床首くんの正体

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床首くんの正体

 床首くんをこのままにしておくのは、きっとダメなんだろう。俺は初めて、そんな事を思った。  祖母さんの話では、霊のまま長く留まる事は苦しかったり、悪いものに取り込まれる可能性が増すのだという。本来なら死後数日、精々数年で逝く場所に行けるものらしいのだが。  床首くんは20年、ここにいるらしい。今の見た目は20代後半くらいだから、生きていたら50近い事になる。  確か、昨日一緒に仕事をしたカメラマンがそのくらいの年齢だ。何か知っているかもしれない。名前が分かれば勝手に調べられるんだが、床首くんは口がきけない。でもこの部屋の事は社内では有名らしいし、特徴を言えば分かるだろう。  明日は幸い1日オフだ、調べてみようか。  そんな事を考えながら寝た俺を、誰かが呼んでいる。随分と可愛らしい声で目を覚ました俺の目に、声の主は最初見えなかった。 『正也さん、起きてください。もうお昼が近いですよ』 「?」 『寝ぼけていますか? ごめんなさい、昨日無理をさせてしまったから』  少ししょんぼりとした声が下から聞こえる。俺はそっちを見て、目を丸くした。  床首くんは透けてはいるものの、かなり色彩がはっきりとした。そしてなんと、話していた。 『あっ、おはようございます』 「あぁ、おはよう。え? しゃべれたっけ?」  話せる奴で伝える気があるなら、大抵聞こえているはずなんだが。疑問に思いながら首を傾げると、床首くんは苦笑して首を横に振った。 『貴方に力を分けてもらったというか、食べさせて貰ったというか……』 「あぁ、精気な」  やっぱりアレが原因なのか。  床首くんは申し訳ない顔をしている。そんなにしょぼくれた顔をする必要はないし、俺も楽しんだ。Win-Winの関係なんだし、誘ったのは俺なんだから、床首くんが申し訳なく思う必要はないってのに。  手を伸ばして、クシャリと頭を撫でる。床首くんは猫みたいにほんの少し首をすくめて、その後は嬉しそうに笑った。  表情がとても豊かで、生きている人間みたいだ。手触りも凄くしっかりしていて、体温がない事が不思議なくらいだ。 「アレは俺が誘ったんだろ? どうせティッシュにくるんで捨てるんだから、役だってよかったよ」 『あ……えっと……はい。とても、美味しいです』  そんな事を恥じらいながら頬を染めて言うのだから、可愛くて仕方がない。俺が困るっての。  何にしても話ができる。これ幸いと、俺は床首くんに色々話を聞くことにした。 「そういえば床首くん、名前はなんていうの?」 『え?』 「いや、だって話せないなら知りようがないし、だから床首くんだったけれど。知りたいし、出来れば名前で呼びたいと思ってるんだけど」 『あの、僕は床首くんでも構わないですけれど。生首! っていわれるよりも、その……嬉しかったです』  ……可愛いな。どうして死んだんだろう、勿体ない。  いや、病死だ。分かっているんだが……この年で突然死なんてするものか? 「それでも俺は名前で呼びたい。俺の事は正也って呼ぶのに、ずるいだろ?」 『あ……』 「それとも、名前忘れちゃった?」  これも祖母さんの受け売りだが、死んで長く留まるうちに生前の記憶が消えて行くらしい。些末なものから徐々に。そうして一番心に残る思いだけが残ったり、逆に何も残らないまま消えていく霊もいるんだとか。  でも、床首くんは覚えていると思う。躊躇っているけれど。 「お願い、床首くん。俺のお願い、聞いてくれる?」  少しずるい言い方。これはAV男優として、受けの子に言う事を聞かせたい時の言い方だ。やんわりとした言い方なのに命令調子。あまりこういうやり方をしたくはないけれど、今だけごめん。  床首くんもこれには覚えがあるのか、ビクッとした後でおずおずと口を開いた。 『足達啓太、です』  俺はこの名前をしっかりと記憶して、仕事と偽って午後から家を出る事にしたのだった。  事務所の映像保管室には歴代のAVがVHSからディスクから揃っている。20年前ということでVHSを探したらビンゴだ。数本の作品にその名を見つけ、俺はそのまま映像編集部屋へとそれを持ち込んだ。 「ん? どうしたよ犬飼くん」 「笹塚さん、ちょっとこっち貸して」  部屋には昨日のカメラマンの笹塚さんがいて、映像のチェックをしていた。  その隣のブースに座った俺は、見るだけのデッキにVHSをつっこんで再生ボタンを押し、音量を絞って映し出された映像を見た。  映像の中の床首くんは、やっぱり可愛くて肉感的で、そしてエッチだ。