2人のお父さん

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* 「……ただいまぁ」  ドロドロのまま、私は玄関の戸を開けた。手には潰れたケーキの箱。それが視界に入る度、親友の好意を無駄にしてしまった罪悪感と、結局雄二さんになにもできないことの虚しさに苛まれた。  情けない姿を見られる前に、部屋に駆け込んで着替えよう。そしてこのケーキは証拠隠滅。まるで事件の犯人かになったような気分でそう計画した時、ドタバタと忙しない足音が家の奥から駆けてきた。 「真子!!」  私をそう呼ぶのは、母だけだと思っていた。だけど、今呼んだのは紛れもなく雄二さんだ。野に咲く花のようにふわりとした笑顔はどこにもなく、取り乱した顔でこちらを見ている。 「……」  なんとなく何も言う気になれなくて、私は無言のままに家に上がろうとした。玄関の扉を閉めた時、大きな体が私に突っ込んできた。びしょ濡れの私などお構いなしに、逞しい腕が私を抱きしめた。 「今までどこで何をしていたんだ! こんなに暗くなるまでほっつき歩いて、事件にでも巻き込まれたらどうするつもりなんだい⁉」  耳元で私を咎める声が弾けた。突然のことに目を白黒させ、私は混乱していた。手に持っていた箱は、その拍子に落としてしまった。 「ゆ、……じさん……?」 「連絡もないから心配したんだぞ⁉ どうして一言遅くなると言わなかったんだ!」  聞いたこともない雄二さんの怒声にすっかり怯んでしまった私は、呆然と立ち尽くしていた。体が震えるのは、雨に濡れたせいか、それとも初めて雄二さんに怒られたからか。  だって、今まで一度も怒らなかったじゃないか。私のことなんて、どうでもいいんじゃなかったの?  今更、そんな愛娘みたいな扱いしないでよ。いや、違う。雄二さんは最初から私のことを娘としてみていたはずだ。それを、こんな形で私が理解してしまっただけ。 「ご、め……なさい……っ」  わけも分からないまま、視界が滲んだ。零れた声は震えていて、既に涙ぐんでいた。そうすれば、雄二さんはさらに強く私を抱きしめる。 「……本当に心配したんだからね」  まだ怒りの感情が滲む声が鼓膜を揺らす。『父親』に怒られるのは随分と久しぶりで、どうしていいか分からなかった。でも、嫌だとか怖いとかではない。その叱る声には、子供に対する愛情のようなものが感じられたから、封じていた何かが溢れかえってきた。  あぁ、そうか。  私は雄二さんを父親と認めたくないわけじゃない。本当は、お父さんと呼びたかった。いつまでも意地になっていたら、『お父さん』も怒るだろうから。    私はただ、答えを探していた。  ずっと、分からなかった。  私が、雄二さんの娘になっていいのかが、ずっと。 「ごめ、んなさい……お父さん……っ。どうしても、お父さんに、何かあげたくて……」  しゃくりあげながらそう告げれば、雄二さんの視線が落ちた箱に向いた。無残に潰れたその箱からは、落ちた拍子に崩れたケーキが覗いていた。 「私がいつも雄二さんに酷いことしてるから……今日、くらいはっ、ちゃんとお礼したくて……! お父さんって、呼びたくて……!」 「……真子ちゃん」  優しげなその目元にも、涙が滲んでいた。雄二さんは唇を噛んで何かを堪えるような素振りをした後、再び私をそっと腕に閉じ込めた。 「真子ちゃん。僕は君のお父さんの代わりにはなれないし、同じように振る舞うこともできない。……それでも、君の父親になりたい」 「……」 「君のお母さんも、守くんも、もちろん真子ちゃんも大好きだ。僕は皆を支えられるように精いっぱい頑張る。だから……」  君の父親になってもいいかな。  その言葉は、凍り付いていた私の心を徐々に溶かしていく。そんなの、返事は決まっている。雄二さんはとっくに、私のお父さんだったから。  こくりと頷いた後に、私は問う。 「……私、お父さんの娘になってもいいの?」  その問いの答えは、聞くまでもなかった。  だって、あまりにも優しく私を抱きしめて、こうして頭を撫でてくるのだから。
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