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その日の撮影は一発で決まり、予定よりも早い時間に撤収。仲のいい撮影スタッフや晶さんと飲んで帰っても、まだ日付は変わっていなかった。
ただ、一つ困った事もあるのだが。
「ただいま~」
いつものように床首くんに挨拶をすると、彼はこちらを向いて確かに嬉しそうに笑った。
お?
前は消えそうで、無表情だったのに。これは昨夜のあれが関係しているとしか思えないが。
だが、悪い空気はなにもない。むしろとても空気が綺麗だった。部屋も明るいし、一日締め切っていたにしては澄んでいる。
「もしかして、綺麗にしてくれてる?」
独り言みたいな俺の呟きに、床首くんはただにこにこと笑っている。
部屋に入る前に、俺は玄関に置いてある塩で足下を清め、頭からも少し掛けた。どうにも付いてきている感じがする。それでも部屋に入られなければ大丈夫だ。
床首くんは首を傾げている。それに、俺は苦笑した。
「今日、嫌な場所で仕事でさ。拾った感じがあるんだ。あぁ、今は近づくなよ。床首くんまで払われちゃうかもしれないし」
何より存在感の増した床首くんが弱るのは、なんだか寂しい。言葉を交わせなくても表情が出て色が分かるだけで随分と親しみが持てるのだ。
「まず風呂入るから、待ってて」
玄関入ってすぐのバスに入り、着ていた服はそのまま洗濯機にぶち込んで洗い始める。早めに流してしまいたい。
そのまま自分もシャワーを浴びて綺麗に体を清めて、Tシャツとハーフパンツに着替えた。
上がると、床首くんがじっとベランダの方を見ている。俺には後を向けているが、厳しい雰囲気は伝わった。
「やっぱ、ついてきた?」
声に反応してこちらを見た床首くんの不安そうな顔。頼りなくて、守ってあげたくなる表情にちょっと揺れる。多分、生きた人間だったなら俺はこの子を恋人にと望むだろう。
「ちょっと待ってて」
俺はベランダの前に塩と酒を置いて、入ってこないようにと強く祈る。そして最後に柏手を打って、立ち上がった。
「悪いね…………って、床首くん?」
床首くんは大きな目に涙を溜めて部屋の隅に移動していた。多分手があれば耳を塞いだだろう。
「あぁ、柏手か。ごめん、嫌だった?」
柏手は最も簡単な魔払いになる。帰って来た直後の部屋、初めていく部屋が嫌だと感じた時にはしてみるのがいい。魔は音を嫌うらしく、平安の時代も物の怪を払うのに弓の弦を弾いて鳴らしたという。
にっこり笑って近づき、俺は床首くんの頭を撫でる。柔らかな猫っ毛の髪はやっぱり昨日よりもしっかり感じる。強くなっているんだ。
ローテーブルにお酒を1つ。対面には冷えたミネラルウォーターを置いた。
「今日はさ、ちょっと嫌な場所だったんだ。床首くんも、そんな場所で撮影したことない?」
問いかけても、床首くんは首を傾げる。生きていた時は感じない子だったんだろう。
「気づかない方がいいよね。でもさ、AVの撮影ってそういうのが映る事が多いんだよね」
これには床首くんも頷いた。
どうにもAVや映画の撮影は妙な物が映る事が多い。殆どが通りすがりなんだが。
生きている人間だって近くで撮影があれば野次馬したくなるものだ。どうも死んでもこんな感じらしい。
他にも温泉の女湯とか。生きている時には出来なかった男のロマンが詰まった場所なんだろう。
ちなみにゲイビの撮影では男もいるが女性も多い。そこに何のロマンがあるのだろう、彼女達。
「俺さ、祖母ちゃんが霊能者っていうか、修行を積んだちゃんとした人でね。占いとか、簡単なお祓いとかしてたんだ。その祖母ちゃんに、『お前は見えるうえに才能もある。下手をすると寄ってくるから修行しなさい』って言われて、幼稚園くらいから色々してたんだ。山に籠もってみたり、滝行もしたし、これで写経完璧なんだぜ?」
小学生にして綺麗な筆文字が書けたから、書写の時間が楽しかった。