まぁ、口だけで十分に気持ちがいいんだ、他のテクだってあるに決まっている。ぷりぷりの桃尻なんて、実に美味しそうに見える。 「あぁ、足達啓太か」 「知ってるんですか?」  俺のブースに椅子を滑らせてきた笹塚さんが、腕を組んで難しい顔をした。 「そりゃ、人気だったからな」 「どんな?」 「……今ほど、ゲイビが出回ってない時代だった。こういう趣味の奴はこっそり買ってたし、当然こっちの男優なんてのは不足気味。しかも受け男優となると余計に限られててな。その中で、足達啓太は可愛さとエロさとテクの良さで評判だったんだよ」  笹塚さんの言う事は頷ける。映像の中の床首くんは凄く色っぽい顔をしている。俺だってこれで一発抜ける気がするんだ。  でも、そう話す笹塚さんの表情は晴れない。むしろ難しい顔をしている。 「……お前の部屋、やっぱ啓ちゃんでるのか?」 「やっぱって?」 「そんな噂はずっとあった。それに……俺は未だにあの子の死因が病死だってのに、納得がいってなくてな」  何か、当時の事を知っているのだろう。俺は映像を止めてVHSを取り出し、パッケージにしまった。 「コーヒー奢るんで、その話し聞かせてもらえます?」 「……いいぜ」  笹塚さんが腰を上げてくれたから、俺も続いて腰を上げて二人で、自販機まで足を伸ばす事にした。  ここの自販機前は薄暗くて、妙に空気が悪い。廊下の突き当たりにあって、長椅子がある。何かがいるわけじゃないが、好むだろう空気の場所だ。多分寄ってくるだろう。そのせいか、噂のある場所だった。  そこで缶コーヒーを2本買って、1本を笹塚に渡して腰を下ろす。側に笹塚も座って、プルトップを開けた。 「足達啓太は、俺が駆け出しでこの業界に入った頃にはもう、この世界で生きてた」 「いつですか?」 「22歳くらいだったな。啓ちゃんの話じゃ、18歳からこの業界で表立ってやってたらしい。ただ、裏は16くらいから撮らせてたみたいだ」 「どうしてそんな」  未成年はいけません。というのは当たり前の世界だ。バレたら会社がなくなる。だから真っ当な会社は未成年なんて使わない。そんなリスクは負わないのだ。  ってことは、きっとヤバい奴らのところにいたんだろう。あんなに素直そうなのに。 「ガキの頃に母親が外に男作って出て行って、父親は放棄。バレて施設入りだったらしい」 「素直そうに見えたんすけど」 「素直だぜ、驚くくらい擦れてねぇ。だが、歩んだ道はひでーもんだ。高校の時の先輩が準構成員みたいな奴で、問題起こして退学。そいつと仲が良かったってだけで疑われた啓ちゃんも退学くらって、施設もそういう問題のある児童はっていうんで出された」 「出されたって……」  未成年だろうがよ。 「まぁ、施設自体がどうかってレベルだ。そんなんで身寄りなくして、手っ取り早く体だけでそれなりの金がもらえる仕事って事で風俗よ」  絵に描いた転落劇だろう。そうなると、床首くんには自分の人生を選ぶ余裕はなかったんだな。  なのに、笑うんだ。どんな気持ちで笑っているんだろう。今も……死んですら。  それでも恨んでいる感じはない。嘆いてもいない。屈託なくて……どうして。 「18でこの会社になってからも、散々さ。あの子に群がる男ってのがどれもろくでもないクズでな。体目的だったり、金目的だったり」 「そんなにっすか?」 「あぁ。啓ちゃん自身が惚れやすいってのもあったし、素直で人の裏を見ないってのもあった。仕事を一緒にした男優や、プロデューサーが殆ど。身も心もボロボロにされて、金まで取られて泣いても、またそういう相手に惚れるんだ」 「…………」  俺が20年早く生まれていたら、そんな風にはしなかったのにな。  これで病死で早死になんて、悲惨すぎる。 「最後に付き合い出した男も、ろくでもない奴だったよ」 「え?」 「見た目は誠実そうだったけどな。何股もしてたし、男も女も貢がせてたし、拒むと恫喝まがいの事をしてた。結局そっちの方向で警察沙汰になったしな」 「足達さんの死に疑問があるっていうのは、そういう?」 「突然の心臓発作。でもその前にバカみたいに仕事入れてたし、無理もしてた。噂じゃ、合法ドラッグなんかも使ってたらしい。今は違法な」  ……限りなく黒を臭わせる白。俺の抱いた感想は、そうだった。 「犬飼くん、見えるんだろ? お前の部屋が啓ちゃんが死んだ部屋だ。分かってるだろ」 「えぇ」 「……成仏、してないのか?」  笹塚さんはとても気遣わしげに聞いてくる。俺はそれにただ、頷いた。 「そっか……」  そう呟く笹塚さんはとても、哀しそうに俺には見えた。
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