は腰ベルトに提げたリボルバーを引き抜いた。 「そのセメントは封印だ。お前らが触れていいもんじゃねえ」  かろんは後ずさった。 「そうだ、それでいい」  奥目地が背にした壁に亀裂が走った。  染み出る染み出る。何かが染み出る。  せんせい、おくめじせんせい、たすけてください  奥目地は銃を構えたまま振り返った。 「鹿追?」  亀裂から染み出るのは意思か、遺思か。  なんだオイと奥目地は呟いた。うるせえ話し掛けんなと喚いた。誰にも何も聞こえていない。  かろんは付き従っていた男子学徒を置いて、ふらふらと地上階の大講堂に戻っていった。大講堂には源グリコ中尉、臥所脳璽、七針梅子、赤原簫八の姿があった。 「家猫かろん、何があった」  グリコの問いかけをかろんは無視した。 「家猫かろん、答えろ!」  かろんはぼんやりしている。平素音が出るほどにきびきびした動きを見せる彼女には珍しい反応と云える。 「家猫!」  再三のグリコの呼びかけにもまるで無反応のまま、かろんはその場に倒れた。  その背後に立っていたのは奥目地であった。 「何が偽神憑きだ!」  奥目地は憤っている。銃を片手に凶暴な顔を見せている。うるせえうるせえと譫言のように繰り返す。いったい何がうるさいのか。 「黙れ、話し掛けるな!」  誰も何も云っていない。挙動がおかしい。奥目地の目は血走っていた。 「源ォ! これを仕組んだのはお前か!」  うるせえと叫んだ奥目地の口からこの世のものとは思えない大きな舌が垂れ落ちた。 「うるせえうるせえ、俺に話し掛けんな!」  震える奥目地の顔が変化する。巨大な舌に合わせるように口が広がり、目鼻が膨らむ。見る見る奥目地の顔面が、鹿追の身体を乗っ取り大暴れしたあの大きな顔面そっくりに変じていく。 「お、俺になにをじた!」  いやだ、いやだと奥目地は濁り喚いた。 「ごんな偽神を送り込んだのはお前かと訊いでるぞ源おおお!」 「それは偽神ではない!」  グリコは戦慄している。  あの時同様奥目地の顔面は数十倍の大きさまで肥大化した。顔面のみがである。  あの後ヤマツミ寮本部に戻ったグリコは、飯櫃をまじえ、手配した偽神に就いての詳細な聞き取りを関係したすべての人間に対して行っていた。しかしその誰も、あの時用意した荷物にあの強烈な大顔面へと変容する、干からびた西瓜のような存在を知る者はいなかった。  しかしその干せた西瓜のような偽神は、曲がりなりにもあの時鹿追の憑神となったのではなかったか。それがなぜ今、奥目地がその姿となったのか。そもそも偽神を下僕化するにあたり、大前提として身に付けるべき二歩ノ花押を奥目地は持っていない。  グリコは思い至る。  従えているのではない、乗っ取られている。  災害を齎す偽神が災禍。  荒ぶる魂の神擬き。 「災禍……!」  グリコは呻いた。奥目地は災禍になってしまった。ならば、対災禍特殊作戦小隊隊長である源グリコ中尉の取るべき行動は決まっている。  グリコは腰の回転式拳銃を引き抜いた。  引き金を引き、圧縮した靈氣を発射薬とした弾丸を射出する。数発撃ったところで巨大な顔面に効果がないと判断すると、次に試験運用中の蒸気回転式連鎖剣を引き抜いた。柄と刀身の間にぶら下がったスターターロープを引く。エンジン音が鳴り響き、刀身に幾つも付いた緋色の連鎖刃が激しく回転した。チェーンソー型の機動剣だ。  グリコは連鎖剣を構え、歯を剥きだしにした大顔面に躍り掛かった。分厚い皮膚に回転鋸を食いこませ切り裂く。血は出るが致命的な打撃には至らない。  大顔面は顔を振りグリコを振り払った。 グリコは床を転がって体勢を立て直すと銃を撃つ。  巨大な舌が華奢なグリコを打ち据えた。酷い悪臭の唾液にまみれ、グリコは息をついた。血の味がした。戦地の味、生きている味。そして恐怖の味。  グリコは一度ならず大顔面を切り裂いたが矢張り決定的な傷は負わせられない。  血気盛んな脳璽もグリコの制止など耳に入らず戦いに加わるが、大した戦力にならなかった。  大蛇のような舌に翻弄され、突風のような鼻息に飛ばされる。  こんなものに抗えるのか。災禍とはここまで恐ろしいものなのか。  相手は名なしの災禍。名づけるほどその脅威が激甚でない存在。