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おまけ・床首くんの真実
啓太くんが消えてから3週間が経った頃、俺はとある理由で晶さんにコンタクトを取った。
平日の午後、待ち合わせに指定した喫茶店で待っていると程なくして、モデルか? という様子の人物がこちらへと近づいてきた。
晶さんはAV男優、しかも受け手っぽくはない。長身で、髪が少し長めで、綺麗な顔立ちをしている。切れ長の目で鋭さもあって、モデルと言われた方が納得がいく容姿だ。
実際すれ違う女性が数人振り返っている。が、残念なことにこの人は女性にまったく興味がない。嫌うわけではないが、根っからのゲイで性の対象にならないのだ。
入店して俺を見つけた晶さんが真っ直ぐにこちらへと近づく。そして当然のように俺の前に座って、コーヒーを注文した。
「待たせたかしら?」
「いや、そうでもないよ」
そして口を開けばこの口調。馴れない人はニューハーフを疑うようだが、中身や性格は実に男らしい人で、本人も別に女性になりたいわけではないそうだ。ただ、なんとなくこの喋り方がしっくりくるのだという。
「そういえば、中島くんを誘ってるらしいじゃない。気に入った?」
「あぁ、まぁ……」
ニヤリと笑う晶さんは実に楽しそうだ。この人だって中島くんを気に入っているのか、俺に色々と警告したくせに。
2度目の共演後、ラーメンを食べた時に連絡先を交換し、先日2度目の食事に誘った。
中島くんはとても素直で、自分の事を色々話してくれた。厳格な両親で、モデルも反対されて勘当されたこと。それから一度も、実家に帰っていないこと。妹と弟がいて、こっそり実家の事を教えてくれること。
こんなだから、今更実家に帰れないと中島くんは言っていた。
「まぁ、ちょっと安心もしたわ」
「え?」
「アンタよ、アンタ。死んだ顔して陰気くさくて嫌だったわよ」
「あ……はは。すんません」
啓太くんがいなくなって1週間だった。喪失感が凄くて、寂しくて、仕事も日常も身が入らない状態だったのだ。
俺を見る晶さんは、もう気にしていないみたいだった。そして本当に、ほっとした顔をしてくれた。
「アンタも浮いた話のない奴だから、ちょっと心配だったのよ」
「男優が相手を食いものにしちゃダメでしょ」
「したじゃない」
「まだしてません」
「まだって言ってる時点でアウトよ。アンタ、案外難しいもの。ドンピシャの相手じゃなきゃ納得しないんでしょ? 絶対、時間の問題ね」
まぁ、現在口説き落としている状態なので何も言えないのだが。
「晶さんのほうは順調なんですか? 彼氏、起業家でしたっけ?」
聞くと、晶さんはにっこりと笑った。
「当然よ」
「仲いいですよね、晶さんも。この仕事続けていてもいいなんて、心が広い」
「でも、嫌だって言われたら直ぐにでも引退するわよ。長く続けられる仕事でもないしね。得にネコの俺は」
確かに、そうなんだ。タチである俺は比較的息が長い。でもネコである晶さんは短命でもある。まぁ、晶さんはファンがいるから大丈夫だろうけれど。
「アンタも、将来見据えておきなさいよ」
「そうしておきます」
苦笑する俺に、晶さんはにっこりと笑う。そこで注文のコーヒーが出てきて、俺は本題に入る事にした。
「晶さん、前に部屋の空きがあるって言ってましたよね? あれって、今も空いてます?」
俺の問いかけにコーヒーを一口飲み込みながら、晶さんは視線を向けた。
「空いてるわよ」
「最短で、いつ入れますか?」
「彼の持ち物件だから、俺から話を入れれば数日かしら。なに? とうとう引っ越すの?」
晶さんの嬉しそうな声音に、俺は苦笑して頷いた。
「実は今日も帰りたくないので、ホテル住まいにしようかと思っていて」
「あら、勿体ない。雑魚寝でよければ泊まる?」
「いいんですか? 彼氏さん、誤解しません?」
「しないわよ」
呆れ顔の晶さんは興味があったらしい。そわそわしながら体を寄せてきた。
「どうして今更引っ越す気になったのよ。前は渋ってたじゃない」
「まぁ……」
あの時は啓太くんが居たから出たくなかった。でも今は啓太くんもいなくなった。そして、別の問題が浮上したのだ。
「ねぇ、何があったの?」
