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私は一目で彼に恋をしてしまった。
美しい事もそうだけど聡明そうな目の輝きが何より心を奪われた。でもそんな事を仰るなら私はこの恋を諦めるしかないのだろう。好きな気持ちに偽りは無いけれど、だからといって婚約破棄を申し付けてくるこの方にこんな言い方は嫌われるだけ。
それが分かっていても愚かな私は万が一の可能性をかけて国王陛下がご存知なのか、慰謝料を払ってもらえるのか聞いてしまった。もしこの方の一存ならば婚約破棄を撤回して下さるのではないか、と。
「やはり婚約は継続する」
「殿下。おそれながら私を正妃に、その方を側妃にお迎えされてはいかがでしょう?」
「いいや! 絶対に父上を説得して婚約破棄をする! そして彼女を正妃に迎える。だが今は父上を説得出来ない。だからそれまではお前との婚約は継続する」
果たして私の思惑通り、この方は婚約を継続して下さった。ただ婚約破棄を前提とした継続だが。それでも良いと思ってしまった。けれどそれが新たな苦しみの始まりだとも思わず……。この時に戻れるのなら国王陛下の意向も確認せず、慰謝料も不要で良いからさっさと婚約を破棄してもらおうと了承だけで終わらせたのに。
夜会のエスコートは無いしファーストダンスも無い。贈り物どころか手紙一つ貰った事が無い。婚約しているという事実は契約書一枚だけの関係。その上、私と殿下の婚約は公式に発表されていないから多分……いいえ間違いなく、殿下自身が発表をしないで欲しいと国王陛下に直談判をしていらっしゃるのだろう。全く顧みられない婚約者。それがこんなに辛いなんて。……殿下など好きにならなければ良かった。
殿下は分かっているのかしら。発表をしないから殿下には婚約者が居ないと思われている事。だから未だに王家に娘を売り込む貴族達ばかりなこと。私が登城しているのもひっそりとだからどこの家も気付いていないだろうけれど。私の家族さえ公式発表されない事を訝しんでいる。そんな事すら殿下は気付いていないのかしら。
それほど恋人さんに夢中なのかしら。
ーー誰も知らない、秘密の恋人、ね。
きっと国王陛下と王妃殿下はご存知でしょうけれど。いいえ、もしかしたら城内では有名かもしれないわね。そうだとしたら私は悪女だわ。殿下と恋人との間に割り込んで2人の仲を引き裂く悪女ーー。
私は見た事があった。王子妃教育のために登城している時。時間が空いたため城の図書館で調べ物をしていた私が窓の外を見れば殿下がプラチナの髪をした女性の肩を抱いて私には一切見せた事の無い微笑みを浮かべていた事を。彼女が殿下の恋人だろう。後ろ姿しか知らないけれど、プラチナの髪なんてこの国では少ない。そしてその少ない中で殿下に近しいのに婚約者に選ばれなかった女性なんて1人しか居ない。
殿下の乳兄弟にあたるバリフォア子爵家のロズベル様。彼女が殿下の恋人だろう。爵位がせめて伯爵家だったなら婚約者に選ばれたかもしれないのに。
そして私も気付く。あんな笑顔を見せられたことのない私が婚約者で居る事の意味を。婚約そのものは王家と辺境伯家の契約だけど。
……そう、この結婚は、我が辺境伯家と王家を繋ぐもの。我が家は王家に忠誠は誓っていない。現王家だけでなく代々の王家に忠誠は誓っていない。国そのものに忠誠を誓っているから。
つまり国民を守るべき対象ではあるけれど、有事があっても王家は守らないと代々我が家は宣っている。だけど現国王陛下は父と学院時代の同期だったとかで、ちょっとヤンチャだった父の尻拭いをしていたらしい。そのツケを私と陛下の息子との婚姻で返せ、と迫った。……父よ。あなた、若気の至りとかで許される問題じゃないですが。
父は当初断りまくっていたけれど、陛下にヤンチャした尻拭いのツケを払え、と言われたら断れなくなったとか。何をやらかしたんです、父。そんな事を思いながら窓から視線を逸らした拍子に水が手にかかる。
……何かしら、この水。
そう思った時にハッとした。
ーーああ、そうね。
私は殿下と恋人との逢瀬を見て涙を流す。殿下の婚約者で居るという事はこれ程苦しい事なのね、と。好きだから苦しい。でも振り向いてもらえない。それなら好きで居続ける意味などあるの?
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