これが名ありの脅威であった場合、果たして人の身でどれほど抗うことができるというのか。  がばりと洞穴のような口が開きグリコに迫った。その勢いに体勢を崩し、グリコは大顔面の範囲から脱することができない。  グリコを突き飛ばしたのは脳璽だった。  脳璽は梅子や簫八に比べ元々身体能力が高い。そのうえ今や偽神憑きの身だ。あの時脳璽が握り潰したはずの蝉が、今は肩口に止まっていた。  ふわりと蝉が羽ばたいた。  偽神の蝉はすっと大顔面の耳に止まり、爆発的な大音量で鳴き声を上げた。  眩暈を起こすほどの大きな音が鳴り響く。大顔面はその顔の大きさゆえ手で耳を塞ぐことができずに悶絶した。その隙を逃さず攻勢に出ようと試みる脳璽だったが、矢張り長大な舌が鞭のように撓って阻止される。  梅子が手助けしようとその身を乗り出した。 「な、七針!」  奥目地の身体が、未だ握っていた銃で梅子を撃った。  くの字に折れた梅子の身体は、そのまま舌に絡め取られ大きな口に引き摺り込まれた。  悲鳴そして骨が潰れる音。 「うわああああああ!」  簫八は叫んだ。赤原逃げろとグリコが叫ぶが蝉の声に遮られる。脳璽は蝉をもとに戻した。  簫八は叫んだまま大顔面に立ち向かったが、今度は簫八の腹に穴が開いた。  血が噴き出し、簫八は愕然として片膝を突いた。  銃ではない、発砲音は聞こえなかった。  簫八の身体に次々に穴が開く。  大顔面はたった今噛み潰した梅子の部品を吹き飛ばしていた。  ああ、ああ、と呻きながら身体を引き摺り逃げようとする簫八の顔面が打ち砕かれた。 「臥所!」  命じられ、脳璽は再び蝉に命じた。  偽神を操るのに必要なもの。  彼らとの契約に必要な印。二歩ノ花押。  二歩ノ花押を見出したことこそ、偽神憑き研究に於いて大きな一歩であることは間違いない。それが大前提であり、それがすべてだ。  烙印による契約が成って以降、偽神は使役者に隷属はするが、その代価として使役者の魂を削り取る。使役者の命を食らい偽神もまた生き延びる。  蝉が鳴く。  その音に大講堂が歪む。耳の機能が失調し、平衡感覚が狂う。大顔面もその大きな顔に比例して耳が大きい分、蝉から食らう圧も大きいと見えてまるで動くことができなかった。  凄絶な大音量に、気を失っていたかろんが目を覚ました。  脳璽は音で大講堂を揺らし、それを隠れ蓑にして動いた。  狙うは目だ、目を潰す。あの災禍が脅威なのはその大きさのみで、機能役割は通常の顔と変わらないと踏んでいる。  のたうつ舌の攻撃を躱しながら距離を詰める脳璽の視界の片隅に、呆然と立つかろんの姿が映った。大顔面の目がかろんを捉えた。 「家猫、引っ込め!」  飛び込んできたグリコが連鎖剣で大顔面の舌先を切断した。  大顔面は轟々と唸り声をあげ、グリコの片足に噛みついた。そのままグリコは利き足を砕かれ、啜り込まれ飲まれそうになる。グリコは叫び声を押し殺して鼻を削ぎ落とした。大顔面はたまらずグリコを吹き飛ばし壁に激突させた。床に落ちたグリコは血反吐を吐いた。  ようやく、そこでようやく、学校にいた教師、兵士たちが大講堂に馳せ参じた。他の学徒や校長である四方の姿もある。  脳璽が軍刀を引き抜いて、大顔面の左目に躍り掛かった。骨の弾丸に阻まれる。それは砕かれた梅子の破片だ。  脳璽が倒れた先には、顔面を砕かれ絶命した簫八が転がっていた。その周辺にはガマグチだの妙な石板だのが散乱していた。  何度も近寄ろうと試みるがまるで近づくことができない。 「これが災禍の力か……」  偽神の力などまるで意味がない。  梅子や簫八に至ってはその力を微塵も行使しないまま斃れていった。  脳璽はグリコを見た。  年若い中尉は、歯を食い縛って何かに耐えていた。泣きはしない、そんな感情の揺れは切り捨てた。 「奥目地!」  奥目地曹長に未だ自意識はあるのか。それでもグリコは呼びかけた。声は掠れ、濃い血の味がする。 「聞け奥目地! これは私の罪だ!」  西瓜の如き大きな目が華奢なグリコを見つめた。  グリコは銃も剣も手放し、両手を広げた。今のグリコにあるのは諦観か。 「私を殺せ、それでこの場は収めろ!」
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