第一話『九十九号計画』その1

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第一話『九十九号計画』その1

 簫和九十五年。  薄暗い砂塵町の郊外にある予科練兵学校の入校式から、この物語ははじまる。  兵学校は街でも有数の巨大施設だ。  学科棟、鍛錬棟、学徒たちが暮らす起居棟、広大な外庭、そして大講堂。多目的ホールである大講堂は円形の壁面に円錐状の屋根が載った独特の作りだ。今日の主役たる百人近い新学徒たちが、事前の入校試験結果によってイロハの三組に分けられ、神妙な面持ちで居並んでいた。   イ組。汎用性の高い兵士を育成する。  煮炊鯖吉(にたきせいきち)。  背の低い小太りの内向的な少年。腫れぼったい瞼に俯き加減でおちょぼ口。人と話すこと関わることが苦手で、この学校にも自ら志願して入校したわけではない。  家猫かろん(いえねこかろん)。  黒く腰まである艶やかな長髪と険のある目つき。実家は呉服商で財を成した名家だった。背が高く、格闘技をやっていたせいか声は存外ドスが効いている。  臥所脳璽(ふしどのうじ)。  喧嘩上等。勉学は苦手で、腕っ節のみで伸し上がるためこの学校に入った。世に云う不良の類であり、単純で短気。  赤原簫八(あかはらしょうはち)。  簫和八十年生まれで簫八。坊主頭の健康優良児。要領よく生きることを心がけているが、計算が不得手で貧乏籤をよく引く。  七針梅子(ななはりうめこ)。  小柄で童顔、赤い頬。最も得意なことは書道。軍馬を扱いたくて兵学校に入ったが、砂塵町予科練兵学校には馬術を教える授業がないことを入校後に知る。  羅鱶劍作(らぶかけんさく)。  長身で見た目涼やか。大陸生まれであるとか西洋の血が混じっているとか噂は絶えない。当人は口数少ないおとなしい性格をしている。成績は優秀。  ロ組。兵器を含めた軍用機械の開発、修理、製造、操作に特化した人員を育成する。  丑三遠(うしみつとおる)。  多岐にわたる企業を束ねる大財閥の令息。軍人を目指しているのではなく、兵器開発の現場のノウハウを身につけるために入校した。  野々垣桂馬(ののがきけいま)。  精悍な顔立ちをしているも、声は甘い。猫が苦手、犬が好き。運動能力も学業も申し分ないが、やや頓狂な一面も。  軍手五郎(ぬるでごろう)。  生きるために軍学校に入り、食うために技術を身につける。口数少なく、なにを考えているのかいまいちわからない。   鹿追和胤(しかおいまさつぐ)。  運動も勉学も申し分ないが、怠惰な性格。経験よりも思索を重んじる傾向があり、基本的に理屈っぽい。  ハ組。気象や戦地での食料調達、保存、加工を主に学ぶ。  蛙鳴文語(あめいぶんご)。  一見強面だが話下手なだけ。薄毛の家系で将来的には自分もと気に病んでいる。夢はイタリヤ料理の店を開くことだが、得意料理はラーメン。  祝エマ(いわいえま)。  所謂緑の手を持つ栽培女子。野菜を育てることに生涯を捧げる覚悟。尋常小学校時代は陸上部に所属、短距離の選手だった。大きな目とやや鷲鼻が特徴的。  その他にも色々な夢や希望、そして事情を抱えた少年少女たちが集っている。  彼らの緊張した面持ちを満足そうに眺めながら壇上に登る老紳士。頬も鼻も赤く酩酊しているのではと疑われるがその足取りは確りしていた。砂塵町予科練兵学校学校長、立志伝中の生きる英傑、四方源蔵元帥その人だ。 「先ずは今日と云う日を迎えたことを寿ぎたい。あなたたちはこれから当学校で肉体を鍛え教養を身につけそして、すべての課程を修了した暁には主に陸戦を担うヤマツミ寮、海戦を担うワタツミ寮いずれかに所属し、兵士としてこの国を守る使命を担う人材となるわけです。国家を守る、国民を守るということは、自らの身体を擲つ覚悟が必要。捨身の精神を持つことが必要なのです」  元帥は若い学徒そのすべてをゆっくりと見回し、コップの水を一口飲んだ。 「なぜ戦うのか。国を守るというのはどういうことか。この国が過去のまま旧態依然とした国であるならば、現状世界に蔓延っている列強諸国に呑み込まれるのは時間の問題。我々はこの国を強くしなくてはならない。他国に依存しない国家。その為に必要なのは豊かな経済と優れた軍事力であります。そのどちらにも必要なものはなんであるか」  それは資源だ。あらゆる活動においてその下支えとなるものだろう。  予科練兵学校のある砂塵町は石炭や可燃性ガスなどの可燃性エネルギーの使用を禁止している。その代わりとして使用しているのが、靈氣エネルギーだ。  靈氣エネルギーとはなにか。平たく云えば生きとし生けるものに内在する力。  人、動物、虫や草花に存在する生命のエネルギーだ。それを抽出し、圧縮と開放を繰り返すことで力を得る。