「晶さんの言った事が正しかったってことですよ」
「俺の言った事?」
「……あの場所自体が、人の住める場所じゃなかったってことです」
ゲンナリとする俺に、晶さんは首を傾げた。
「あの場所、多分人が住んじゃいけない土地だったんだと思います。墓地とか、戦場跡とか、神域とか。人ではない者の土地が、高度成長だとか、戦後処理だとか、バブルだとか、そういう時代に売られて建物が建ったんですよ」
案外こういう場所は多い。そしてこういう場所は大抵、何かあるものだ。
そしてあの社宅の場所も、そうなんだと思う。
「でも、ここ20年はアンタの部屋だけだったでしょ? 俺も先輩とか古い人から聞いて知ってるだけよ?」
「みたいですね。それ以前は建物全体に色々あったみたいですけど、ここ20年は俺の部屋だけ」
実はそれも、仮説は立っているのだ。
「……実際、アンタの部屋には何がいたの? 足達啓太っていう人が亡くなってるのよね?」
「えぇ」
その名を聞くとまだ少し痛む。そしてその啓太くんこそが、実は俺の事も守ってくれていたんだ。本人はそんな気はなかっただろうけれど。
「啓太くんの首が床から生えていました」
「生首ってこと! ちょ……心臓に悪いわ」
「可愛い人でしたよ。成仏しましたけれど」
「そうなの?」
声を潜めた晶さんに頷くと、ちょっとだけホッとした顔をしてくれた。
「その人についてはちょっと先輩からも聞いててさ。同じネコとして、心が痛かったのよ」
「酷い仕打ちだったみたいです。でも、最後は穏やかに成仏しました」
「そ。で、なんで今更引っ越し? いなくなったなら、住み続けてもいいじゃない」
そう、そのはずだった。けれど事態は簡単じゃなかったんだ。
「……どうやら、啓太くんがあの土地の悪いモノが上がってこないように、蓋をしてくれていたみたいで」
「どういうこと?」
「言ったじゃないですか、土地が悪いって。どうも俺の部屋に、そういうものが吹き出してくる穴があったみたいなんです」
「……げっ」
「啓太くんはその穴に、蓋をしてくれてたみたいなんです」
まぁ、啓太くんにはそんな意識はなかっただろう。あの部屋で死んで、成仏もできなくて、気づいたら穴に引き込まれる寸前だった。ただ啓太くんはあの部屋の負とは異質な存在で、ギリギリの所で引っかかっていた。結果、首だけが出ていたんじゃないかと推測している。
実際、俺の部屋に空いている穴は人が一人出てこられるかという程度。最初に気づいた時はまだ、啓太くんの影響があって大人しかった。でも彼が成仏して2週間で状況は一変した。まず部屋の空気が重く陰湿で、暗さが増した。そしてあの穴から何かが這い上がってくる。
今までは穴に蓋をするように結界を張ったのだが、俺が側にいないと弱まるのか、少しずつ建物の中に出始めている。これ以上はどうにもならない。
「え、いい子」
「本当に。俺も、俺の前の住人も実は守られていたんです。穴が穴のままだったら、きっと数日住めてません。もしくは死人が出てるか、失踪か」
「アンタ、部屋の契約終わるまで俺の部屋に住んでいいわよ」
「助かります。家賃に飯作りますよ」
「あら、いい条件。じゃあ、宿泊費はタダにしてあげる」
ウインク一つで快諾してくれた晶さんがその場で彼氏さんに連絡をしてくれた。そして明日にでも書類を持ってきてくれて、同時に内観もさせてくれるらしい。俺も大きな荷物はベッドくらい。しかも長く使っているから、そろそろ買い換えてもいいから処分でいい。後は衣類やらだ。
何にしても、これで一安心。俺は晶さんについて彼の部屋に数日転がり込む事ができた。
あれから2年、俺の住んでいた社宅は更地になった。表向きは老朽化だが、実際は相次ぐ怪奇現象で住む人が居なくなったこと。そして近所の浮浪者が侵入して飛び降り自殺をした事。それが2年の間だけで6件にも及んだことだった。
あの場所はやっぱり、人が住むべき場所ではない。時々その場所の前を通っても思う。
なぜなら更地になってもなお、アソコにはいるんだ。暗い穴から這い出ようとする手。そしてひしめく原型をなくした黒いそれらが。
END
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