床首くんの正体

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 床首くん改め、啓太くんがどうしてこの世に留まっているのかは分からない。けれど、彼の生前の事を聞くとやるせない。  俺はケーキを二人分買って、夕方頃に帰ってきた。 「ただいま」 『おかえりなさい』  床から首だけを出している啓太くんは、嬉しそうに笑っている。この笑顔に嘘を感じないのが、妙に哀しく思えた。 『あの、どうかしましたか?』 「ん? いいや。ケーキ買ってきたんだ、食べる?」 『わぁ!』  凄く嬉しそうな顔をする啓太くんを、俺は出来るだけ平気な顔で見て手を洗い、ケーキを皿に置いて啓太くんの前に置いた。 『美味しそうなショートケーキです』 「食べていいよ」 『有り難うございます』  とはいえ、幽霊の啓太くんが物理的に食べる事はできない。軽く吸い込むようにして匂いを楽しんでいる。これで、亡くなった人は食事をしている。香食というものだ。 『ケーキなんて、生きてた時でもあまり食べていませんでした。美味しい』 「よかった。今度から飯も、作る時は二人分作るからさ」 『え? でも、大変じゃ……』 「一人分も二人分も大して変わんないし」  嬉しそうだけれど、戸惑っている。そう感じて、俺は自分のケーキを平らげて啓太くんの前に座った。 「啓太くんの事、きいてきた」 『え?』  途端、表情を強ばらせた啓太くんは後ろへと下がっていく。けれどこの部屋からは出られない。俺は壁際まで啓太くんを追いかけた。 『あの』 「カメラマンの笹塚さんって、知ってる?」 『あっ、知ってます。生前、とても親身に話を聞いてくれました』 「その人、今も現役なんだ。俺ともけっこう組んで仕事するから」 『あ……』  首だけだけど、項垂れたのが分かった。落ち込んだ彼をどう慰めようか。思うがまずは、頭を撫でた。 「辛いよな、いい恋愛に恵まれないって」 『……はい』 「本当に、病死だったのか?」  聞いてみた。今更何を聞いたって、何も変わりはしない。啓太くんは死んだし、証拠もないし、相手は顔も分かりゃしないし。  それでも真実を知りたいと思ってしまうのは、単なる好奇心ばかりじゃないと思いたい。少なくとも俺は、真実を知って面白がる気持ちにはなれない。  啓太くんはたっぷりの時間を使って、話し出した。 『僕が死ぬ、前日の夜。思いが通じ合って、今度こそ愛されてるって確信を持ってました。優しかったし、話も聞いてくれて。でも、抱き合った時に分かったんです。この人も、過去の人達と変わらないって』  寂しそうな声音が胸に痛い。どんな酷い抱かれ方をしたのだろうか。そしてそれが、何か関わるのか。 『僕のお願いは、聞いてもらえませんでした。興奮剤みたいなものを嗅がされて、飲まされて、もう限界なのにずっとイキっぱなしで。それでも囁かれる甘い言葉に、僕は応え続けてしまって』 「無理してたんだろ?」 『お仕事も沢山入れてました。ビデオだけじゃなくて、他にも。疲れて、不摂生もあって、それで興奮剤も使って限界までセックスして。ボロボロになって家に帰って、胸の辺りが苦しくて……ダメだ、って思ったら本当に、死んでしまっていました』  それは、殺人みたいなものに感じた。彼から色んなものを奪い取っていった人達が、この人を殺したんだ。 『首から下の感覚が分からないし、抜けてくれないし。声も、聞いてもらえないし。そもそも見えていなくて……寂しくて』 「啓太くん」 『一年とか半年一緒にいると、気づくみたいで出ていっちゃう。僕は何もしないし、できないのに』 「そうだね」 『だから正也さんが来て、僕嬉しかった。僕の事最初から見えてたのに、引っ越さないし、話しかけてくれるし。答えられないのが辛くて、本当はお話がしたかったんです。それに……ちょっとだけ、好意も持っていたので』 「もしかして、昨日や一昨日みたいなこと望んでた?」  聞いたら、顔を赤くしながら頷いてくる。そんな仕草が可愛くて、俺は笑った。 