今は主に工場で生産した“根虫”を使って靈氣エネルギーを産出している。その力を用い蒸気機関を作動させる。俗に云う、霊性が高い生き物ほど、高純度のエネルギーが採取できるが、管理や増産が安易で安価な根虫が安定した靈氣エネルギー生産の素材として 長年使用されてきた。 「世界を一変させた災害から百年。我が国がこの先、どの国にも負けない国となる為には、根虫でのエネルギー生産だけでは立ち行かなくなる日が必ず訪れます。その、来るべき日の為のあなた方であることを覚えておいていただきたい」  いつの時代も組織の長の話と云うのは冗長になりがちだ。  国防の高い意識を以って入校してきた者はそれでも微動だにせず校長の話に耳を傾けているが、中には退屈そうに目線を横に流す者、欠伸を押し殺す者も出てくる。  眉目秀麗な羅鱶劍作は熱心に話を聞いている一人であるが、顔つきはやや冷ややかに見える。しかしその劍作を見つめる女学生の視線は熱い。 「現在我が国に於いて靈氣エネルギーを使用しているのは、先程も云いましたが当校のある砂塵町を含めた都市部。未発達な土地、有体に云うならば田舎は未だに火を使う。火は都市部では禁止されておるのは周知の事実。火は凶暴だ、御しがたい。一歩間違えば町をひとつ消し去りかねない危険な力です。なればこそ田舎に暮らす者たちは神を祀り、安全を乞う。さて、神。ひと昔前、神からエネルギーを抽出したらどれほどのものなのか、その研究に取り憑かれた科学者もおりましたが、神とは本来、我々の手の届かない不可侵なる存在。それはまさに神をも畏れぬ愚昧な所業」  四方元帥は目を閉じ、そのまま続きを話し出した。 「ならば偽神はどうか。学徒諸君も一度ならずその存在を耳にしたり或いは目にしたことがあるかと思います」  偽神。  偽の神。神擬きとも云う。  神に届かず、しかし人智を超えた存在であることには違いない。  固有の名を持つような偽神は、偽の神と云えど比類なき力を有しており、真実神に近い。人々が危難を避けるため伝達が容易であるよう名が付けられた、そこまでの脅威であると想像できる。 「名もなき偽神ならば靈氣エネルギーを採取できないか。結論から云えばこれは失敗に終わる。偽神を圧縮開放しても無に還るだけだった。おお失敬、話が脱線しましたな」  主線が何処かわからないのだから脱線も糞もない。元帥は咳払いをした。 「君らは軍人の卵であります。軍人とは国を守る盾、敵を斃す矛。国とはすなわち人。素晴らしい軍人となることをひたすら望んでおります」  学徒の教育を束ねる教練長の奥目地曹長が、大講堂の屋根が落ちんばかりの大声で閣下に最敬礼と叫んだ。  四方に続いて壇上に上がったのは、立ち姿が美しい少女であった。  通常三年かかるこの学校の課程を二年でほぼ終了している才媛。  学徒総代閂閖(かんぬきゆり)。 「かんぬきゆりと申します」  声も涼やかで知性に溢れている。鼠色のブレザーに黒のリボン、紺色のカチューシャと地味な出で立ちながら、後光でも差しているかのように輝いて見えた。  奥目地は閖の容姿にへらへら笑って見とれている新入学徒赤原簫八の後ろ頭を殴りつけた。  此処で三年過ごす。  全寮制の学校であり盆暮れなく兵士として鍛えられ学ぶ。望んで入学した者がいる。已む無く入学した者がいる。志の高い者も低い者も皆、これからここで同じ飯を食い、生活を共にする。  家猫かろんはその時、斜め前に立つ煮炊鯖吉の刈り上げの襟足の青々とした部分を冷ややかに見つめていた。いや、睨みつけていた。  かろんと鯖吉は幼馴染である。  物心ついた時には常に傍にいて、幼い頃は手を繋いで遊んだものだが、その関係に大きな亀裂が生じたのは三年前に遡る。  その当時のかろんには許嫁と呼ばれる存在がいた。  許嫁である何某は既に三十を幾つか過ぎた風采の上がらない男だった。先進的な小説と称しては、便所の紙にもならない駄文を書き散らかした藁半紙を売りつける。要は駄目男なのだが、家柄は家猫家など足元にも及ばないほど良い。ただその御曹司は幼女を愛好する変態でもあった。その頃のかろんは尋常小学校を卒業する程の年齢、世間的に云えばまだまだ子供であった。  いずれ夫婦になるのだからと、親の許可なく現れた御曹司に幼いかろんは町外れのあばら屋に連れ込まれ、そして、犯された。  鯖吉はその日も、いつものようにかろんと遊ぼうとし、かろんが見知らぬ男に連れていかれるのを見ていた。かろんの表情から心底嫌がっていることもすぐにわかった。だから鯖吉は怖かったけれど、喧嘩も弱く度胸もないけれど、道端に落ちていた棒切れを拾い二人の影を追ったのだ。  あばら屋に突入し、余計なことをするなと叫ぶかろんの声を無視して彼女に覆い被さっている男に殴りかかった。  