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ある秋の深夜。コンパ終わりに橋の上で一人、優弥は風を浴びていた。酒で火照った肌を冷ましてからでないと、家には帰れない。コンパに参加するというだけでも嫌な顔をされるのに、酒まで飲んだとあっては、拘束が厳しくなるおそれがあるからだ。
闇の奥から吹いてくる潮風に紛れて、女の怒ったような声が聞こえた。悲鳴とも、とれなくはない。
声のした方を見る。駅に通じる地下通路への入り口。男の声も混じり始めた。穏やかな空気ではない。
足から、力が抜けたようになる。胸焼けするほどの甘さの中で育てられた優弥は、トラブルというものに免疫がない。それでも、女の声に切実さが増してくると、そちらへ行かずにはいられなかった。
見れば、ありふれた光景だった。酔っ払っている様子の中年男が、若い女に絡んでいる。毛むくじゃらの手で女の細腕を掴み、どこかへ連れて行こうとしているようだ。ひとけのない地下通路に、二人の声だけが響く。
優弥の足はすくんでいた。男は優弥より二回りは体が大きく、ぴっちりとしたYシャツ越しに、鎧のような筋肉が透けて見える。
優弥の尻ポケットにスマホが入っている。それで警察に電話をすれば済むことだ。交番が駅前にあるから、すぐに駆けつけてくれるだろう。わざわざ、自分が近づく必要はない。
それなのに、優弥は小さく踏み出していた。
苛立ち。酒で理性を失った醜い男の姿。今までに感じたことのない嫌悪感が、優弥を突き動かした。
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