『死んでるのに、こんな淫乱でごめんなさい』 「いいとおもうよ、可愛いし」  照れて笑う仕草も、俺は好ましく思う。  さて、そうなれば話は早い。 「啓太くんさ、やっぱり恋愛とかが原因で成仏できないの?」  問いかけたら、啓太くんは凄く悲しそうな顔をする。そして、首を捻った。 『分かりません。でも最後に思っていたのは、誰でもいいから誰か、僕を好きでいてって。そんな事だった気がします』 「だよね」  それしかないだろうとは、思っていた。  ならばと、俺は早速動く。啓太くんの頭を両手で掴んで上向かせて、キスをする。ただのキスじゃなくて、濃くてしっかりしたやつ。  同時に掴んでいる頭を大根を引っこ抜くみたいに様子を見ながら上に持ち上げる。ずるっと、少しずつ持ち上がる感じがしている。 『んぅ!』  でもこれ、しんどい。体が抜けてくる感じはするがその度に俺の体の力が抜ける。多分生気的なものを食われているんだろう。  でも、止めるとかは考えてない。啓太くんを自由に、せめてちゃんとした姿で。  思い切り引っ張り上げると、スポンと軽くなって俺は後ろに尻餅をついた。そうして見上げると、そこには全身ちゃんとある啓太くんがいる。AVで見たままの彼だ。 『どうして……これ……』 「どうにか死ぬ前に抜けたか」 『正也さん!』  心配そうに近づいて触れる手に体温はない。けれど、気持ちはちゃんと感じる。 「俺が、成仏させてあげる」 『え?』 「祖母さんが言ってたけど、死んだらあまり留まらないほうがいいって。このままだと啓太くんもそのうち、悪いものになるんじゃないかと思ってさ。それは、なんか嫌だから」  少しふらつくが、立ち上がれた。軽い貧血みたいな感じだ。  対価が今の所これだけなら、許せる範囲だろう。  不安そうで頼りない、揺れる大きな目を見て頭を撫でる。冷たいのに感触は確かにある、それが不思議だ。 「俺が、君を大事にしてあげる。愛してあげるから、満足したらちゃんと逝くようにね」 『だめです! 今も、こんなにフラフラで……僕なんかの為に、こんな』 「こら、『なんか』なんて言うなよ。啓太くんはとても魅力的だ。きっと来世は、愛されて生まれてくるよ」  俺は神様でもなんでもないから確信なんてないけれど、そう願う事はできるから。  何にしても飯だ。流石にケーキじゃ足りない。でも、今日は作る気力はない。棚を開けるとカップ麺。お湯を沸かしてそれだけ開けた。 「啓太くんも食べる?」 『いえ! 僕はケーキだけで十分です。あの、普段もそんなお気遣い頂かなくて大丈夫ですよ?』 「それは俺の気持ちの問題で。仕事の日はごめんね」 『いえいえ! 食べて飢えが凌げるわけでもないので、本当にお気遣いなく』  手を大きく振りながら首も振っている。そういうのも、なんだか可愛く見える。俺は笑って、よしよしと頭を撫でた。 「俺も嬉しいんだぜ。一人で食べる飯は寂しいから、付き合ってよ」 『あ……あの、そういうことなら、喜んで』  はにかんだ笑み。そういうのも愛されキャラだと思う。つくづく、20年早く生まれたかった。  お湯が沸いて、手早くカップ麺を啜った俺はひとまず回復の為に寝る事にした。布団に潜り込み、隣をポンポンすると啓太くんがそろそろっと近づいて、隣に寝転ぶ。暑い夏、これはクーラーいらずかもしれない。 『……しないんですか?』 「しないよ。どうして?」 『誘われたんだと思いました。一緒に寝る時は、大抵』  まぁ、彼の恋愛遍歴を見るとそうかもしれない。俺は溜息をついて、腕枕のまま抱きしめた。 『正也さん?』 「恋人なら、何もしなくてもこうして抱き合って寝るんじゃない?」 『恋人!』 「嫌?」 『嫌じゃ……ない、です……馴れなくて、恥ずかしい……』 「ははっ、可愛いな」  抱き込んでも細い肩、小柄な体。守ってあげたいと思わせる啓太くんは魔性かもしれない。幽霊ではあるけれど。  滑らかな額にキスを一つ。そうして俺は啓太くんを抱きしめたまま、眠りについた。
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