犬に吠えられても泣いてしまう。夜中に一人で厠に行けない。そんな弱虫だが、大好きなお姉ちゃんは、友達は大切にするものだと誰に教わるでもなく理解していた。しかし、鯖吉は返り討ちに遭ってしまう。振り下ろした棒切れはただの一撃で真っ二つに折れ、激高した御曹司に滅茶苦茶に殴られ蹴られた。独りよがりの小説を書いては酒を飲んで管を巻くだけの男と謂えど、いや、そんな男だからこそ、力加減などわからずに幼い鯖吉は死んでしまうかもしれない。  鯖吉を打擲するのに夢中になっている御曹司の向こうで静かに立ち上がったかろんは、血塗れになった少年を確かに見た。 「おい」  その声に振り返った御曹司の顔面に鋭い蹴りを突き込む。  鯖吉を助けようとしたのか、報復か、御曹司は自分の年齢の半分にも満たない少女に下顎と前歯を粉砕され病院送りとなった。当然許嫁の話はご破算、家猫の家の商売も不如意となった。  由緒ある呉服商であった家猫家は廃業に追い込まれ、かろんは傷物と云われた。  傷物とは一体どうした言葉であるのか。傷ありの、価値が下がったものであると、何故かろんが陰口を叩かれなくてはならないのか。確かにかろんの心はとても傷ついた。肉体的にも拭い難い染みのような不快感が纏わりついている。しかし悪いのはあの御曹司である。かろんに一切の非はない。  その後、御曹司がくだらない酒場の喧嘩で刺し殺されるに至り、殺したのはかろんなのではないかといった本当に酷い噂まで立った。歪んでしまったものをどうにか矯正しようと努力を続けていたかろんも、それには心底嫌気が差した。 世を儚んで死んでしまおうなどとは思わない。かろんは何事にも立ち向かう強い精神をもっている。謂れのない中傷に対し泣き暮らしていれば、或いは得体の知れない世間というものもかろんに同情的な目を向けたかもしれないが、彼女はそうはしなかった。  かろんは涙を流さない。  以降かろんの感情の殆どは怒りに変換されることとなる。口さがない風聞に怒りを以って抗うのだ。常に強くいるために彼女は怒り続けなくてはならず、身近な存在をその対象とする必要があった。  すべて鯖吉のせいだ。  あの時鯖吉が出娑婆らなければ、世間に知られず穏便に済ませられたかもしれない。  かろんが苦汁を嚥下しつつも平然とした顔で我慢することで、家猫の家が廃業に追い込まれる憂き目に遭わずに済んだかもしれない。  弱いくせに飛び込んできて目の前で殴り殺されそうになっては、助けないわけにはいかない。  鈍感な鯖吉はかろんの感情の動きなど一切理解できないまま、ただ彼女に嫌われてしまったと戸惑った。大好きだった友達に嫌悪され、その理由は教えてもらえず、想像もつかず、ただただ傷つき、しかしそれ以上にかろんは傷ついていることは何となくわかったから、感情を寄せる場所に惑い結果として家に引き籠るようになった。  鯖吉は“靈氣双六”と呼ばれる半自動の空想科学戦闘が主の遊戯盤で独り遊びすることにのめり込み、次第に誰とも、ついには親とも口を聞かなくなった。  鯖吉自身が軍人を目指したのではない。このままではまともな大人になれないと判断した両親が人格矯正の意味を兼ねて無理矢理兵学校に入校させたのだ。その端緒となった少女もまた同じ兵学校への入学を決めたことなど知らずに。  入校式でかろんの姿を認めた鯖吉は目を丸くしそして蒼褪めた。それでも何かを話し掛けようとしたのだが、かろんにきつく睨まれ簡単に諦めた。  元来運動が苦手で、家で絵を描いたり本を読んだり、外で遊ぶにしても蟻の巣を眺めてばかりいるような子供だった鯖吉にとって、兵士となる訓練など地獄でしかない。腕立て伏せも懸垂も課せられた数など到底こなせず毎度怒鳴られそして殴られた。泣き言など聞き入れられない、出来ないならば只管走れと外庭に出される。  奥目地あたりに何で貴様のようなものが入学できたんだと云われるも、そんなことは鯖吉が最も不思議に思っている。座学はそれでもついていけたが、何分肉体鍛錬のダメージが大きく、授業中はいつも半分気を失っていた。  そんな鯖吉にイ組内に朋輩のできることもない。  見た目良く、格闘教練で素晴らしい成績をあげているかろんがその地位をどんどん上げていく一方で、日陰者は日陰者のまま、さらには石を剥ぐってどけなければ見つからない地べた虫のように卑屈さに磨きをかける毎日だ。  それでも、寝起きも同部屋、同組の簫八だけは何かと鯖吉の面倒を見てくれた。  鯖吉があまりにも弱すぎて放っておけないだけなのかもしれないが、簫八自身成績優秀とは云えず、他人の世話を焼いている暇などないのにも関わらず。  人は人との関わりの中で、人として生きていく。
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