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第二話『家猫かろん』その1
泥の中に堕ちていく。
死にたくない。
死んでたまるものか。
それは極めて強い拒絶だった。
迷妄の深い闇の底、かろんはひたすら抗った。呪った。
またあいつのせいだ。
また鯖吉のせいで、私の人生が、今度は人生そのものが壊された。
逆恨み?
冗談じゃない。
心臓を撃ち抜かれた。
心臓のど真ん中を撃ち抜かれて助かるはずもない。
血がたくさん出たが、今はもう痛みはない。
痛みがないのにどうして意識があるのだろう。
痛みがないのはもう死んでいるから?
何も見えない、何も聞こえない、ただ意識だけがふわふわと浮遊している。いや、ずぶずぶと沈降している。
ここはあの世か?
ふざけるなとかろんは声を上げた。それは深い水の底に潜っているような粘度の高い闇に覆われ、まるで音にならない。
かろんは涙を流さない。
怖ろしい淫魔に襲われた時もその後の理不尽な世間にも。家がなくなった時も両親が亡くなった時も。大好きだったが滅多に会うことができなかった母方の祖母が永眠した時だけ、云い知れない喪失感に大いに戸惑ったがそれでも泣きはしなかった。
かろんの正中にあるのは鉄の意志と溢れる行動意欲、そして怒りだ。
「ふざけるな!」
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!
子供の頃に聞いたことがある。
人でも狐狸の類でも、強い恨みをもって死すればその魂は今生にしがみつき、祟り神となるのだそうだ。だから何事にも目くじら立てることなく、穏やかに過ごさなくてはいけないとよく戒められた。祟り神とならば人に仇為すばかりでなく、その本人も無限の苦しみを背負うことになるのだからと。
「おばあさま、苦しいって溺れた時みたいに?」
「もっとだ、かろん。その何倍何十倍も苦しいんだ。身体の中に地獄を飼うようなもんさ」
「それがむげんに続くの?」
「そうだよ、無限に続くんだ」
豪商だった家はもうない。全て壊れてしまった。壊されてしまった。
みんな壊れてしまえばいい。私が壊せばいい。
壊せばいい。
壊してやる。
「壊してやる!」
かろんの荒ぶる魂はまさにその時、生命維持が不如意となった身体を捨てた。
壊れた肉体を捨て去り、恨みの塊に変化せんと青白い炎を上げた。
目の前にあるものすべて。
破壊し尽くす!
何かが弾けた。
眼前に鯖吉の顔があった。
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