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お仕事しましょう
この日は午後の少し早い時間に招集がかかった。向かったのは撮影の為に用意されたスタジオ……とは名ばかりのマンションの一室。ということは、今日は普通っぽいものを撮るのだろう。
それにしても室内が暗いし、臭いがする。そして、思い切り見えている。
「あっ、おはよう犬飼くん」
「あぁ、おはようございます」
仕事で一緒になることの多いカメラマンさんと朝の挨拶。するとカメラマンさんが俺にグイッと顔を寄せて小さな声で聞いてきた。
「ところでこの部屋、なんかある?」
「あ…………」
俺はなんて言っていいか分からなかった。
このカメラマンさんは、たぶん見えていた人ではない。けれど撮る事のプロである彼らの中には感覚が鋭くなり、結果感じるようになる人もいる。暗いと感じたり、カメラの端に影を見たり。
音声さんも実際には聞こえないはずの音を聞いたりするのだ。プロ根性というのは凄いと思う。
「やっぱりいるの!」
「まぁ……ちなみにこの部屋……」
「……出入りの激しい部屋で安く」
「だよな」
俺は視線を数カ所に向けた。
壁際に一人。壁に額を当てて、その先に進むように歩いているけれど行けない。勿論だろう。腕をだらんと下げて、ただひたすら壁の向こうに行こうとしているのか歩き続けている。
部屋の隅に座っているのは老人だろう。体育座りで蹲って何かを言っている。
あとは、ベランダ。髪の長い女が何かを叫ぶように大きな口を開けてガラスを叩いている。入れないようだが、それも時間の問題だ。
寄ってくる部屋なのかもしれない。そうは感じた。
「おはよう。あれ? 正也くんとカメラさん、どうしたの?」
「あぁ、藤堂さん。ってことは、今日は藤堂さんが相手ですか?」
入ってきたのはよく知っている男優の、藤堂晶さんだった。この人も業界が長くて、俺とは何度も絡んでいる。今日は当たりだ。
「最近、新人君ばかりでくさくさしてたんだって? だーかーら、癒やしてあげようかなって」
「助かります。晶さん相手なら安心してやれるし、楽しめます」
「そのかわり、たっぷり気持ち良くしなさいよ」
ちょっと年上のお兄さんな晶さんがクスクスと笑う。だが次ぎには室内を見回し、眉を寄せた。
「暗いね。嫌なのいるの?」
「まぁ……」
俺はそう言って濁すしかできなかった。
「とりあえず、塩かな」
「持ってくる。他は?」
「酒と、器」
「ほぼいつものだな」
カメラマンさんがアシスタントに声をかけてそれらを持ってこさせる。俺はその間に室内を見回して、溜息をついた。
「お塩とお酒と器です。あの、これどうするんですか?」
「あぁ、有り難う」
首を傾げるアシスタントからそれらを受け取った俺は、二つを用意して部屋の四隅に置いて部屋の真ん中に立つ。そして、この部屋にいるものを除いて入ってこられないようイメージをした。
俺が修行した時、祖母ちゃんは特別な呪文が必要だったりはしないと言っていた。あるのが勿論いいのだが、程度にもよるという。
幸いここにいる者達はこの場所に執着しているわけではなさそうだ。出て行くように促せば消えていった。
ただ一人、ベランダの女だけがまだ激しく何かを叫んでいる。が、これは元から室外にいる。入ってこられないようにだけすれば今日だけはなんとかなりそうだ。
「あっ、明るくなったね」
晶さんが朗らかに言うのに、俺も苦笑して頷いた。
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