「流石に中学校の高学年で坊主になるのかと思って祖母ちゃんに聞いたらさ、『お前みたいに生臭いちゃらんぽらんがなれる訳がないだろ』って、一喝されたわ。安心したような、納得いかないような、ちょっと理不尽な気分だったよ」
床首くんは面白そうに笑っている。その明るい表情を見ると、俺もなんだか嬉しくなった。
「でも、この業界に飛び込んでこの時の経験が妙に活きてるんだよね。ほら、多いから。俺の事知ってる人だと、俺に簡単なお祓いとか頼むんだけどさ、これだって結構疲れるんだよね。今回みたいに、時々ついてくるし」
その時、何かがベランダのガラスを叩いた。
「きたか」
最初は遠慮がちだった音は徐々に荒々しく雑に、なりふり構わぬ様子で叩きつけられるようになる。が、ガラスは一切揺れていないし入れもしない。それだけ強固なものがここを守っている。
『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
女の声なのに不気味に低く地を這うような声まで聞こえ、それが延々と叫び叩きと大騒動だ。
「これ、近所に聞こえてないだろうな」
呆れながら呟く俺の側に、床首くんがススッと近づいてくる。不安げな瞳が声のするベランダを見ている。
俺は柔らかな髪を撫でて、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫、入ってこないって」
床首くんは頷くけれど、不安が消えたわけではない。その様子に、俺は苦笑した。
「そういえばさ、ドエロい事を考えてると幽霊が逃げてく。なんて噂もあるけどさ、あれって嘘だよな。AVの撮影現場なんてドエロの塊なのに、寄ってくるもんな」
俺の突然の発言に、床首くんはぽかんとして首を傾げる。まぁ、そうなるよな。
俺は見える様に床首くんの前でハーパンを降ろす。食い入るような視線を感じて、ニッと笑った俺は自分の股間を指さした。
「試してみる? これで本当にアイツがどっかいったら、この噂は本当ってことだよね?」
俺の提案に、床首くんは薄らと頬を染めて頷いた。
昨日よりも、感触が確かだった。舌の繊細な動きや、肉感。啜るようにされる僅かな動きも昨日よりはっきりだ。
「んっ、上手だね」
さわさわと撫でる頭。それに上目遣いの床首くんが嬉しそうに微笑む。
表情があるだけで感情が入る。明らかに床首くんの口の中で俺は大きくなっている。ジュルッと音を立てるように啜られ、嚥下される度に床首くんの色は濃くなっている気がする。
「ねぇ、喉とか嫌じゃない?」
問うと、床首くんは上目遣いに俺を見て頷いた。
床首くんの頭をやんわりと掴み、柔らかな口腔もその奥の狭い部分も楽しむように腰を入れる。その度、床首くんは少し嘔吐いて「ウブッ」という声を漏らすけれど、拒む様子はない。
「嫌だったら、嫌って言ってね」
でも、床首くんは嫌がらない。それどころか余計に深くまで咥えていく。俺の方はその感覚にブルッと震えた。従順系は嫌いじゃないし、そういう子が頑張ってくれると愛しくなる。
「あっ、これヤバ……んっ!」
我慢出来ずに喉奥に流し込んだものを、床首くんはまた残さず飲み干す。というよりも、喉の奥で出したから拒む暇もなかったか。
でも、床首くんは恍惚顔でトロンとしていて、余計に甘い。それを見ていると俺も愛しさのようなものがこみ上げて、思わずキスをしていた。
『!』
驚いた床首くんの目に薄らと涙が浮かんだのは、どうしてだろうか。
俺は気になっていた。この床首くんは、一体なんて名前なんだろう。どうして、ここに留まっているんだろう。誰かを恨む様子もないし、呪う様子もない。何が心残りで20年近くもこんな場所にいるんだ。
成仏、させてあげたい。初めて俺はそう思った。
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